02


 そうじゃない、と駝鳥はかぶりを振った。
「あんたの名前なんていらないよ。俺は、俺の名前が欲しいんだ。俺に名前をつけてくれ」
「冗談じゃない」
 タムは走り出した。名前をつけるのは得意でなかったのだ。強大で長い足を持つ駝鳥はあっさりとタムに追いつき、襟首をくわえて引きとめた。
「お願いだ、どんな名前でもいい」
「それなら自分で好きなのをつけたらいいじゃないか」
「思いつかないんだよ!」
 逆上する駝鳥を見上げ、タムは頭を掻いた。面倒な駝鳥に出会ってしまったものだ。彼がこういう性格だと知っていれば、声などかけなかったのに。選択肢は二つあった。逃げるか、名前をつけてやるかだ。もし逃げてもすぐに追いつかれるだろうし、機嫌を損ねた彼が頭をつついてくるかもしれない。
「わかったよ。名前をやろう」
 つつかれるのは御免だった。タムは頭に浮かんだ名前を口にした。
「ソロイルスーザ、というのはどうだ」
「ソロイルスーザか、いい名前だ!」
 駝鳥は飛びあがって喜んだ。反対に顔をしかめたのはタムだった。
「待ってくれ。ちょっと、待ってくれ」
 適当に考えた名前でそこまで喜ばれると、まずいことをしたような気になった。ソロイルスーザという名前を気に入った駝鳥は、頭を揺らして踊っている。
「考えなおすよ。もっといい名前があるかもしれない」
「俺の名前はソロイルスーザだ!」
 ソロイルスーザはタムの言葉に耳を貸さず、有頂天で走り去ってしまった。恐ろしいほど速い彼の足に、タムは追いつくことができなかった。そして、茫漠たる平野に一人残された。煩わしいと思っていた者でも、いなくなるとそれはそれで寂しいものだ。その寂しさを紛らわす為に、背負っていた鞄からある物を取り出した。タムは様々なことを書き記すのが趣味で、いつも白い本とペンを持ち歩いている。
 タムは本を開いた。

 ――空と大地しかない場所で、名を欲しがる駝鳥と出会った。あまりにしつこいので、私は彼に「ソロイルスーザ」という名を与えてやった。私は彼の名付け親になったというわけだ。勢いで名を決めてしまったことが悔やまれる。彼は喜んでいた――

