08


 門の前で別の使用人を呼び出し事情を説明すると、まず男が先に中へ入れられた。少ししてタムも呼ばれたが、グティウスは「豚は好かん」と言って入ろうとしなかった。今度は縛られることなく、例の部屋に通された。
 椅子には醜悪なあの男が座っていた。不機嫌そうな顔をしている。
「こんな早くから、よくも起こしてくれたな。私はまだ眠いんだ。感謝しろよ、私は寛容な人間だ。お前のくだらない話を聞いてやる」
 一発殴ってやりたかった。もっとも、それで気が済むとは思えないが。ことを荒立ててもいいことはない。怒りを抑え、タムは言った。
「真犯人はタムではない。お前の妻と親しくしていた、お前の手下だ。ギレニソにその事実を知られ、ゆすられていたんだ」
「そうか」
 カスカトゥスは特段驚く様子もなく、そのことにタムが驚いた。どういうことかわかっているのだろうか。
「だからと言って、私はあの男を罰する気はない」
 そうカスカトゥスが言い放つ。これにはもっと驚いた。
「何故だ! あいつはギレニソという男を殺して、他人に罪をなすりつけたんだぞ!」
「だからどうしたと言うんだ!」
 カスカトゥスが怒鳴り、タムはたじろいだ。太い指を組みそれを腹に乗せ、太った男は笑う。
「前に話したはずだ。奴隷殺しの犯人の裁きは、その奴隷の主人に任せられるとな。あの男は有能だ。私の為によく働く。手放そうとは思わない。どうした、不満そうな顔をしているな。妻と男の関係のことか。私はな、まもなく妻と離縁しようと思っていたところだ。別れる女が誰とどんな仲になろうが、私は何とも思わないな」
 サンディは解放することをカスカトゥスは約束したが、納得はいかなかった。ギレニソを殺した男は、何の罰も受けないのだ。だが、奴隷殺しの犯人の裁きは主人に任されるというのがここの決まりで、タムが抗議しても無駄なことだった。
「お前があの男を捕まえてきたのか」
 カスカトゥスが尋ねる。
「いや、グティウスだ」
「グティウス?」
 眉を上げ、カスカトゥスは続けた。「そいつの職業は?」
「闘士養成所の教官だ」
「それはそれは」組んだ指を動かし、脂ぎった顔に薄笑いを浮かべる。「あのグティウスを味方につけたのは、幸運だったな」
 グティウスのことをよく知っているような口ぶりだ。それ以上は話そうとせず、太ったカスカトゥスは緩慢な動作で立ち上がった。
「外で待っていろ。あれは返してやるからな。もう何時間か遅ければ売り飛ばせたんだが。惜しいことだ」
 タムは唇を噛んだ。そうしていないと、この男を口汚く罵ってしまいそうだった。
 外ではグティウスが待っていた。詳細を話すと、離縁の話は意外そうにしいたがギレニソを殺した犯人の男の処分については予想していたようで、頷いていた。
 タムが落ち着きなく行ったり来たりしていると、扉が開きサンディが現れた。数日ぶりの再会だ。目立った怪我は見られないし、やつれてもいなかった。感情の表れない顔はいつも通りだ。
 どう声をかけようか。
 身代わりになってもらった礼を言うべきか。勝手なことをするなと叱るべきか。
 先に口を開いたのはサンディだった。
「傷の具合はいかがですか」
 傷。何のことだ。
 困惑するタムの腕を見てサンディが言う。「腕の傷です」
 そう言えば、闘技場で戦った時腕に小さな傷を負った。試合後、それに気付いたサンディがタムの腕に布を巻いたのだ。元より大した傷ではなかったので、痛むこともなく忘れていた。平気だ、という意味を込めて、首を縦に動かす。
 私の心配をしている場合か。お前はどうだったんだ。大丈夫なのか。すまなかった。だが、私は怒っているんだぞ。無事で何よりだがな。
 次々に浮かぶ言葉は声にならなかった。
「私がいない間、タムがご迷惑をおかけしませんでしたか」
 サンディがグティウスに声をかけた。グティウスは小さく頭を振った。
「おい、サンディ!」
 ようやくタムはまともに声を出せた。「お前は大丈夫だったのか」
 サンディは目をしばたたかせた。
「ご心配には及びません。私はあなたほど脆弱ではありませんから」
「脆弱で悪かったな」
 気を悪くしてタムがそっぽを向くと、グティウスが吹き出した。行こうか、と三人で歩き出す。
 突然サンディがよろめき、グティウスが腕をつかんだ。胸を押さえるサンディの手首には、手枷の痕のようなものがあった。
「医者に診てもらおうか」
「いいえ。あんまり空腹なので、目眩がしただけです」
 食事は出されていたようだが、象であるサンディには少なすぎる量だったようだ。
「それなら、俺が食わせてやろう」とグティウス。
「後悔するぞ。こいつはよく食べるんだ」
 タムが言った。
 市場で大量に食料を買い込み、グティウスの家に戻った。サンディは遠慮もせずよく食べた。黙々と食べる。食欲から見て、体調は崩していないようだった。さすがのグティウスも驚くほど、次々たいらげていく。
「腹を壊さないのか」
「はい」
 食後にりんごを十二個胃袋におさめ、ようやくサンディは手を休めた。
「もうこの町は出るんだろう」
 グティウスが言う。
 そうした方がいいだろう、とタムは思った。とどまる理由はないし、この町は居心地が悪かった。サンディさえよければすぐに出るつもりだった。
「本当に、大丈夫なんだな」
 負い目のあるタムはつとめて優しくサンディに尋ねた。それに対しサンディは、「くどいですね。何度同じことを言わせるんですか」とつっけんどんに返す。そんな二人のやりとりを見て、またグティウスは吹き出した。
「ところでグティウス。お前とカスカトゥスは、知り合いではないんだよな」
 タムが言うと、グティウスは問うような視線を向けてきた。
「カスカトゥスはお前のことをよく知っていたようだったから」
「俺はあいつのことをよく知らないが、あいつは俺の正体を知っているんだろうな」
 グティウスの表情が陰る。三人は町の外へと繋がる門へ向かう為、家を出た。賑やかな声が聞こえてくると思うと、闘技場が見えてくる。今日はあのなかで試合が行われているのだ。
 グティウスが立ち止まった。
「俺も、試合に出たことがある」
「お前がか。どうしてだ」
「俺は罪人なんだ。人を殺したんだよ」
 タムは当惑した。彼はとても人を殺すような人間に見えない。
「何年も前のことだ。酒場で揉めて、相手を殺してしまった。俺は流れ者で、たまたまこの町に寄っただけだった。罪人になってから、闘技場での試合に勝てば、願いを聞き入れられると知った」
「勝ったのか」
「ああ。優勝した。そこで俺は、新しい名前と仕事を求めたんだ。その代わり、この町から出ることは許されていない。グティウスという名を手に入れる前の俺を知る奴は少ないんだ」
 闘技場から歓声が聞こえてくる。タムとグティウスは同時に闘技場を見上げた。
「俺は人殺しだから、人殺しを責める権利なんてない。それを見て喜ぶ奴らを非難する資格もない。だが結局、ああやって喜ぶ連中も人殺しなんだよな」
 振り向いたグティウスは笑顔だったが、どこか悲哀に満ちていた。
「みんな狂ってやがるんだよ」
「そうかもな」
 元来、人は狂っているのかもしれない。悲鳴や歓声が途絶えることはなかった。


