闇の咆哮:01


 うつ伏せになって寝ているようだった。何かに右手をのせている。
 眠りから覚める時というのは、意識がはっきりしないものだ。頭の中がぼんやりとしている。
 タムは右手の下にあったものを、何気なく顔の方へ引き寄せた。無意識の、意味のない行動だった。
 目を開けるとそれが眼前にあって、あまりに近くにあるものだから、正体がわからなかった。眉をひそめ、タムは肘をついて上体を起こした。両手でそれを包み込んで。
 そこは薄暗い場所だったが、手に持ったものが何であるかを確認するには十分な明るさがあった。
 骨だ。
 それも、人間の頭蓋骨だった。
 頭蓋骨と認識した瞬間、タムは絶叫した。声が反響する。
 視界の隅に何かが映った。
 大蛇だ。
 縞模様の気味の悪い大蛇が体をくねらせながらこっちに向かってきている。再び絶叫すると、絶叫したままタムは即座に立ち上がって駆け出した。
 しかし何かに躓いて勢いよく倒れ、それと共に声は途絶えた。
 したたかに顔を打ち、痛みにうめく。
「騒がしいですね。どうしたっていうんですか」
 抑揚のない声が降ってきた。気遣いはまるで感じられない。その声の主は確認するまでもない。タムは息をつき、顔を上げた。
「目を開けたら骨と蛇が目の前にあったんだ。びっくりするのは当然じゃないか」
 人の姿をしたサンディは少し間を置いて言った。
「骨というのは」タムを見下ろし、指をさす。「それですか?」
 彼が指さす方を目でたどる。タムの右手だった。
 あろうことかタムはあの頭蓋骨をしっかりとつかんだままだったのだ。短い悲鳴をあげて投げ捨てる。骨は乾いた音を立てて地面に転がった。
 やや落ち着きを取り戻し、辺りを見回してみた。右にも左にも切り立った崖が迫っている。空は細く狭くしか見えず、どうやらここは谷底のようだった。
「深い峡谷のようだが、出られるんだろうな」タムは言った。
「はい。もう少し行けばここを抜けられますよ」とサンディ。
 足をさすりながら立ち上がろうとしたタムは、自分の躓いたものに注目した。石ではない。ほとんど地面に埋まっているが、箱に見えた。箱の角だ。
「これは、何だろうな」
 言ってタムは箱の周りを手で掘り始めた。土が固くて、なかなか掘り進まない。
 立って見ているだけのサンディにタムは声をかけた。「お前も手伝えよ」
 不承不承といった様子でサンディも掘る。指が痛むので途中からタムは近くに落ちていた石を使った。
「この箱がどうかしたんですか」
 サンディはタムをちらりと見た。
「いや、何となく気になって……。もしかしたら財宝が入った宝箱かもしれないぞ」
 冗談めかしてタムが言う。
「中に入っているのが骨とも限りませんけどね」
「嫌なことを言うなよ」
 それほど大きな箱ではなかった。木箱で、多少重量がある。簡単に開きそうだった。だが、いざ開けようという時になってタムは怖気づいた。
 サンディの言うように骨が入っているかもしれないし、蛇が何匹も飛び出してくるかもしれない。中身が何だかわからないのに不用意に開けるのは危険ではないだろうか。
 離れたところの岩陰に身を隠し石を投げて箱に当て、壊して開けるのが得策かもしれない。
 悩むタムに、サンディは言った。「開けないんですか」
「だって……」
 今考えていたことを口にしたら、サンディは馬鹿にするかもしれない。それとも、あまりに臆病な主人を憐れむだろうか。
「わかったよ。開けるよ」
 骨も蛇も、そう何度も出てくるわけがないじゃないか。そう思って箱に手をのばすと、先程投げ捨てた頭蓋骨がこっちを向いていることに気がついてタムは唾をのんだ。
 サンディはタムを見つめていて、まるで急かされているかのような気分になってくる。半ばやけくそになってタムは勢いよく箱を開けた。
 その中には、タムが恐れていたどちらの姿もなかった。
 無言でタムは、丸くて平べったいものを取り出した。
「金貨じゃないか?」
 ぽつりと呟く。
「そのようですね」
 サンディは数枚取り上げ、目を近づけてみたり指ではじいたりしている。汚れてはいるものの、輝きはそれほど失っていない。
「本物か?」
 半信半疑でタムが尋ねる。
「おそらく、本物でしょう」
 金貨は箱いっぱいに入っているわけではなかった。せいぜい三十枚かそこらだろう。しかし、金貨だ。相当な額ではないだろうか。
 本当に財宝が入っていた。嘘から出たまことである。
「タムもたまには恵まれることがあるんですね」
 淡々としているがどこかしみじみしたようにサンディが言った。
「たまにとは何だ」
 言い返したがしかし、その通りだと思った。いつだってタムはついていないのだ。
 やっと自分にも運が向いてきたのかと内心喜んだタムだったが、すぐに思い直した。
 いつもついていない人間の中には、突然の幸運を疑う者がいる。幸運だと思ってとびついてみたものの、裏を返してみればそれがとんでもない不運だったということがあるからだ。
 タムもそうして、急に転がり込んできた幸せを手放しで喜ぶことができない者の一人だった。
「これの持ち主は、どうなったんだ?」
 この箱はとても誰かが偶然落としたようには見えない。埋まっていたのだし、隠したものだろう。タムがそう言うと、サンディは「おそらくそうでしょうね」と頷いた。
「ここより北と南には大きな町があり、隊商などが行き来しています。彼らの通る道は大体決まっていて、この谷はそこから離れています。谷を通れば落石などの危険もありますし、遠回りになるのでここを通る者はそういないでしょう。だからここに隠したのかもしれません」
「金貨を隠した奴は、死んだんじゃないのか?」
 タムは声を落とした。サンディがわずかに首を傾げる。鈍い奴だ、とタムはいらつき、さっき投げた骨を指さした。
「あれが金貨の持ち主だよ。この谷から出られずに、息絶えたんだ」
 なるほど、と言うかと思えば、サンディは意外にも否定的な意見を口にした。
「そうと決まったわけではないですよ。この谷は確かに安全ではないですが、死の谷、と呼ぶほど危険でもありません。先程言いましたが、もっと歩けばすぐに抜けられる谷なのです。何らかの理由で、ここらで果てた人間がいるようですが、箱を埋めたのがその人間と同一人物だとは限りません」
「もしかしたら、落ちたのかも」とタムは推理した。「この谷へ落ちて身動きがとれなくなり、最後の力を振り絞って金を隠したんだよ」
 サンディが仰向いた。
「落ちた、ですか。あの高さから落ちれば、金を隠す余力もないと思いますが」
 タムも見上げた。
 そうかもしれない。というより、そうだ。落ちれば即死だろう。助かる高さではない。それにあの粗末な箱は谷へ落ちてしまえば壊れてしまう。



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