03


「どうぞ」
 彼女は手を差し出して言った。そこに座れということなのだろう。サンディはもう座っている。中腰のまま硬直していたタムは慌てて腰を下ろした。
「私はダーニャよ。ダーニャ・ルト。もうご存知でしょうけど」
 静かに言ったダーニャの顔を、タムはしげしげと見つめた。艶麗な微笑から目を離せずにいた。
 彼女はとにかく美しかったのだ。
 美しさにも色々あるが、彼女のそれは明るく溌剌としたものとは違った。さみしげな眼差しがそう思わせるのかもしれないが、それがその美しさを曇らせることはなかった。
「どうかしまして?」
 あんまりタムが凝視するので、ダーニャは笑った。
 見かねたサンディがタムの背中を遠慮せず強く叩く。そこでタムはようやく我に返り、自分が目の前の娘に見惚れていたことに気がついた。とりつくろうように咳払いを繰り返す。
「その……その、額の模様が珍しいと思って」
 タムが適当にそんなことを言って誤魔化すと、隣にいるサンディが問いただすような視線を投げてきた。象は全てお見通しのようだ。
 タムも負けじと睨み返した。サンディは何も言ってこなかった。
「これはまじないなのよ。魔除けの模様。私が描いたんじゃないわ。嫌だと言ってるんだけど、毎日のように描かれるのよ」
 ダーニャはさばさばとした口調で言った。
「もてなすことはできないけど、堪忍してちょうだい。何せ私、足が不自由なせいで自分の身の回りのこともろくにできないの」
 タムはダーニャの足に目をやった。ひざかけからのぞく彼女の足は、細すぎるようだった。その視線がくすぐったいとでも言うように、ダーニャはつまさきを少し動かした。
「動くことは動くのよ。ただ、まともに立てないし、歩けないの」
「そうか。不便だろうな」
「そうでもないのよ、生まれつきこうだから。さほど気にはならないわ」
 彼女の表情にどことなく陰りが見えたのは足が不自由なせいかと一瞬思ったが、どうやら違うようだ。言葉通り、彼女はそのことを気にしていないようだった。
「ダーニャ。お前の占いはよく当たるのか」
 タムは言った。
 特別な力を持つ者だけが授かる名、ルト。ダーニャの持つ力とは、占いの能力なのだろうか。
「占い……」
 ダーニャが呟く。
「そうね。説明が面倒だから、皆には占いだとか予言だと言っているわ。だけど本当は、そんな不確かなものではないの」
「どういうことだ?」
 目を伏せると、ダーニャは勿体ぶるかのように沈黙した。ゆっくりまばたきをしてから、タムを見る。
「私は先の世のことがわかる。絶対の未来が見えるのよ」
 更に、こう続けた。
「それだけじゃない。私には過去も見える」
 つまり、過去から未来まで全てを見通す力がある、ということか。まるでそれが重大な秘密であるかのように彼女は言うが、タムはどう反応していいものかと戸惑った。
 占い師なら、誰だってそう言うのではないだろうか。そういう力があるから、占いをするのだろう。
 もっともタムは、占いというものをあまり信じていなかった。必ずしも当たる保証がないのが占いだ。
「タム、あなた勘違いをしているようね。私は予測をしない。将来を、『見る』のよ。過去というのは変わりようがないでしょう。私が見るのは過ぎ去った時のように変わりようのない不動の未来」
 いまいち意味がわからず、タムは首を傾げた。
「簡単に言いましょうか。つまり、私の予言は必ず的中する。過去のことなら、どんなことでも言い当てる」
 そんなことがありえるだろうか。
「あなた今、そんなことがありえるだろうか、と思ったわね」
 ダーニャが言った。ぎくりとしてタムは胸に手を当てた。
「心が読めるのか」
「読めないわよ。きっと占い師や予言者でなくたって、あなたの考えていることはわかるでしょうね。だってあなた、考えていることがすぐ顔に表れるんですもの」
「そうなのか?」
 タムはサンディに尋ねてみた。
「はい」
 即答だった。
「私の力を疑っているようね」
 ダーニャは手を伸ばし、薫物の皿を自分の方へと引き寄せた。甘い香りが立ちのぼる、その皿の中をのぞいている。
 気分を損ねさせてしまっただろうか。
 タムが言葉をさがしていると、ダーニャはかすかに笑った。
「いいのよ。そう簡単に信じられないのが普通なんだから。それなら私の力を証明する為に……そうね、あなたの過去を言い当ててみせましょう」
 占うからには何らかの道具を使うのだろうと思ったが、ダーニャは何も持たなかった。ただ数秒、タムを見つめただけだった。
「あなたが行ったある村には、美しい娘がいたでしょう。あなたはその娘を好きになった。でも、彼女には恋人がいた」
「そんなこともありましたね」
 タムより早く発言したのは、サンディだった。今までは尋ねられない限り黙っていたというのに。
 確かに以前ある村に立ち寄り、レユーサという娘に会った。彼女にはルシュニスという恋人がいた。
「私は好きだなどと、一度も言ってないぞ」
 わずかに頬を紅潮させてタムはサンディに反論した。
「顔を見ればわかります」とサンディは言葉を返す。
 思わずタムは顔をこすった。見ればわかる、とはどういうことなのか。まさか心の声が文字となって浮かんでいるわけではないだろうが。
 自分がやけに単純な男であるような気がして、にわかに恥ずかしくなった。
 容赦なくダーニャは続けた。
「ある町で人違いから剣を使う試合に参加したこともあるわね。闘技場で情けない試合をしたことがあるでしょう」
「そんなこともありましたね」
 すかさずサンディが言う。タムは我慢ならなくなった。
「待て。おい、サンディ。お前が知っていることばかりじゃないか。前もってダーニャに話しておいたんじゃないのか?」
 考えられないことではなかった。サンディは先に村へ来たことがあるのだ。占いのじいさまのことや、ダーニャが若い女だということも知っていた。
 サンディはそれに答えなかった。顔には一切表情らしい表情は浮かんでいなかったが、それが肯定の沈黙でないことはタムにもわかった。
 顔も体も正面を向いているが、目だけはタムの方に向けられている。
 私を疑うのですか。そう言いたげだ。
 冷静に考えてみれば、サンディはつまらない嘘をつくような従者ではない。彼を疑うようなことを言ったのは、不満があったからだ。
 主人の情けない過去の話をためらいなく認める態度が気に食わなかった。せめて「情けなくはありませんでした」くらい言えないものか。
「あら、サンディを疑わないでちょうだい、タム。私達が会ったのは本当にこれが初めてなんだから。そうだわ、この象が知らないことも言い当ててみせましょうか」
 いや、それはやめてくれと言うべきだろうか。タムは迷った。そもそもサンディがいなかった時、どんなことがあっただろうか。



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