 タムとサンディは町から出る馬車に乗り、門をくぐることになった。試合のある日はよく門番に呼び止められ、素性などあれこれ質問されることがあるからだ。
「グティウスには散々世話になったのに、礼ができなくてすまないな」
 タムとグティウスは手を握り合った。
「いいんだよ。面白かったから」
 この馬車の商人は、荷物を届けて帰るところだった。わらの乗った荷台に寝転び、上から布をかける。
「グティウス。お前は町の連中よりもまともだと思うよ」
「そうか。ありがとう」
 馬車はゆっくりと動き出した。
 やっとこの町を出ることが出来る。タムはため息をついた。門番に咎められることなく、無事に門を通り抜ける。
「どうしてこの町にとどまり、私を助けたのですか」
 隣でサンディが呟いた。
「私はてっきり、あなたは逃げてしまわれたんだと思いました」
「お前、私をどういう人間だと思っているんだ。そこまで落ちぶれてはいないぞ」
 町を囲む壁が遠ざかっていく。サンディはタムとは反対の方に顔を向け、伏せていた。長らくそうしていた。眠っているのだろうかと思った時、サンディが小さな声でタムの名を呼んだ。
「タム」
「何だ」
「ありがとうございました」
 虚を突かれて礼を言われたタムは、心底驚いて言葉も返せず、とりあえず三度頷いた。そしてサンディとは反対の方へ顔を向け、伏せた。
 いけない、こちらも礼を言うべきだったのだろうが、言いそびれてしまった。それでもいいか。礼を言う機会など、これからいくらでもある。
 揺られているうちに眠くなってきた。タムは、目を閉じた。



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