羊飼いはおもむろに腰を上げた。
「ああ星よ、星よ 星が見えるか 見えるか星が
とても煌めいている 光っている 瞬いている
そうなのだ 美しいのだ
聞こえるだろう 星達の声が 夜の物語が
涼しい風が僕の心をさらっていく
僕は夜が好きだ
ああ星よ、星よ 星が見えるか 見えるか星が」
そう言うと、満足そうな顔をしてタムを見下ろした。タムは薄く切った肉を片手に、唖然として羊飼いを見上げていた。急にどうしたと言うのだ。
「僕の作った詩です。どうでしょう」
詩か。そういえば、さっき詩を読むのが趣味だとか言っていた。
「うん。詩か。詩だな。どうだったかって? そうだな……」
タムはどのような詩が素晴らしくてどのような詩が素晴らしくないのか知らなかった。しかし、なんとなくではあるが、彼に詩を作る才能はないと感じた。
「まあ、いいんじゃないか」
趣味だというのだから、本人が満足しているのならそれでいいだろう。羊飼いは笑った。
「おや、雨があがったんじゃないか」
タムは外に目をやった。羊飼いも外を見る。いつの間にか雨はやみ、空には雲もなかった。
「晴れたぞ。晴れた! これで星を見られるんだ。僕、外に出てみようと思います。タムさんも一緒にどうですか」
「いや、私はいいよ。ここで待っている」
「そうですか」
羊飼いは荷物も持たずに、走って外に出て行った。
長いこと眠ったというのに、まだ眠い。タムは目をこすり、欠伸をした。サンディが体を動かす。
「サンディ、腹が減ったか」
声をかけると、サンディは片目を開けた。
「あなたは肉を食べたので、そうではないでしょうがね」
「あの時も起きていたのか」
タムは立ち上がり、洞穴の外へでてみた。羊飼いの姿は無い。どこか高いところへ登って、空を眺めているのだろうか。
「タム」
サンディは洞穴の中で、タムに背を向けて立っていた。
「タム、おかしいですよ」
洞穴の奥を見ながら、そう言う。呻き声が聞こえてくるのだ。羊飼いの姉が、体の不調を訴えているのだろうか。
「あれは女の声ではありません」
では、男の声だと言うのか。羊飼いが、あれは自分の姉だと言ったのに。もしそうなら、あそこにいるのは誰だ。何故唸っている。どうして羊飼いは嘘をついた。
恐ろしくなってタムは後退りするが、サンディは足を進めた。横たわる何者かにかけられた布に、手を触れる。
「待て、サンディ。死人かもしれない」
「死人なら呻きません」
「待ってくれ。心の準備が出来ていない」
「その準備とやらは、いつになったら出来るんですか。夜が明ける頃ですか」
「そうだな。それより後になるかもしれない」
「そんなに待てません」
サンディは勢いよく布をはがした。タムが目を閉じる。そっと開けて見てみると、縄で縛られた中年の男がそこにいた。目を見開き、唸り続けている。口には布が詰められていた。サンディが縄を解いてやると、男は口から布を取りだした。衰弱しているようだが、命に関わるほどではなさそうだ。
どう見ても男だ。
だが念の為、タムは男に聞いてみた。
「あなたは、羊飼いの姉ではないんだな?」
「当たり前じゃないか! 見ればわかるだろう!」
口ひげをたくわえた男は、唾を飛ばして怒鳴った。タムが肩をすくめる。聞けば彼は、町で働いている書庫の警備の者だそうだ。
「私は貴重な書物が保存されている書庫の警備を任されていた」
彼の目は血走っていた。まだ体に絡まっていた縄を払いのける。
「あいつはどこだ?」
「羊飼いのことか」
「あいつは私を縄で縛ったんだ。さっきあいつが私の側へ来ただろう。何と言ったと思う? 喚いたら殺すと、そう脅したんだ。あの盗人野郎め!」
一昨日の夜、何者かが書庫に侵入し、本を一冊盗んだそうだ。この男は盗人を追い、山の中へ入った。捕まえるはずが逆に捕まってしまい、今に至るというわけだ。
「あんた達もどうしておかしいと思わないんだ。もっと早く気付くべきだ! あの盗人に騙されやがって!」
怒りのおさまらない男は怒鳴り散らす。この様子からすると元気なようだ。
「まず、あんた達が私に謝るべきだ!」
とんだ八つ当たりだとタムは思った。
「本当に酷い話ですね」とサンディ。
「タム、謝ったらどうですか」
「私だけか。謝るのは私だけか。お前も謝るべきだろう」
「タムが謝れば十分ですよ」
「どうしてだよ。お前も謝れよ」
「どっちでもいいから謝らないか!」
男は声を荒げたが、結局タムもサンディも謝らなかった。
それにしても、あの純朴そうな羊飼いが、盗みをはたらくなんて嘘のような話だ。そのことをうっかり口にすると、更に男の怒りを買ってしまった。
