09


「何だって?」
「あなたがダーニャを助ける為に行動を起こすだろうと、事前にダーニャから聞いていたのです。だからこの件は丸く収まると。口止めはされていませんでしたが、タムは私の話を最後まで聞かずに行ってしまいました。ダーニャが是非その様子を見物したいと言うので、私が運んできたのです」
「ごめんなさいね」
 ダーニャは笑いすぎたあまり目に浮かんだ涙を拭い、尚も笑っていた。


 不機嫌面を色濃くし、タムはダーニャの前に座っていた。
 隣には人の姿のサンディがいる。またダーニャの家へ戻って来たのだ。
 タムには不愉快なことばかりだった。ダーニャもサンディも、こうなることを知っていたくせに話さなかった。自分だけのけものにされたような気分だ。
 私だけが必死になって、馬鹿みたいじゃないか。面白くない。
 ダーニャの命を救おうと一生懸命になっていた姿を、他の誰でもなくそのダーニャに笑われて、面白いわけがなかった。
「まだ怒っているの? 謝っているじゃない」
 ダーニャは微笑んだ。
「怒ってなどない」
 タムがそっぽを向いた。
「勇敢なあなたのおかげで、私の命は助かったのよ。お礼を言います。ありがとう」
 そうだ。
 何はともあれ、助かった。
 ダーニャに何かしてやれたという事実は、タムの心を励ました。それでも、彼女を残して去ることに対する後ろめたさは消えることがなかったが。
 用は済んだ。今度こそ、この村を去るのだ。
 タムには一つ気がかりなことがあった。
「あの使者達が村へまた来たら大変なことになるんじゃないか?」
 少しすれば彼らも立ち直り、怒りがこみあげて仕返しに来るかもしれない。それが不安だった。
「それはないわよ。実はね、彼らは国へ帰る間に、じいさまは占い師ではなく呪術師だと思うようになり、上へそう報告するのよ。あの村には恐ろしい力を持った呪術師がいるから近寄らない方がいい、という話になるわけ。あなたが心配するようなことは起こらないわ」
 それなら良かった。彼らがそう思うのも無理はないかもしれない。確かにあれは、呪術と言っても過言ではないようだ。
 タムは立ち上がろうとしたが、思い直してまた座った。
 ダーニャの顔を見る。容顔美麗な彼女の瞳は、暗く悲しげだ。どんなに笑っていても、瞳だけは物悲しげだった。
 ここから立ち去る時に、その悲しみも自分が持って行ってやれたらいいのに。
「私達は、またどこかで会うだろうか」
 期待を込めて、タムは言った。ダーニャにならわかるはずだ。
「会わないわね。二度と会わない。これが本当の別れになるわ」
 にべもなくダーニャが答える。
 そうか、それは残念なことだ。と感じるのは、どうやら自分だけのようだ。タムはため息をついた。彼女にとって自分は、ただ村へ立ち寄った旅人で、それ以上でも以下でもないのだ。
「タム、ちょっと」
 ダーニャが手招きするので、タムは深く考えもせずに身を乗り出した。
「もうちょっと、近くへ来て」
 何だろう、ともっと身を乗り出す。
 するとダーニャがそっと唇を重ねた。
 突然のことだった。その瞬間タムは硬直し、息すら止まった。頭の裏側が痺れ、何が起こったのか理解することができなかった。
 感情らしい感情は全てどこかへ吹き飛んでいて、ただはっきりと、唇に触れる柔らかさを感じていた。ダーニャの唇は冷たかった。
 ダーニャは顔を離すと、この上なく美しい笑みを満面に湛えて、最後の言葉を口にした。
「さようなら、タム」
 その時タムは、この上なく間の抜けた顔をしていた。


 ダーニャの家を出て村の外へ通じる道を歩いている間、タムは抜け殻のようになっていた。並んで歩く従者も長いこと主人に合わせて黙っていたが、いくらか村より離れてから「タム」と名を呼んだ。
 タムはそこで、どこかへさまよっていた自分の魂のようなものが体へ帰ってきたような気がした。
 そう言えばこいつには全て見られていたんだ、と思うと顔が熱くなった。
「何だよ」
 タムは問うが、サンディは答えない。
「何だよ!」
「顔が赤いですよ」
 言われて更に赤くなった。顔から火が出そうだった。耳まで熱い。顔が赤くなっているのを見られていると思うと、余計に赤くなるようだった。
「見るなよ」と言って顔をこする。
 こすってもこすっても、その赤みは塗料のようになかなか落ちなかった。
「言っておくが、私はな……」
 勢いよくサンディの方を見ると、黒曜石のような瞳でサンディが見つめ返した。
「何でしょうか」
 言い訳したところで無駄か。私は思ったことが顔に出てしまうようだから。タムは弁解するのを諦めた。
「何でもない」
 そして、両手で顔を覆った。



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