 彼は喜んでいたのだから、良かったじゃないか。タムは自分に言い聞かせた。そして、ソロイルスーザが去っていった方を見やる。
「さようなら、ソロイルスーザ。もう会うことはないだろう」
 駝鳥に教えられた方角へ向かって、タムは歩いた。
 ここをずっと歩いて行くと、何人かいる。そう彼は言った。どういう者達がいるのだろう。ふと不吉な光景が頭に浮かんだ。たくさんの駝鳥に囲まれ、名前をつけてくれと頼まれる光景だ。
 自然に足が止まった。そんなに多くの駝鳥に、名前をつけてやる自信はない。どうしよう、戻ろうか。ソロイルスーザの言う「何人か」が彼のような駝鳥だとは言い切れないが、そうでないと断定も出来ない。囲まれれば逃げるのは不可能だ。
 迷うタムは進むことも戻ることも出来ず、手をだらんと下げて立っていた。
 その時だった。遥か遠くから歌のようなものが聞こえてきたのだ。低く、美しい声だった。タムはしばらくその歌に聞き入っていた。はっきりした歌詞はないようで、幾人かの声が重なっている。見事な歌声だった。立ったままにもかかわらず、タムはその歌に眠気を誘われた。
「各々方。あんなところに誰かがいますよ」
 その声と共に、歌が止んだ。閉じかけていたタムの目が開く。それでも眠気が残っていたので、すっかり目を覚ますには両の手で自分の頬を強く叩かなくてはならなかった。
 いけない。立ったまま眠るなど、何たることだ。油断していたら、何か起きた時に上手く対処が出来ないではないか。何かとは?
 タムは自問する。
 何かって、例えばそう、名前のない駝鳥の集団に囲まれているとか。
 今やはっきりと目が覚めたタムは、目の前にあるものを見て驚きの声をあげそうになった。自分を囲んでいるのは、駝鳥ではなく宙に浮いた丸い塊だったのだ。ひと抱えもある塊で、薄かったり濃かったりと多少の差異はあるがどれも大地と同じ色をしている。声には出さず数えてみたところ、塊は十五あった。
「お若い方、ここで何をしておられるんですか」
 塊が言う。
「歩いていたんです」
 タムは塊を凝視しながら答えた。世の中には、変わった生き物がいるものだ。
「見かけない顔ですな。我々はてっきり、駝鳥の彼かと思ったのですが」別の塊がそう言った。
「ソロイルスーザのことですか?」
「ソロイルスーザ? 彼に名前があったのですか」
「私がつけてやりました」
 塊達は、「何と」とか「それはまた、すごい」とか口々に述べた。皆驚いているようだ。
「あの駝鳥は我々の仲間だったのです」
「随分と姿が違うようですが」
「彼も元は我々のような姿だったのですが、飽きてしまったようですよ」
 話によるとソロイルスーザは協調性がなく、しばしば仲間と意見を衝突させていたらしい。口ぶりや雰囲気からして塊の彼らは穏やかな性格のようだが、ソロイルスーザは気性が荒かった。
「気が合わなかったのですよ」一番色の薄い塊がぼやいた。
「ところで、あなたのお名前は」
「タムです」
「ここで会ったのも何かの縁です。タム殿、一緒に祝いましょう」
 明るい声で塊が言った。急な話だ。何を祝うと言うのだろう。困惑の表情を浮かべていると、最初に声をかけた塊が説明を始めた。
「これは失礼致しました。ご存知ありませんでしたか。この世界は生まれたばかりなのです。創世の喜びを今、皆で分かち合っているところでした。何かが生まれることほど、喜ばしいことはありません。我々は最初の存在、不確定生物の『塊族』と申します。さあタム殿、行きましょう」
 誘われるまま、タムは足を進めた。
 彼らに個々の名前はなく、皆で「塊族」と言うそうだ。塊族はまた歌い始め、美声を披露した。参加しようとタムは口を開きかけたが、すぐに閉じた。歌は苦手だったのだ。
 彼らは地に足をつけることがなく、常に宙に浮いていた。浮いたまま進んでいる。容姿が粘土のような彼らに案内されたところは、やはり風景は変わらないが、大きな円卓が用意されていた。
「塊族のあなた方もこの場所も、私から見ると変わっていて、驚くことばかりです」
 タムは隣にいる塊族に言った。
「そうでしょうね。生まれたばかりの世界は混沌としていますから、あなたのようにはっきりとした生き物から見れば、理解の及ばないことばかりかもしれません」
 時が経てば世界も落ち着いてきますよ、と慰めるように別の塊族が言う。
 タムは席に着き(と言っても椅子はないので、卓の前に立っただけだ)、これから何が起こるのか、と周囲を見回した。彼らはどのように世界の誕生を祝うのだろう。いささか興味があった。普通なら酒食を共にし、歌や踊りで楽しむだろう。だが卓には何も並べられていないのだ。塊族の彼らは体のつくりからして普通ではないのだし、ものを食べるという習慣はないのかもしれない。
 タムがそう思った矢先、ひとつの塊が「それでは、召し上がりましょう」と声をかけた。
 塊族の体に突起物が現れ、それはどんどん伸びていく。触手のようなそれは、隣にいる塊族の体にまで伸びた。そして、何と体をもいだのだ。もいだものを自分の体に取り込んでいる。タムは唖然とその様子を見ていた。
「如何なされました、タム殿」
 塊族は平然としている。
「私のような生き物には、共食いの習慣がありませんので……驚きました」



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