「僕を売ろうとしたあの醜い男。あんな奴は屑だ。奴隷を人とも思わないでこきつかう奴ら。そいつらも屑だ。どうしてあんな連中が世にのさばっているんだろう。僕はあんな屑どもは、消えてしまえばいいと思う」
そう吐き捨てて、息をついた。皆黙ると聞こえてくるのは足音だけだ。
タムはルドノフの言葉にどうこたえていいものかわからず、口を閉じていた。サンディを見ると、彼は目を上げるのも億劫であるとでもいうように数歩先の地面を見つめ、ひたすら歩くことに専心しているようだ。
またルドノフが喋り出した。話は続いていたらしい。
「それよりも、彼らが奴隷という立場を経験してみるのがいいかもしれない。そうしたら思い知ることになるでしょう。どれほど辛く、理不尽なのかということを。人を苦しめた者は同じ苦しみを味わうべきなんです。そう思いませんか?」
話しかけられたタムは、ああ、だとか、まあ、などという曖昧な返事をした。
彼の言うことは正しいようで正しくない。人間は平等で誰しも虐げられるべきではないと主張するのなら、はたして仕返しをして相手を酷い目にあわせることが正しいと言えるのか。
だがタムは反論しなかった。あげ足とりをしたいわけではない。
身分制度は忌むべきものだと考えていたし、あの奴隷商人がしたことは許されることではないとも思う。
しかし、頷けなかった。
ルドノフには同情するし、気持ちも理解できないことはない。それにしても、乱暴な意見である。
何より彼がその意見を口にしながら振り向いた顔が奇妙に歪んでいて、タムに肯定的な答えを返す気をそがせた。
ルドノフは笑っていた。激しい憎悪をはらんだ笑みだ。あんな仕打ちを受けたのだから、仕方がないのかもしれない。そう思いつつも、タムは寒気を覚えた。
歩けども歩けども、目的の場所は見えてこなかった。
「まだなのか」
タムは言った。
「まだです。もう少し歩きますよ」
ルドノフが答える。
小一時間もすれば日は沈んでしまうだろう。夜道の中を歩くのは不安だった。
タムはふと、サンディの口数が少ないのが気になった。元より多弁ではないが、今日は輪をかけて無口である。どうかしたか、と尋ねてもかぶりを振るばかりだ。
疲れたのだろうか。だが彼は象だ。これしきの距離を歩いただけで、押し黙るほど疲れるだろうか。
そこであることを思い出した。そうだ、サンディは象なのだ。
「おい、サンディ。私達をお前の背に乗せてくれ」
しんがりを歩くサンディにタムは言った。ルドノフには聞こえていないようだ。
サンディの歩みがタムの言葉をきっかけに遅くなり、タムもそれに歩調を合わせた。気づかぬルドノフだけがどんどんと先へ行く。
「お断りします」
視線を落としたままサンディは言った。
「どうして。疲れているからか」
「疲れてなどいません」
「それなら、何故」
理由を言いたくないのか、象は堅固に唇を引き結んでいる。表情は変わらないものの、口元にはやけに力が入っていた。
もしや彼は、ルドノフが気に入らないのではないか。タムはそう推察した。
「さっきの話が気になるのか。聞かなかったことにしてやれよ」前を歩くルドノフの耳に届かないよう、声をひそめる。「本心じゃないさ。頭に血がのぼっていたせいで、あんなことを口走ったんだ」
説得しようと試みたが、サンディがルドノフを背に乗せることを承諾することはなかった。
それにしても、あの発言を聞いただけでそう頑なになるだろうか。何がそれほど気に障るのだろう。
「彼は象を嫌っていますよ」
出し抜けにサンディが言った。
「ルドノフが? そう言ったのか?」
「いいえ」
サンディが呟く。
「そんな気がするだけです」
それきり、また喋らなくなった。
よくわからない。何故従者は、ルドノフが象を嫌っていると思うのか。これまでの言動や態度を思い出してみても、思い当たる節はない。
いくら首をひねってもわからず、タムも黙って歩き続けた。
どこを見ても岩ばかり。荒れたさみしい風景が続いていた。時折埃っぽい風が吹き、口の中がざらつく。
そこには虫や小さな動物もいたのだろうが目に入らず、全てが死に絶えてしまった世界のように見えた。
どこまで行っても、こうなのだ。前にもこうして、こんなところを歩いたことがある。
そしていつか、また歩くのだ。
そんな不思議な妄想にひたっていると、ついに建物が見えてきた。
建物の残骸と言うべきかもしれない。石や土でできたそれはかなり大きく、かつては何十人もの人間がそこにいたことが知れる。横長の二階建てで部屋がいくつもあるが大方は崩れている。
「大昔の要塞でしょう」とルドノフが言う。
「誰かいるようですよ」
サンディの指さす方には、動いている人影があった。
「ここに住んでいるのだろうか」
「暮らすには不便な場所に思えますがね」
危険な人物であるという可能性も捨てきれず、慎重に近寄ってみることにした。そして男を観察して、とりあえず危なくはないだろうという意見でまとまった。
男は僧侶だったのだ。ひと目でわかる。髪を剃り、法衣を着ているからだ。
まだ日は落ちていなかったが、男は火を焚き、小枝のようなものをくべていた。そばには大量の薪が積み重なっている。一晩中火を焚き続けようとしているかのような量だ。
三人が近づいてきたことに気がついた僧侶らしき男は立ち上がった。
「旅の者です。今晩、ここにとめていただきたいのですが」
タムが言うと、男はわずかに微笑んだ。
「構いませんよ。もっとも、ここは私の住まいではありませんが」
男はかなりやつれていて、法衣も薄汚れていた。腕にたくさんの傷がある。
坊さんの中には己の体を痛めつける苦行とやらをする者がいると前に耳にした覚えがあるし、あの傷もそういったことで負った傷なのだろうか。そんなことをタムは思った。古い傷から新しい傷まで無数に残っている。
男はセパーダと名乗り、三人を焚き火の周りに座るようにうながした。
タムは、サンディとずっと旅を続けているのだと話し、ルドノフとは会ったばかりなのだと説明した。
奴隷の身分であることは伏せたのだが、ルドノフは刺青を見せて自らそれを明かした。刺青を見せたのはやけっぱちになったというより、それがいかに不当であるかをより強く主張する意図があるように思えた。
「僕は元々海の向こうの別の国に住んでいたんですがこの地に来て親を亡くし、今では奴隷の印を刻まれて家畜以下の扱いを受ける日々です」
簡潔な身の上話を終えると、ルドノフは抱えた膝をひきよせ、あごをのせた。そんな彼をセパーダは目を細めて見つめている。
「随分とご苦労をなさった様子だ」
「ここは酷い国ですよ」
そう言ってルドノフは膝に顔をうずめた。
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