08


 タムは立ち上がった。この時、もう後先のことを考える余裕などなく、迷いもなかった。
「じいさま、おられますかじいさま!」
 首をめぐらせてタムが声を上げた。タムと目が合った少年が「俺、じいさまを呼んでくる」と言って駆けだす。ドゥニ・ファオエンだった。ドゥニに連れてこられたじいさまは昼寝でもしていたのかしょぼしょぼとまばたきをし、眠そうな足取りでやってきた。
「何事だね」
「じいさま!」
 タムはじいさまの手をとった。
「おや、あんたは……」
「じいさま、占いをして下さい。あなたに占ってもらいたいという方々がいらしているのです」
「我々は占ってもらいたいなどとは言っていないのだが」
 使者の男が言った。タムは男を睨んだ。
「あなた方にも是非、その身をもって知っていただきたいのです。この方のお力がどれほど優れているかということを」
 男達は眉間にしわを寄せながらも納得した。噂の真偽を確かめるには、その方がてっとり早いと思ったのだろう。
 じいさまはというと、感動して目をうるませていた。儀式を始める気になったらしく、いそいそと例の小屋へと向かって行った。
 タムにとっては賭けだった。男達が噂の予言者の歳や性別を知っていたら嘘がばれてしまう。だがその心配はなさそうだった。
 男達とタムはじいさまの小屋の前に立った。村人達は巻き込まれることを恐れてか、やけに遠巻きに見守っている。
「いいですか、占いの最中は一切、余計なことを言わないように。尋ねられたことだけに答えて下さい。さもなくば神罰がくだります」
 二人を座らせたところで、じいさまは現れた。昨日よりも気合いが入っているらしく、頭にさしている羽根の量は倍に増えていた。化粧も迫力がある。
 使者達は呆然とじいさまを見上げていた。
 じいさまは、まるでそこには自分だけにしか見えない特別なものがあるかのように、中空を睨んで手に持った枝を小刻みに揺らしていた。そのうち振り幅が大きくなっていく。高い声で叫ぶと、じいさまは二人の男の頭を枝で殴った。折れた枝が飛んでいく。
「何と無礼な!」
 男の一人が膝を立てたので、タムはじいさまの手から枝をもぎとって男の眼前につきつけた。
「お前の方が無礼である! これは儀式だ! 神罰を恐れるなら、おとなしくしているように!」
 タムの気迫におされて、男はまた正座した。その間に新しい枝を小屋から持ってきたじいさまは、踊りながら呪文を唱え始めた。相変わらず出鱈目だ。手を動かし腰を振り、頭を激しく揺らしている。
 手順を知っているタムは傍らで花を持って控えていた。じいさまは花を受け取り、腕を振り回した。男達は目を離したくても離せない様子だった。
 タムは恭しく、水の入った器をさし出した。じいさまがそれを口に含む。
 男達の顔に「まさか」という予感がよぎったようだった。顔が引きつっている。
 じいさまは躊躇いなく水を吹きつけた。顎から水を滴らせた男達は半ば放心状態に見えた。
「お前は以前、腕の骨を折ったことがあるだろう!」
「いや、ない」
 右の男が答える。
「ならば、お前はどうだ!」
「私も、ない」
 左の男が答えた。
 タムの時と同じような会話が、じいさまと男達の間で繰り返される。そろそろ終わりかと思ったら、じいさまはタムにあの赤い塗料を持ってくるよう指示した。
「お前達には魔の物がとり憑いている。私がそれを祓ってくれよう」
 最早占いとは関係がなくなってしまっていた。
 じいさまに赤いものを顔中塗ったくられた男達の姿は滑稽だった。言葉を発する元気もないようで、項垂れている。
 タムには彼らの気持ちがよくわかった。何時間もじいさまの相手をしていると、生気が吸い取られたようになってしまうのだ。
 とどめに、じいさまは踊りだした。タムもそれに合わせて踊りだす。
 出まかせの呪文を唱えながら、両手を天に突き上げ、激しく腰を振る。タムとじいさまは打ち合わせでもしていたかのように息が合っていた。手を振り回し足を踏み鳴らし、どのくらいそうしていただろう。
 もう許してくれ、と懇願するように男達はじいさまとタムを見ている。踊り疲れたタムは膝に手をつき、呼吸を整えた。
「さあ、じいさまの力が本物だということはわかったでしょう。如何なさいます」
「我々は、もう、帰る」
 男の一人が呟いた。ゆっくりとした動作で立ち上がる。
 白い衣には赤い塗料の滴ったあとが点々とついていた。だからもう汚れても気にもならないのだろう、使者達は服で顔をこすっていた。塗料は乾きつつあったので、ほとんど落ちないようだった。
 男二人は虚ろな目でタムとじいさまを一瞥した。頭のいかれた気の毒な奴らだ、と思っているのだろうか。
 どう思われようとも、タムは構わなかった。彼らには、この村には予言者などいないと思わせ、帰ってもらわなければならない。
 だからじいさまに会わせたのだ。酷い目に遭わされた二人が怒り狂うのでは、という心配がないこともなかった。しかしじいさまの占いの後には怒る気力などわいてこないことはタムが身をもって経験している。
 そして、男達もタムと同じように怒りだす気配はなかった。
「もうお帰りになるのですか。もう少し、ゆっくりしていかれたらどうですか」
 馬の元へ向かう使者を、タムはわざわざ引きとめた。使者は浅く振り向くと、「もう結構」と短く答えた。一刻も早くこの場から立ち去りたいようで、その後は一言も喋らなかった。
 最後に「騒がせたな」と言い残すと馬へ跨り、去っていった。じいさま一人が満足した様子で家へ帰っていく。見物している村人もいつの間にか数人だけになっていて、彼らも散っていく。
 タムは急に、気が抜けた。腰も抜けそうになった。
 どうにか彼らを追い払ったのだ。
 安堵の波が胸に押し寄せる。これで、ダーニャが殺されることはないのだ。
 すると突然、タムの耳に誰かの押し殺したような笑い声が届いた。
 見ると、象の姿をしたサンディが鼻に誰かを抱き、こちらへ来るところだった。その誰かとは、ダーニャだった。サンディの鼻にすがりつき、肩を震わせている。
 タムは目を見開いた。
「ダーニャ!」
「さっきの踊り――」
 ダーニャがぷっと吹き出す。
「傑作だったわ!」
 ダーニャは今までに見せたことがないような、心の底から楽しそうな顔で笑っていた。歳相応の、娘の顔だ。腹を抱えて笑っている。
 状況がのみこめず、タムはぽかんとして彼女を見ていた。
「タム、ダーニャはこうなることまで全て見通していたんですよ」
 そう言ったのはサンディだ。タムはもっと目を見開いた。



[*前] | [次#]
しおりを挟む
- 37/59 -

戻る

[TOP]
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -