07


 風の鳴る音が時々獣の声に聞こえて、はっとして後ろを向く。そして気のせいだったと前に向き直り、闇の中で唯一動きのある炎を何となしに見ていた。
 退屈であれば人は眠くなる。周りが暗ければ尚のことだ。
 タムはまぶたが閉じかける度、頭を振った。そのうち頬まで叩かなければたえられないくらいの眠気が襲ってくる。
 小さくなり始めた炎がタムに助けを求めるように揺れた。そろそろサンディを起こして代わってもらおうか。待てよ、もう少し、まだ少し、と思いながらも睡魔に勝てず、寝転がった。
 目をつぶらなければいいのだ。ちょっとばかり体を休めて、起き上がればいい。
 そうしてタムは、そのまま眠りこんだ。


 唸り声が聞こえてくる。
 違う。あれは、風の音だ。
 しかしそれにしては、やけにはっきりと聞こえる。よく耳をすませば、風の音とも違う気がする。
 追い詰められ、怯えた獣の唸る声だ。
 どうして、一体何に怯えているんだ。そんなに震えた声で――
「タム」
 サンディが名を呼ぶのが聞こえた。
「タム」
 繰り返すその声はどこか緊張している。
 タムはのしかかる眠気に抗いまぶたをこじあけた。あけてもそこはほとんどが暗闇だった。火が消えかかっているからだ。
 いけない、私は眠ってしまったのか。
 タムは半身を起こし、そしてあの唸り声が夢でなかったことを知った。わずか数歩先の向こうから、それは聞こえてくる。悪寒が背筋を走った。
 それは、危険な獣が目の前にいるかもしれないという恐怖と、この気配は、この声は、獣のものではないのではないかという困惑から生じるものだった。
「何だ……」
 タムの口から無声音がこぼれる。額に汗がにじむ。サンディがそばにいることを感じるのだけが救いだった。
 その唸り声は次第に高まり、闇を切り裂くような咆哮に変わった。
 が、それも長くは続かなかった。
 次に聞こえてきたその声に、タムは戦慄した。
 赤子の泣き声だったのだ。
 生まれて間もないであろう赤子の声。空耳などではない。訴えかけてくるような泣き声だった。
 絶望すら感じる。
 タムはその声を聞くうちに思い直した。きっと、これは獣でも赤子でもない。獣が、ましてや赤子が、このように絶望をこめて鳴くことなどあるだろうか。
 泣き声はやまず、加えて物音が聞こえてきたのでタムは座ったまま後ずさった。何かが暴れているらしい。
 この暗がりのせいで姿が見えず、恐怖は倍増する。
「火をおこします」
 サンディが言った。
「ま、待て待て。何が起きているのかお前にはわかるのか」
「セパーダですよ。彼が暴れているのです」
「セパーダが」
「多分、火が消えたせいでしょう。我を忘れているのです」
 そう言ってサンディが動く気配がした。
 赤子の泣き声はいつしか男の絶叫に変わっている。それを聞いてもセパーダの声か確信は持てなかった。確かにセパーダは火をたやさないことにこだわっていたようだが、それにしても、暴れる理由は何なのか。
「セパーダ、落ちつけ」
 正体が化け物よりセパーダの方がましである。従者の言葉を信じ、セパーダに呼びかけた。手探りで前進するが、セパーダには届かない。腕を振り回しているようなので、うっかり近づけば殴られる恐れがあった。
「セパーダ、私だ。タムだ。どうしたというんだ。落ち着いてくれ」
 どう、と音がして、タムは肩を震わせた。セパーダが地面に倒れたのだ。彼は無茶苦茶に暴れていて、手のつけられない状態だった。
 焚き火の勢いが増すにつれ、周囲の様子がわかってくる。
 瞳の焦点が消えたセパーダは、腕を地面に叩きつけていた。片足で自分のもう片足を蹴飛ばしている。
 それはまさしく、狂気の沙汰だった。狂っている。
 あまりの恐ろしさに、タムは言葉を失っていた。何と声をかけるべきか。否、そもそも言葉が通じるだろうか。
 タムは従者に視線を送ったが、彼は火をおこすことに集中している。
 狂ったセパーダはいきなり跳ね起き、吠えた。
 闇が震える。
 そしてセパーダがタムに向かって一歩踏み出した時だった。
「セパーダ!」
 タムの前に誰かが飛び出したが、それは従者ではなかった。ルドノフだ。
「セパーダ、しっかりして下さい!」
 ルドノフは果敢にもセパーダに飛びついた。
 セパーダも特に体格がよいというわけではなかったが、ルドノフに比べるとたくましい。細身のルドノフは臆することなく狂ったセパーダに話しかけていた。
 セパーダは身をよじっていて、いつルドノフを殴ってもおかしくない。
「僕の目を見て下さい!」
 彼の声には恐れなど少しもなかった。
「ここにはあなたを脅かすようなものは何もありません。僕を信じて! あなたは怯えることなどないんだ。安心して下さい」
 力強く、不思議と聞く者を落ち着かせる響きが合った。タムもわずかに緊張が解けたほどだ。
 セパーダの顔にも徐々に表情が戻り始める。吸い寄せられるようにルドノフと目を合わせた。
 そして彼は全身の筋肉が弛緩したように、その場に崩れ落ちた。
 静けさが戻ってくる。
 火をおこすという役目を終えたサンディが、タムの横に並んだ。
「あなたに火の番は無理です」
 そう冷たく言うサンディに、タムは返す言葉がなかった。


「私は闇が怖いのです」
 正気に戻ったセパーダと共に、三人は火を囲んだ。
 セパーダは己の秘密を語り出した。
「夜になれば私は暴れます。その時の記憶は一切ないのです。ただ、目覚めた時に恐怖感が胸に残っています」
 彼が修行林を追い出された理由というのはそれだった。毎夜毎夜暴れ狂う彼に周りの僧達は手を焼いていたのだ。腕にある傷は暴れた時に負ったものだろう。
 セパーダが町から離れた場所をねぐらに選んだのは、また暴れて他人に迷惑をかけることを心配したからだ。
「申し訳ない」
 タムは頭を下げた。
 今夜セパーダが暴れる原因となったのは自分が火をたやしたからだ。彼は他人を巻き込むまいと、夜は火を焚き昼に眠る生活をしていたというのに。
「いいえ、あなたのせいではありません。全ては私の心が弱いからです」
 どのような祈祷師にかかってもこの症状がなくなることはなかったそうで、セパーダは苦しんでいた。これに関してタムは助言できなかった。



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