07


「私に何かできることがあればいいのだが」
 お前にしてやれることがあれば。
「ないわよ」
 にっこりとしてダーニャは言い切った。それこそ、微塵の期待もこもらない声で。タムは項垂れた。
「最後に、話しておきたいことがあるの。よく聞いてちょうだい。大事なことだから」
 彼女の顔から、すっと笑みが消えた。一度も見せたことのない、真剣な面持ちだ。何だろう、と緊張し、タムは口元を引きしめて姿勢を正した。
「私はこんな力を持ち、足も悪く生まれてきた。人は私を見て、不幸な娘だと思うでしょうね。だけど、私は不幸にならない方法がある。それは、私が不幸だと思わないこと。どんなに周りが私のことを不幸だと思っても、私さえ自分が不幸だと思わなければ、私は不幸な娘にはならない。どんなに気の毒なことでも、ひとつの事実をどう捉えるかはその人の自由なの。そうでしょう? もっとも私は、自分の境遇を心から幸せだと思うことはできないけど。私は小さな人間で、どんなことも明るく受け止める勇気がないから」
 言って足をさすった。長いまつ毛を伏せる。
「私には未来が見える。でも、人の心までは見えないわ」
 誰かがいつか死ぬ光景が、ダーニャには見える。彼女にはそれが誰で、いつ死ぬかがわかるのだ。しかしその人がどのような想いを抱き、何を考えながら死ぬのかはわからない。
「結局私は、自分が幸福だと思えない。それなのに、私ができないことをあなたにしてほしいと望むのはずるいかもしれない。それでも、あなたには……」
 ダーニャは口をつぐんだ。目を閉じる。
 とてももどかしそうだった。先のことは詳しく話してはならないという戒律を守っているのだろう。どうしても言っておきたいことがあるのだが、それについてはっきりと触れることはできない。だからこうした言い回しになっている。
 タムの胸はざわついた。
 ダーニャに見えている私の未来は、どんなものなのだろう。
 張りつめた彼女の顔を見る限り、喜ばしいことではないようだ。そしてそれは、いずれ訪れる。
 どんな未来だというのか。知りたかったが、タムは尋ねようとしなかった。彼女も答えなかっただろうし、何より大切なのはその出来事そのものではないようだったからだ。
「タム、この世には二つあって初めて存在するものがいくつかあります。光がなければ影はない。影がなければ光はない。裏と表、始まりと終わり。これらのものも、片方だけでは不完全なものよ。私の言っていること、今はまだわからないかもしれない。ただ、心にとめておいてほしいの」
 厳かとも言える口調でダーニャは言った。
 タムは彼女の言葉を、心に刻んだ。いつでも思い出せるように、しっかりと。不思議とそれがいつか、自分を助けてくれるように思えたからだ。
「どうかあなたには全てのものを厭わないでいてほしい」
 ダーニャはそう締めくくった。静かに、祈るように言った。
 ふと彼女の目に、何かが光ったように見えた。涙のようだったが、本当にそうであったのかはわからない。
 また微笑むとダーニャは「道中気をつけて」と頭を下げた。
 これでお別れだ。
「お前も元気で」
 タムは腰を上げた。ダーニャが頷く。
 出て行こうとしたところで、引きとめられた。
「ああ、タムはいいのよ。サンディ、あなたに話があるの。タムは邪魔だから出て行って」
 ダーニャはぞんざいに手で追い払うような仕草をした。サンディが腰を下ろす。あんまりじゃないかと思いながらも、邪魔者扱いされたタムは渋々先に家を出た。


 村から出て、タムはサンディと並んで道を歩いていた。
 タムの気持ちは沈んでいた。彼女にしてやれることはなかったのか。そのことばかり考えていた。どれほど考えたところで、何もしてやれないのはわかりきっていたのだが。
 足取りは重く、タムはため息をついた。自分の無力さが情けなく、彼女に対して申し訳なく思った。
 またため息をつこうとしたところで、何かの音が聞こえてきた。近づいてくる。
 前方から、馬が二頭とそれにまたがった男が二人やってきた。白い衣を身にまとい、腰には剣を帯びている。身なりは小奇麗だし、村人ではないようだ。
 旅人か。それにしては、馬にほとんど荷を積んでいない。
 男二人はすれ違う時にタム達を見下ろしていたが、声をかけてくることはなかった。そのまま馬は緩やかな足取りで村へと向かっていく。
「あれは何だろうな」
 タムは肩越しに振り返りながら言った。落ち込んでいるせいか頭が働かず、彼らの正体について考えてみようとしなかった。ただ気になって、そう口にした。
「ここより東にある小さな国からやって来た使者でしょう。あの村に用があるのです」
「用とは何だ」
「噂を確かめに来たのです」
 タムは思わず足を止めた。それにならい、サンディも立ち止まる。
「噂だって?」
「この村に予言者がいるという噂です。真偽を確かめる為に、彼らは国から使わされたのでしょう。噂が真実であれば連れて行こうとしているのです」
 自分の血の気の引く音が、タムには聞こえるようだった。混乱はしていたが、しかしサンディの言っていることの意味は理解できていた。それが恐ろしいことだということを。
「どうしてお前はそんなことを知っているんだ」
「ついさっき、ダーニャと二人きりになった時、彼女からその話を聞かされていたもので」
「もっと早くに言え!」
 タムは踵をかえして走り出した。サンディが何か言ったようだったが、構ってはいられなかった。
 昨日ダーニャから聞いた話を思い出す。彼女の声が耳の奥で響いていた。
 ――私が村から出るようなことになれば、村人は私を殺すわ。
 ダーニャが村から出ることは、村人が許さない。それならば誘いがあっても村を出なければいいのだが、もしあの二人組が強硬手段に出たらどうなるだろう。ダーニャを予言者だと認め、使者は一緒に来て国に仕えろと命令する。それを拒めば殺す、と脅さないとも言い切れない。
 そうなったらダーニャはどの道殺されてしまうのだ。
 彼女には先のことがわかるはずだった。こうなることも知っていただろう。それなのに、話さなかったのは何故なんだ。
 言ったところで、どうしようもないことだからか。
 己の死は決まっているからか。
 それが運命で、抗ってはいけないからだろうか。だから教えてくれなかったのだろうか。
 私は認めないぞ。ダーニャが今日命を落とすことなど認めない。私の手が届くところにいながら死ぬことなど、許さない。
 タムは懸命に走った。この身がどうなろうとも、彼女の命は助けたい。そう思って走った。
 まだそれほど村から離れていなかった為、家々はすぐに見えてきた。あの二人組が馬から降り、村人が何人か集まってきている。
「この村には大層な予言者がいるそうだな!」
 一人が声を張り上げる。
 村人たちは突如現れた高圧的な態度の男に畏縮し、顔を見合わせていた。
「おられます!」
 走りながら、声の限りにタムは叫んだ。
「この村には偉大な予言者様がおられます! 神から力を賜った予言者様が!」
 息を切らし、タムは二人の前に歩み出ると膝をついて頭を下げた。今度は使者の二人が顔を見合わせる番だった。
「何だ、お前は」
「この村に住んでおります、その方の弟子です」
 村人の顔には困惑の色が浮かんでいたが、口を開く者はいなかった。誰もが傍観することを決めこんでいるようだ。



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