濡れ衣:01


 騒がしい。
 人々の悲鳴や歓声が聞こえてくる。
 それに、重い。膝の上に何かが乗っているようだ。
 タムは目を開けた。まず目に入ったのは、膝の上のものだった。煤けた色の兜が乗っている。隣には鎧らしきものも落ちていた。形からして、肩と腕を被護するものらしい。
 見知らぬところで、石の壁にもたれて眠っていた。歓声は壁の向こうから聞こえてくる。随分とたくさんの人がそこにいるらしい。
 ここはどこだろう。目覚めるといつも、この疑問から始まる。兜が物珍しかったタムは、それを持ち上げてまじまじと見ていた。
 誰かが血相を変えてとんでくる。
「もうすぐ時間になる。いつまでそんなところにいるんだ」
 見知らぬ男はタムを叱ると、手を引っ張って立たせた。そのままどこかへ連れて行こうとする。
「どこへ行くんだ?」
「ああ、何をしているんだ。ほら、兜を持って」
 兜と鎧を持たされ、タムはまた引っ張られた。槍を持った別の男が前方からやって来て、すれ違った時、タムは生唾を飲んだ。男の手にしている槍の先端がべっとりと赤く染まっていたからだ。漂う臭いからして間違いなく、血だ。
 兜に鎧に槍、そして、血。
 自分は大変なことに巻き込まれているのではないか。
「時間になると言ったが、これから何が始まるんだ」急き込んで尋ねる。
「寝ぼけているのか。居眠りでもしてたんだな」
 実際眠っていたので、タムは首を縦に振った。
「命をかけた試合の前に居眠りをするとは、たいした奴だ」
 思わず立ち止まった。
「命をかけた試合?」
「止まるんじゃない。早く準備をしてくれ」
 何がどうなっているのか。混乱するタムが連れて行かれたのは、小さな部屋だった。入り口と出口がある。壁には何種類かの武具が立てかけられていた。
 重い兜を抱えたまま、そっと出口から外を見てみる。愕然とした。
 白い砂を敷きつめた闘技面と観客席があり、観衆がひしめいている。ここは闘技場の中か。今いる場所は、これから戦う者の控えの部屋なのだ。
「わ、私が戦うのか」
「そうだ。兜を持っているじゃないか」
 何を今更、とでも言いたげだ。多分彼は、闘士を誘導する係の者なのだろう。
「違う!」
 タムは両腕を伸ばし、兜を体から離した。「これは膝の上に乗っていたんだ!」
「兜は試合に必要なものだから、膝の上に乗せておいたんだろう」
 話にならない。もしや、人違いをしているのではないだろうか。
「名前はギレニソと言ったか。それでは、頑張ってくれ」
 そう言い置いて、せっかちな男は出て行く。
「ほら、人違いじゃないか!」
 追いすがろうとしたが、男と入れ違いにまた別の男が入って来た。歳は三十路くらいだろうか。顎に短い髭を生やしている。いかにも闘士といった、鍛えぬかれた体をしていた。しかし試合に出る闘士ではないようだった。
「始まるぞ。防具をつけて武器を持て」
「待ってくれ、違うんだ。私は誰かと間違えられている」
 タムが駆けよると、男は金属製の鎧をタムの腕に装着し始めた。
「俺はグティウス。お前、見ない顔だな。養成所で会ったか? こんな貧弱な体をした奴、いただろうか」
「だから、話を聞け! 人違いだと言っているじゃないか!」
 タムは怒鳴った。そうこうしているうちに、すっかり着替えさせられている。左につけている鎧があまりに重く、タムの体は傾いでいた。
「そうか、人違いか。気の毒にな」
 グティウスという男は笑っている。
 何がおかしいのか。
 頭にきたタムは鎧を外そうと腕を振った。「試合なんて、とんでもない。私は出て行くぞ」
「ちょっと待ちな。お前、名は何と言う」
「タムだ」
「そうか、タム」
 グティウスは両腕を組んだ。そして親指で外をさす。タムと男が入ってきた方だ。
「逃げることは許されないぜ。外には見張りがいる。逃げて捕まれば、殺されるぞ」
「殺されるだと?」
 その見張りとやらに会って事情を話したいと言ったが、そんな時間はないらしい。血の気が失せているタムの顔を見て、「大丈夫か」とグティウスが声をかけるが、そのいたわりの言葉はタムに届いていなかった。あまりの急展開に思考がついていかず、頭が考えることを拒んでいた。
「つまり、私は戦うしかないのか」
「そうだ」
 グティウスは表情や言葉から、人柄は気さくであろうことがうかがい知れる。だが今は、目の前に立つ人物の人柄が良かったところで何の慰めにもならなかった。
「死んだりはしないのだろう? この試合は、誰も死んだりしないのだろうな」
 すがるような思いでタムは尋ねるが、グティウスはかぶりを振った。
「大体は死ぬ。観客次第だがな」
 試合の決着がつくと、敗者は助けられるかそのまま殺されるかのどちらかだった。それは観客の意向に沿って判断されるのだ。
「こんなところで死にたくはない」
 タムは呟いた。理由もわからずに戦わされて、挙げ句殺されるなんて酷すぎやしないだろうか。
「勝てばいいさ」
 簡単に言ってくれる。
 体力のない自分が武器を使った真剣勝負で勝利を収めることなど、不可能に思えた。
 グティウスがタムに盾を渡す。鎧ほどではないものの、盾も重い。更に刀剣も持たされた。身幅は広く、短い両刃の剣だった。握りは持ちやすいように削られている。この剣に自分の命がかかっていると言ってもよかった。
 物々しい銅鑼と笛の音が響き渡った。試合が始まる合図だろう。
「頑張れよ、タム。勝てばいいんだから。健闘を祈るぞ」
 グティウスが兜をかぶせた。これがまた、結構な重量がある。頭がぐらついた。視界も狭まる。
 背中を押され、タムは闘技面へと歩み出た。ものすごい熱気と歓声だった。人々は拳を振り上げ、叫んでいる。
 異臭が鼻をついた。
 生臭い。血の臭いだった。
 盾や鎧が重いせいですり足で歩くと、赤黒い砂が靴の下に現れた。前の試合で流れた血に染まったのだろうか。それを隠すように、上から新しい砂がまかれているらしい。タムは震えだした。
 身につけているものが重いので、ただ歩くだけでも一苦労だ。右手と右足、左手と左足が一緒に前に出る。やっとの思いで闘技面の中心付近へたどり着いた。
 兜は頭部のほとんどを覆う形である為、風通しが悪い。熱がこもっていた。汗をかいても拭えない。まだそう動いてもいないのに汗をかくのは、緊張しているせいだった。
 対戦相手と思われる相手が登場する。タムは男を見て卒倒しそうになった。
 自分より一回り以上も大きな体をした男だったのだ。これは、勝ち目がない。一部の客から笑いがもれた。あんなに体格が違うのでは、戦う前から勝敗は決しているな、と笑っているのかもしれない。
 審判と見える男が近寄って来て、話しかけた。言葉を聞きとることが出来なかった。隣で大柄の男が片膝をつく。礼をしろ、と言ったのか。タムも見よう見まねで膝をつき、頭を垂れた。



[*前] | [次#]
しおりを挟む
- 22/59 -

戻る

[TOP]
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -