04


 そうだ、闘技場でそう呼ばれたのだ。ギレニソとは、あの試合に出るはずだった者だろう。その男が殺されたというのか。
 ようやく自分の立場がわかってきた。それと共に、恐れと不安が心を満たす。自分はギレニソを殺した犯人だと疑われているのだ。
「刃物で喉をかっ切られて絶命していたそうだが……。いや、むごいものだな」
 鼻にしわを寄せ、タムの後ろの男に笑いかける。とても人が死んだと聞いて浮かべる表情ではなかった。残忍さが滲む笑みだ。
「お前達は余所者のようだから、ここの決まりは知らないだろうな。それとも、知ったうえでやったことか。まあいい、教えてやろう。奴隷殺しの犯人の裁きは、その奴隷の主人に任せられる。この意味がわかるな? お前たちをどうするか決めるのは、この私だというわけだ」
 ギレニソは奴隷で、その主人がこの男というわけか。それにしても、すっかり犯人だと決めつけられている。こちらの言い分も聞かないつもりなのか。
 タムは抗議の声をあげた。男がねめつける。
「文句があるのか。身に覚えがないとは言わせないぞ。殺されたギレニソの兜をかぶって試合に出たのは、タムという男だ。私がこの目で見ている」
 男もあの場にいたらしい。タムの立場は極めて不利だった。もし発言が許され真実を話したとしても、この男が信じるとは思えない。
 このまま犯人にされてしまうのか。
 タムはサンディの様子をうかがった。サンディは太った男の足元の辺りに目を据えていた。気のせいか、頬のあたりが緊張しているようにも見える。
 今はどうすることが最善なのか。手や額に汗が滲んだ。
「それでは、お前に尋ねようか」
 男が指をさしたのはサンディだった。猿ぐつわが外される。サンディは身じろぎもせず、床を見ていた。
 男はこう続けた。
「正直に答えろ。どちらがタムだ」
 耳を疑った。男は、タムの顔を知らなかったのだ。だが、当然かもしれない。試合中は観客の前で一度も兜を脱がなかった。経緯はわからないが、闘技場から出てきた二人のどちらかがタムだと見当をつけて、連れてきたのだろう。
「私です」
 タムの隣で、サンディが言った。タムの思考が中断される。
「私が、タムです」
 息を吸うのも忘れるほど驚いた。タムはサンディを凝視した。
 サンディ、何を言っているんだ。
 指先が痺れ、拍動が速くなる。その拍動が警鐘のように感じられた。今、彼がやろうとしていることに気付き、血の気が引く。
「では、そちらの者は何だ」
 相変わらず横柄な態度で男が問う。
「この者は私の従者です」
 いつもの淡々とした口調でサンディは答えた。
 嘘を言うな。
 そう叫んで立ち上がろうとするが、タムは後ろに立つ男に押さえつけられてしまった。
「ならば用はない。出て行ってもらおうか」
 太った男が手で追い払うような仕草をすると、後ろの男がタムの腕をつかんで引きずった。
 猿ぐつわを外そうと口を動かし、もがいて抵抗する。
 私がタムだ。そいつじゃない。
 声の限りに叫ぶが、聞き取れるような言葉にはならなかった。太った男が煩わしそうに眉をひそめる。
 馬鹿。
 サンディ、どうしてだ。
 部屋から追い出される寸前にタムが見たのは、振り向こうともしない、サンディの寡黙な後ろ姿だった。
 回廊を引きずられ、ドアのある裏口らしきところから外に出るなり地面に転がされる。ゴミでも捨てたかのように手をはたくと、タムを引きずってきた男はドアを閉め、邸宅の中に消えた。
 せめて縄くらい解いていけ。
 無理矢理手を引き抜こうとすると、手首が痛んだ。地面に顔をこすりつけるとどうにか猿ぐつわは外れた。ドアに突進して、何度も蹴る。
「開けろ、開けろ! 私がタムだ!」
 強く蹴った反動で倒れてしまうが起き上がり、ドアに体当たりする。しかしドアは開かず、中の者が出てくる気配もない。それならば、窓から入り込んでやろうか。もう一度ドアを蹴った時、不意に後ろから肩をつかまれた。グティウスだった。
「厄介事に巻き込まれたようだな。その辺にしておけよ、暴れるんじゃない」
「おとなしくなどしていられるか。誰かれ構わず殴ってやりたい気分だ」
「殴れないだろうがなあ」
 グティウスは縛られているタムの手を見た。そして邸宅を一瞥すると、ここから離れようと言い出した。
「詳しい事情を聞こうか。こんなところで喚いていても、いいことはない。ここの主人に睨まれるぞ」
 頑なに拒んだが、タムは脇を抱えられ強引に連れて行かれた。邸宅からいくらか離れたところまで来ると、グティウスがタムの縄を解いてやった。手首をさすりながら、タムは邸宅の方を振り返った。
「まだサンディが中にいるんだ。すぐに戻らなければ」
「戻ってどうする」
「侵入して、あいつを助ける」
「無理だな。あの家は警備が厳重なんだ。頭を冷やせよ。とにかく、話を聞いてやるから俺についてこい」
 タムはサンディの身を案じた。すぐに助けてやらなくて、平気だろうか。
 腹も立った。あんな勝手な真似をするなんて。
 迷った挙げ句、グティウスの説得もあり、彼について行くことにした。相談してみよう。本当に情けないことだが、自分一人では縄を解くことすら出来なかったのだ。


 賑やかな通りに出た。店が並び、人々が行き交う。庶民はさほど不自由な生活を送っていないのだとグティウスが言った。
 食料は僅かながら支給されている為、貧しくとも飢え死にする者は滅多にいない。宿無しの者も少ないそうだ。狭い土地に多くの者が住めるよう、住宅は三階建ての高層建築が多かった(富裕者の邸宅は別だ)。
 グティウスと共にやって来たのは、町の南にある公衆浴場だった。湯浴みなどする気分ではなかったのだが、少し落ち着いた方がいい、と勧められた。しかし落ち着いて汗を流すような心の余裕はなく、傷にも染みるのでさっさと浴槽から出て広間の腰かけに座り、グティウスを待っていた。
 この施設には蒸し風呂や水泳のできる部屋、食堂や宴会場まであった。グティウスと合流し、浴場を出るまで押し黙っていたタムは口を開いた。
「この町は娯楽施設が多いな」
 聞くところによると、町には賭場もいくつかあるらしい。
「菓子を与えておけば子供なんておとなしいものさ。役人は、市民の不満が自分達に向かないよう必死なんだ」
 次にやって来たのは、酒場だった。通りから外れた場所にある、さびれた店だ。
「こんな日の明るいうちから、酒など飲めるか」
 タムが足を止める。
「酒が飲みたいからここに来たわけじゃないぞ。話をするならここが一番適しているからだ。人が大勢いる浴場や道端で話すことではないだろう」
 酒場は薄暗く、酒の臭いの混ざった空気はよどんでいた。狭い室内の隅では、客と見られる中年の男が一人酔い潰れていた。弱々しい寝息を立てている。他に、店主らしき老人がいた。髪も髭も長く伸びていて、顔色がよくない。体の具合が悪いのかそれとも眠いだけなのか、半眼に閉じている。



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