03


「こいつの知り合いか」
 グティウスはタムを顎でしゃくり、サンディが首肯した。
「タム、鼻からも口からも血が出ていますよ。拭くものはありますか」
 グティウスから布切れを借り、サンディはそれをタムに渡した。乱暴に顔を拭く。落ち着いてくると、口の端や鼻に痛みが走った。今まで何でもなかったところが、次々に痛み始める。
「あんなみっともない試合を見たのは初めてです」
 サンディは詫びるどころか暴言ともとれるようなことを言い出した。
「そうだな、前代未聞だ」とグティウス。
「みっともないとは何だ!」
 タムは憤慨した。
「みっともないじゃないですか。二人とも、転んでいただけです。あれを試合とは言えません」
 グティウスの勧めで、タムは部屋から出ることにした。試合が終わり、見張りが持ち場を離れている今こそ逃げる好機だ。誰にも見咎められることなく、闘技場を出ることが出来た。
「サンディ、どうして助けなかったんだ」
「どうやって助ければよかったのですか」
 象に謝る気はないようだった。自分に非はないと思っているらしい。むくれているタムの腕を、サンディが引っ張った。腕には切り傷がある。サンディは懐から細く裂いた布を取りだし、タムの腕に巻いた。
「お前はタムの従者なのか。大変だろうな」
 グティウスがにやりと笑う。
「はい、大変です」
 サンディは笑わなかったが、それはいつものことだった。納得がいかないタムは、引き続きむくれている。
「私が何をしたと言うんだ。どうしてこんな目に遭うんだ。何も悪いことはしていないのに」
「あなたは運が悪いのです」
 そうかもしれない。今までのことを振り返ってみても、運がいい方だとは思えなかった。
 早く町から出た方がいいとグティウスは助言し、去って行った。彼の正体は謎のままだ。立ち去りたいのは山々なのだが、疲弊していて体が言うことを聞かない。タムとサンディは水路が見える道の脇に腰を下ろし、休むことにした。
「お前はずっと客席にいたのか」
「はい」
「私のことは心配していなかったのだろう」
「そんなことはありませんよ。心配していました。ご無事で何よりです」
 心にもないことを。
 タムは膝を抱えた。本当に心配しているのなら、かける言葉も違ってくるはずだ。サンディの態度が常によそよそしいことも、気にかかっていた。
「お前は私が嫌いなのだろう。かしずく価値もない奴だと思っているんだ」
 タムはサンディの顔を見ず、サンディもタムの顔は見なかった。
「私がどう答えれば満足がいくんでしょうか。何を言っても、悪い方に捉えますね。あなたは自信のない方です」
 この言葉に怒りを覚えたが、これ以上話すとこじれる一方だ。それに、ちくりと心を刺されたようだった。その理由を考えるのも億劫で、話を戻すことにした。
「全く災難だった。人違いで試合に出ることになるとはな」
「そのことなんですが、本来試合に出るはずだった者はどこに消えてしまったんでしょうか」
 恐れをなして逃げ出したのだろう。そうとしか考えられなかった。
「あなたは口を滑らせましたね」
「何のことだ」
「タム、と名乗ったではないですか」
 審判に名を尋ねられた時、うっかり本当の名を言ってしまった。人違いをされていたことを、一時忘れていたのだ。
「だが責められるいわれはないぞ。私は悪いことはしていないのだから」
「そうですね。しかし、あなたは運が悪いのです。まずいことにならないうちに、ここを離れた方がいいでしょう」
 タムには、サンディの言っている意味が理解出来なかった。まずいこととは何だろう。サンディが立ち上がる。タムもため息まじりに立ち上がった。座る、立つ。この動作すら辛かった。日頃の運動不足がたたっているのだ。体を動かすことは好きではないが、少しは鍛えることも考えなくてはならないな。
 振り向いて、タムはたじろいだ。
 五人、男が立っている。この暑い中不自然にも長いマントを着ていた。男達がタムとサンディを取り囲む。
「な、何だ」
「お前達は発言してはならない。黙って我々についてこい」
 威圧的で、有無を言わせぬ態度だ。
「不躾だな。理由を話せ。お前達は何者だ」
 男の表情は、仮面かと疑うほど変化がない。男の一人がマントの前を開いた。腰に剣を帯びている。
「我々はお前の質問に答えない。ついてこい」
 武器を見せたということは、拒めば殺すということなのか。サンディはタムを見て、微かに頷いた。ここは逆らわない方がいい、という意味だ。
 男二人が先導し、その次にタムとサンディ、残りの三人は後ろにつき、歩き出した。
 彼らは強盗だろうか。それにしては、野卑な雰囲気がない。質問しようと口を開くが、後ろの男に踵を蹴られて注意された。
 たどり着いたのは、ひと際目立つ大邸宅だった。ここの主は余程の富豪なのだろう。広い中庭があり、それを囲む回廊を歩かされる。回廊の床はモザイクで飾られていた。魚や、貝などの絵ばかりだ。壁を見ると、ここにも魚の絵がある。主は海産物が好きなのだろうか。
 男達は立ち止まり、それに合わせてタムも足を止める。突然、手を後ろで縛られた。
「何をする!」
 男達は口を閉ざしたままだ。猿ぐつわまでかませられる。サンディも同じ状態だったが、一切抵抗しなかった。されるがままだ。
 これも、従うべきなのだろうか。タムには判断がつかなかった。
 目隠しをされなかったのは幸いだった。この上視界まで奪われては、恐怖が増すばかりだ。
 もはや逃げることも不可能だった。男達の目的は何だろう。
 あなたは運が悪いのです。
 サンディの言葉が頭の中にこだまする。
 五人いた男達はいつの間にか二人に減っていた。説明もないままに連れて行かれたのは、廊下のつきあたりにある大きな部屋だった。高い位置に明かり取りがあり、そこから射しこむ光の下に誰かがいる。玉座に座る王よりも尊大に、椅子の上で踏ん反り返っていた。
 頭の方は生え際がかなり後退していて、肥えた豚を連想させる脂ぎった男だ。欲の塊が人に化けたのでは。そう思わせるほど、いやらしい風体だった。
 タムとサンディは男の前で膝をつかされた。二人の後ろには、それぞれ一人ずつ男が立っている。
 この扱いは何だ。まるで罪人ではないか。
 罪人。
 タムはぎくりとした。罪を犯した覚えはないが、しかし――
「私が話せと言うまで、話してはならない」
 予想通りのだみ声が、男の口から滑り出た。「まず、話すのは私だ。わかるな。お前達が先に口を開けば、私を惑わせようとするだろう」
 やおら椅子から立ち上がると、軽く手をあわせてタム達の前を行ったり来たりし始めた。
「目的が何であったか、私は興味がない。人殺しの言い訳を聞こうとは思わない」
 人殺し。そう言ったのか。タムは目を見開き、くぐもった驚きの声をあげた。
「今しがた、ギレニソの死体が見つかった」
 太った男が勝ち誇ったように言う。ギレニソという名前は、どこかで聞いた覚えがあった。記憶の糸を手繰り寄せる。



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