06


「今夜は野宿になりそうですよ」
 サンディもそんなことを言う。
「どういうわけだ」
「村の子供達が話していたんです。じいさまが今夜は家族以外の者を各々の家に泊めてはならないと言っていたそうです。これを破った者には恐ろしい災いがふりかかると」
 それもまた占いらしい。じいさまが無茶苦茶なことを言い出しても、村人は大抵それに従う。本当にじいさまの力を信じているから従うのではない。災いとはじいさまそのものなのだ。言いつけを守らなければ手のつけられないことになる。
「面倒な村だな」
「じいさまも、普段は悪い人ではないのだけど」
 ダーニャも困ったように肩をすくめた。


 やはり誰も、家に泊めてはくれなかったが、やたらと親切だった者がいた。
 例の占いをするじいさまだ。占いの最中とはうって変わり穏やかな老人だった。家には泊められないが、占いで使っている小屋で寝ればいい、とじいさまは言った。どうにか屋根のあるところで眠れることになった。
 こんな日に村へ来るとは運の悪い旅人だ、と村人は同情して食べ物を分けてくれた。こんな日、とはじいさまが張り切って占いをする日のことだった。
 日が暮れると、サンディは小屋の前で火をおこした。芋をゆでてつぶしたものと黒い米、野菜の入ったスープを手際よく作っていく。
 タムはあぐらをかき、手づかみでそれを食べた。サンディも同じものを食べたが量が少ないようで、硬そうな木の実をいくつかかじっていた。
「お前は象なのに、料理もできるんだな」
「はい。タムよりはできるかと思います」
 こいつは余計なことを一言添えないと気が済まないのだろうか。
 自分は象だが人並みに料理ができる。しかしお前はその象以下だな。――こう言いたいのか?
 いや、そこまでは言ってない。考えすぎだ。
 それにタムがまともに料理ができないというのは事実だった。料理どころか火も満足におこせない。タムは小さくなりつつある火を物憂げに見つめていた。
「タム、まだ木の実がありますよ」
 サンディが声をかけてくる。主人は腹を空かせて悲しそうな顔をしているのだと勘違いしているらしい。
「いや、もう十分だよ」
 日の出とともに起きる村人達が床につくのは早い。村は静けさに包まれていた。起きているのは見張りの者だけだろう。
 他所から責められる可能性は低い村だが、森の中ということもあり、危険な動物に襲われる恐れがあるのだ。だから村では見張りの者が火を焚いて一晩中目を光らせている。
 タムはその見張りに「占いのじいさまの小屋の前で大きな動物が寝ていても危険はないから安心してくれ」と伝えておいた。サンディが象の姿で寝たがっていたのだ。
 小屋は一人横になるのが精いっぱいという広さだった。小屋の前の焚き火を消す前にタムは鞄から本を出し、ペンを持った。

 ――私は若い予言者に出会った。彼女は過酷な運命を背負っている。惨いことだ。私が彼女にしてやれることは何もないのだろうか。偉大な力は、必ずしも人を幸せにしないのかもしれない――

 あんなに美しい娘を見たのは初めてだ、と書こうとしたが、やめておくことにした。うら恥ずかしくなったからだ。
 土をかぶせて火を消して、小屋の中に入った。枯れた木の枝だとか腰みのらしきものが置いてあり、手に当たる。それらを外に出せばいくらか快適なのかもしれないが、そんなことをしてじいさまの逆鱗に触れては大変だ。
 そういえば、ダーニャが言った「試練」とはどんなことだろう。これから会う者といつか再会するのか、それとも今まで会った者とこれから再会するのか。
 タムは何度も寝返りを打った。とりとめのないことを考えているうちに、寝付けなくなってしまった。
「サンディ、起きてるか」
 外へ顔を出すと、大きな黒い塊があった。
「ええ」
 サンディが答える。
「お前、ダーニャのことをどう思う」
「私には計り知れないほどの悲しみを抱えた不幸な方です」
「そうだな……」
 タムは空を仰いだ。雲の隙間から小さな星が見えた。
「彼女の目はルトに似ています」
「そうなのか?」
 遠い記憶の中のルトの目は、確かにダーニャに似ているものがあったかもしれない。物悲しげにゆれる瞳が、似ていたかもしれない。
「知者の眼差しの中にはいつも、悲哀の欠片が潜んでいますから」
 それが真実だとすれば、何を意味しているのだろう。知れば知るほど、憂いが深まっていくということだろうか。では、何も知らずにいれば幸せでいられるのか。
 わからない。
 サンディがものを言わなくなったので、タムも頭を引っ込めた。
 明日になったら村を出ようか。とどまる理由もない。
 ところで、私は、一体――
 タムはそこで眠りに落ちた。その先の言葉を頭に浮かべるのを拒むように。ここで浮かぶはずだった疑問は、ある者の言葉によっていずれまた浮上することになる。
 かつてないほどタムを苦しめる、大いなる謎。
 けれどもそれに苦しむのは、まだずっと先のことだった。
 まだ知らなくていい。考えなくていい。
 起きた時には覚えていなかったが、タムは夢うつつに誰かがそう言うのを聞いたような気がした。それともそれは、タム自身の声だったのかしれない。


 夜が明けて目が覚めると、小屋の外では人の姿のサンディが瓜を食べているところだった。タムも食べたが、苦くてあまり美味いとは言えなかった。
 昨日のように森の中の小川へ向かい、顔を洗った。朝の川の水は冷たかった。
「もう村を出ますか」
 タムが顔を洗う間後ろで立って待っていたサンディが言った。そうだな、と答えてタムはこう付け加えた。
「だが、ダーニャに会ってからにしよう」
 言ってから、しまった、と思った。ひやかされるのではないか。彼女に惚れたんですか――そんなことを言うに決まっている。私は断じて惚れてはいないぞ。そう言い返してやろう。
 サンディはタムの顔にひたと目を据えた。ほら、言うぞ。
 しかし従者は「はい」と言っただけで元来た道を戻り始めた。いつものように余計なことを言ってくると思い、心構えをしていたというのに。何だか肩すかしを食らったような気分だった。
 ダーニャは昨日と同じように、甘い香りが漂う家の中に座していた。二人が来るのを待っていたようだ。
「村を離れるのね?」
 彼女の問いかけに、タムは無言で頷いた。このまま去ることが後ろめたく思えたのだ。彼女が不幸でいることを知りながら村を出て行くことが心苦しかった。とは言えここにとどまっていても、してやれることはない。
「それなら、あなたと話すのもこれが最後になるわね」
 そのことについてどう思っているのか、表情から探ることはできない。彼女は大体微笑んでいるが、その微笑みはダーニャにとって無表情と同じようなものなのだ。



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