05


「何を聞かれても平気だよ。ここの主人は口が堅いんだ。そうだよな、おやじさん」
 話しかけられても、店主はまるで無反応だった。
「おそろしく無口なんだよ」
 グティウスはタムに言った。
 さっきから店主は指一本動かさない。死んでいるのではないだろうか。誰かに押されたらそのままの体勢で、椅子から倒れそうだ。試しに目の前で手を振ってみる。まばたきもしなかった。
「おやじ、葡萄酒をくれ」
 店主は初めて反応した。目は閉じかけたままだが、動いている。生きていたようだ。タムとグティウスの前に、酒の入った器が並べられる。
「カスカトゥスと関わりを持ったのは不幸だったな」
 グティウスは一口で器の中身を半分も飲んだ。
「カスカトゥス?」
「あのお屋敷に住んでいる、肥え太った男さ。魚好きの豚、という渾名がある」
 カスカトゥスは、魚や貝などの海産物を好み、食べることに関しては金に糸目をつけないそうだった。毎日のように各地から魚介類を始めとした様々なものを取りよせていた。
「魚の毒にあたって死んでしまえばいい、と陰で行っている奴はたくさんいるぜ」
 人望はないようだ。
「あいつはどんな仕事をしているんだ」
「金貸しだよ。たちの悪い、高利貸しさ」
 まさしくあの男に適合した仕事だった。人が好くては高利貸しなどそうつとまらない。あのいやらしい顔を思い出すと、胸がむかむかした。酒に手をつけるつもりはなかったのだが、口の中が苦くなったようでタムは器を持って一口飲んだ。
 そして、闘技場で目が覚めてからのこと、その後グティウスと別れてからのことを話した。グティウスは二杯目の酒を飲み干すと、顎に手を当てて黙り込んだ。
「私は殺されたギレニソという男のことは何も知らないんだ。顔も見たことがない」
「お前の膝に、ギレニソの兜が乗っていたんだよな」
「私を疑うのか」
「そうじゃない。お前が自分で拾ったものでないなら、誰かが置いたということになる」
 その誰かがギレニソを殺し、私に罪をなすりつけようとした者なのか。
 気付けばタムも二杯目の酒を飲んでいた。酒でも飲まなければやっていられなかった。誰に向けていいかわからない怒りが、ゆっくりと体の中を廻っている。
「俺もカスカトゥスについては、噂話で聞いた程度のことしか知らないからな。ギレニソという男のことも、闘士なら顔くらいは見たことがあると思うんだが記憶にない。目立たない奴だったんだろう」
 グティウスは首をひねった。
「グティウス、お前はどうして闘技場にいたんだ」
「俺は闘士養成所の教官でね。今日闘技場に向かうはずだった係の奴が寝込んでしまったんで、代わりに行ったんだよ」
 闘技場で戦う者は、事前に養成所で訓練を受けるのだった。彼はそこで武器の使い方を教える教官だった。
 ふとタムの頭に、サンディの姿が思い浮かんだ。部屋から出る間際に見た、あの背中だ。
「あいつめ、勝手なことを……」
 三杯目の酒を飲み干し、タムは呟いた。
「お前の代わりに捕まった従者か。サンディとか言ったな」
「あいつはどうなる。このままだと、どうなるんだ」
 グティウスは少し考えてから答えた。
「魚好きの豚は、奴隷商人と繋がりがある。殺される可能性は低いが、奴隷として売られるかもしれないな。その方が金になる」
 タムは四杯目の酒をあおった。サンディを目の前にして言ったやりたいことがあった。
 どうして身代わりになどなった。何故庇った。何を考えている。
 頭の中に浮かぶサンディはこちらをじっと見ていて、一言も発しなかった。
「従者とは長い付き合いなのか」
「そうだな、どうだろう」
 長いと言えば長いし、短いと言えば短い。起きて行動を共にしていたのは数日しかなかった。
「諦めた方がいいかもしれないな」グティウスが言う。
「何を諦めるんだ」
「従者を助けることだよ。カスカトゥスは一筋縄ではいかない男だ。助けるのは難しい。どうしても付き人が必要なら、また探せばいいだろう」
 目の前が揺らいだ。酒を飲みすぎたのだろうか。タムは頭を振った。
「いや、いや」
 そんなことをしては駄目だ。
 酔いつぶれて寝ている男のいびきが大きくなった。沈んだ声でタムは言った。
「あれは大事な人から譲り受けたものだ。こんなことで手放しては、申し訳が立たない」

 そう、光の人ルトに会わせる顔がなかった。
「どうしようもなかったのだと、言えばいい。お前が従者を助けようとする理由は、前の主人にすまないと思うからなんだろう?」
「いや、いや」
 更に激しく、タムは頭を振った。
 わからなくなってきた。私はルトの為にサンディを助けようと思うのか。ルトから貰った象だから、助けようと思うのか。それでは、ルトから貰った象でなかったらどうしただろうか。
「あいつは私を嫌っているんだ。それなのに、どうして私を助けたんだろう」
「義務じゃないか。お前のことが好きだとか嫌いだとかは関係ない。従者として、主人を守るのは義務だから助けたんじゃないか」
 義務か。何と虚しい言葉だろう。そうだったのだろうか。
 正直に言うと、少しばかり感動していたのだ。サンディがあのような行動をとったのは、いくらか自分を慕っていたからではないかと思った。しかし、グティウスの言うように義務感からしたことだとも考えられる。或いは、ルトの為かもしれない。ルトを慕っているから、「タムを主人としてしっかりつき従うように」という命に従っているのかもしれない。
「いや、いや、いや」
 一層激しく頭を振った。
「お前は小さな男だな」
 グティウスは同情するように笑って、皿に盛られた松の実を口に運んだ。
「私もそう思うよ」
 項垂れるしかなかった。タムは本を開き、ペンを取った。

 ――私はつまらないことを気にしている。情けない男だと思う――

 どうするか決めかねている間に夜は更け、金を持っていないタムはグティウスの家に泊めてもらうことになった。グティウスの家は賃貸住宅の一階だった。住宅の一階は店が入っている場合が多い。上の階より下の階の方が環境が好く、そこに住めるグティウスはそれなりの生活をしているようだった。
 魚好きの豚と呼ばれるカスカトゥスの家に比べれば狭い部屋だが、一人で住むには十分な広さだろう。
 グティウスが寝台に、タムは床に寝た。
 タムは眠れずにいた。何気なく天井に向かって手を伸ばすと、サンディが腕に巻いた布が目に入った。
 どうしてサンディが自分を庇ったか。どうして自分はサンディを助けるのか。理由など、どうでもいいのではないか。助けるか、助けないか。そのどちらかさえ決めればいい。
「グティウス、起きているか。私はあいつを助けようと思う。あいつに借りを作るなど、ごめんだ」
 タムは小声で言った。



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