03


「これでは足りないか」
 男は顎を引き上目づかいにタムを見てから、金貨を数枚手にとって調べた。本物だということがわかると、全て受け取って枚数を数え始めた。
「売るのか、売らないのか」
 人間を売るだの買うだのとタムも言いたくはなかった。しかしこうでもしなければ、欲深そうなこの男は青年を手放さないだろう。
「少ないが、まあいい。特別に売ってやる」
 少ないというのは嘘だ。本当に金額が少ないならば売ることなどない。
 さっさと金貨をしまうと、男は馬へまたがった。青年に視線を投げたが声はかけずに手綱を引く。
「もうそいつはお前のものだ。こき使うなりいたぶるなり、好きにしろ」
 嫌な言葉を吐いて笑うと、男は去っていった。
 男の姿が見えなくなると、タムは青年の方を向いた。青年はうつむいている。
「大丈夫か?」
 どうにか事が上手く運んで、ほっとしながらタムは彼に声をかけた。
「あなたは何者なんですか」
 やっと青年はそう言った。警戒されているようだったが、無理もない。急に現れて自分を買うと言い出した男を怪しむのは当たり前だ。
「私はタム」
 タムは笑顔を見せた。「怪しい者ではないよ。お前を助けてやりたかったんだ」
 鞭で打たれた肌は赤くなり、顔の痣も痛々しかった。視線をさまよわせてから、青年が顔を上げる。目が合った。澄みわたった春の空のような青い瞳だった。
 タムは彼の目を見て、少し意外に思った。戸惑いこそ消えないものの、どこか挑戦的で弱々しさは感じられなかったからだ。
「見ず知らずの僕を、大金を投げうってまで助けようとしたと言うんですか」
「あの金はあってないようなものだったんだ。拾いものだから。見ていられなかったから助けただけだ。それだけだよ」
 ポケットの中はさみしくなったものの気は楽になっていた。自分が大金を持っていると思うとどうも落ち着かなかった。これで良かったのだ。
 男は去ったというのにサンディは出てこなかった。
「サンディ、来いよ」
 タムに言われて、サンディは姿を現した。また見知らぬ人物が現れたことで、青年は緊張した様子だった。
「あいつは私の従者だから、心配することはない」
 どうしてなかなか出てこなかったのかと問うたが、サンディはそれに答えず青年を見た。青年もサンディを見る。視線が交わる前に、サンディは目をそらしてタムの方を向いた。
「首尾よくいったようですが、これからどうするんですか」
「何が」
 サンディがタムの腕を引っ張り、青年から離れる。
「助けた彼のことですよ。ここに置いていくわけにはいかないでしょう」
 そうなると、連れて行くしかない。
「助けたからには面倒を見るべきだろうな。とりあえず、町まで行けばどうにかなるだろう」
 タムが言うと、サンディは断りもなくタムのズボンのポケットに手をつっこんだ。抵抗する間もなく、一枚の金貨が取り出される。
「全部差し出したわけではなかったんですね」
「一枚だけだよ」
 奪い取ってポケットに戻す。
 男に金を見せる際、一枚だけ残したのだ。偶然と言えば偶然、故意と言えば故意だ。
 それにしても、サンディは何故見抜いたのか。いつもこの象には何かと見透かされている。
 金を残したことへの些少の後ろめたさがあったが、気を取り直してタムは青年に言った。
「東に行こう。町があるそうだ」
 青年は唇を噛み、首を横に振った。
「町には行きたくありません」
「それは、どうして」
「僕は西の町から東の町へ連れて行かれたんです。今は、その帰り道でした。売れ残りなんですよ、僕は」
 サンディがタムの横に並ぶ。「去ったあの男は奴隷商人だったのでしょう。西の町から東の町へ、奴隷を売りに行ったのです」
 うつむきがちの青年は、その言葉に頷いた。
 それならば、どうしたものか。タムは首を傾げて悩んだ。どちらの町でも辛い経験をして、だから行きたくないと言うのだろう。もっと遠くの町へ行くのがいいだろうが、日没までに到着するのは無理だ。
「泊まるところがあればいいんですがね」とサンディ。
「近くに廃墟があるんですが、そこはどうでしょうか」
 青年が言った。
 廃墟か。かんばしくはないが、外で寝るよりまだいい。青年の案内で、タムとサンディは歩き始めた。
「助けていただいて、ありがとうございます。何も差し上げることはできませんが、心より御礼申し上げます」
 青年は足を動かしながら言った。薄っすらと笑みを浮かべる。信用する気になったようだ。
「僕の名前は、ルドノフです」
 ルドノフは自分が売れ残った理由を淡々とのべた。
「ひ弱で、すぐに病気でもしてしまいそうだと思われたんでしょう。僕は肌が白いから、余計に不健康そうに見えたんじゃないかな。売れ残ったんで主人は激高しましてね。僕を殴りつけました」
 見ればルドノフは確かに貧弱と言える体つきだった。力があるようには見えない。しかし彼が敬遠されたのは、別のことに理由があるのではないか。タムは密かにそう考えていた。
 ルドノフは賢そうな面差しをしている。彼の目はどこか理知的で、挑むような視線を相手に向ける。それが主人や、買い手の気に障ったのではないか。
「ルドノフ、お前の生まれはどこなんだ?」
 タムは何となしに尋ねてみた。ルドノフは国の名らしきものを口にしたが、タムにはわからなかった。北の大陸です、と補足されるが、タムはそもそも今いる場所がどこなのかも知らないのだ。
「ここは西の大陸です」
 後ろを歩くサンディが小声でタムに教えた。
 やがてルドノフは自分の生い立ちについて話し出した。
 故郷でルドノフは両親と三人、それなりに裕福な暮らしをしていたそうだ。彼は学問をさせてもらっていた。ところが数年前、父の提案で国を離れることになった。船に乗り、西の大陸へと渡った。
 しかし両親は流行り病で亡くなり、ルドノフ一人が残された。路頭に迷っているところを拾われ、奴隷として売り飛ばされる羽目となった。
 ルドノフは右の上腕外側にある、刺青を見せた。逆三角形の模様のそれは、奴隷である印だ。左足首にもあった。
「この辺りの国は酷いものですよ。奴隷を人間だと思っていないんです。牛や豚と同じ――いや、それ以下だ。みんな奴隷を家畜以下といったような目で見ている。許されることじゃない」
 ルドノフは幾分興奮していた。
「奴隷と商人の、何が違うと言うんですか。同じ人間なのに差別され、蔑まれたり虐げられたりするのはおかしい。間違ってる。そうですよね?」
 前を歩くルドノフは勢いよく振り返り、タムはその迫力に思わず頷いていた。
「僕の父上も嘆いていた。貧富の差が、使う者と使われる者を生み出してしまうと。僕の家にも使用人がいました。ですが父は、使用人にも家族のように接していたんです。我らは同じ人間だ。そう言っていました。僕の国で働いている使用人はそれなりの権利や自由を持ち、皆幸せそうにしていましたよ。それに比べてこの国はどうです? 慈しむ心がなさすぎる――」
 ため息をついてルドノフは続けた。



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