「まだそんなことを言っているのか」
ものすごい剣幕で迫ってくる。今にも掴みかかりそうな勢いだったが、サンディは主人を庇おうとする素振りを見せなかった。
「私は縛られていたんだぞ。あいつに、殺すと言われたんだ。それにあの本を見ただろう、あんたは。あの本は高価なものだ。とてもあんな若造が、まともな方法で手に入れられる代物ではない」
それもそうだ。この状況を見れば否定出来ない。
その時、足音が聞こえた。振り向いてみると、洞穴の入り口に羊飼いが立っている。羊飼いは男を見て退いた。そのまま走り出す。
「待て、盗人め!」
男は立とうとしたが力が入らないのか、地面に手をついた。サンディが体を支える。
「待て、待つんだ!」
代わりにタムが追いかけた。
月は出ていなかった。暗闇の中、音を頼りに羊飼いを追った。
追いかけて、そして、どうしよう。この盗人め、と罵ればいいだろうか。お前は酷い奴だと叱るべきか。
私はそう言えるだろうか。言いたいだろうか。心のどこかでは、彼に追い付きたくないと思っていた。
視界が展ける。羊飼いがこちらを向いて立っていた。
ああ、追いついてしまった。
「僕は悪いことをしました」
泣き出しそうな声だった。「どうしても、どうしてもあの本が欲しかった。書庫に忍び込んで見るだけでいいと思ってたけど、手にとってみたら欲しくなってしまったんです」
その後は言葉にならなかった。泣いているのかもしれない。暗いせいで、表情は見えなかった。
「ああ星よ、星よ 星が見えるか 見えるか星が」
タムは言った。羊飼いは戸惑っているようだった。
「今夜は星が綺麗だな。空が晴れて、星がよく見えるよ」
空には星が瞬いていた。自分も夜が好きだ。星空を見ていると、心が安まる。
「私はもう少し、ここで星を見ていることにする。一人で見ていたい気分だから、お前はもう行ってくれないか」
羊飼いは暫し立ったままでいたが、やがてそこにある大きな石の側に屈み、何かをしたと思うと走り去って行った。
タムが空を見上げていると、サンディがやって来た。
「あの羊飼いはどうしました」
「逃げた」
「わざと逃がしましたね」
そうだ。わざと逃がした。タムには彼を捕まえることが出来なかった。
「あの男はどうした」
「町に戻りましたよ。本は取り返したので、一先ず戻るそうです。休んでからにしてはと言ったのですが、聞きませんでした。その後改めて盗人を追うと言っていました」
タムとサンディは洞穴に戻ることにした。夜が明けてから山を下りようという話になったのだ。洞穴には男の姿も羊飼いの荷物もなく、焚き火の燃えかすだけが残っている。
「タム、眠った方がいいですよ」
「眠れないんだ」
羊飼いはどうしただろう。どうなるだろう。男の町で高価なものを盗むのは重罪らしく、捕まれば死罪になることもあるそうだ。
「彼を逃がしたことを、後悔しているんですか」
「わからない。本を盗んだのは、悪いことだ。それは確かだ」
タムは、彼に同情していた。追ってきた男を縛り上げて脅したそうだが、本当に殺す気はなかったのだろう。そんなことを出来るようには見えない。自分のしてしまったことに怯え、追い詰められ、彼もどうしたらいいかわからなかったのだ。
「憐れではないか。彼は読めもしない本を盗んだんだ」
サンディは返事をしなかった。眠ってしまったのかもしれない。タムは一睡もしなかった。
夜が明けて陽が昇り始めると、洞穴の中に光がさし込んでくる。タムは本を開いた。
――文字を読めない男が、本を盗んだ。私は彼に同情した。彼を咎めることが出来なかった――
出発する前に、タムはある場所に寄りたいと言った。羊飼いと最後に会った場所だ。彼の立っていたところの側に、大きな石がある。彼は昨夜この場所で何かをしていた。
「文字のようなものが書いてありますね」
サンディが首を傾げる。「彼は文字が書けなかったはずでしょう」
「ああ、そうだよ。これは彼だけの文字だ」
タムには、羊飼いの書いた文字が読めた。
ありがとう。そう書いてある。
「何だか眠くなってきたな」
「だから眠った方がいいと言ったじゃないですか」
もう雨雲は欠片もない。タムは朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
眠い。眠い。やけに眠くなってきたな。タムは立ったまま、目を閉じた。
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