10


 どうしてだルシュニス。お前は村の者に好かれていたじゃないか。レユーサと恋仲にあったではないか。冷然とした彼をこの目で見ても、まだ信じられなかった。それまでの彼が、偽りの姿だと思えなかった。
 村の篝火が見える。神殿から長老の家まではそう離れていない。
 そして、それは見えてきた。何人かの村人が長老の家の前に集まっている。何かが起きたのだ。
 ああ、間に合わなかった。足を止め、タムは脇腹を押さえた。
 サンディと共に人だかりに近づいて、目を見張った。そこに倒れていたのは、長老ではなくルシュニスだった。ウドイに上から押さえつけられている。長老はその横に立ち、ルシュニスを見下ろしていた。地面に頬をつけたまま、ルシュニスは長老をねめつけている。
「どうなっているんだ」タムは言った。
 サンディが前に出る。
「ウドイ。あなたはルシュニスを疑っていたんですね」
「どういうことだ」
 訪ねながらタムは、質問しか出来ない自分を情けなく思った。主人より従者のサンディの方が、状況をよく理解しているようだ。
「ウドイは以前から彼を疑っていたのでしょう。狩りに行くと嘘をついて出て行った夜、村から出る者がいないか見張っていたのだと思います」
「あの晩は結局誰の姿を見ることもなかった。しかし一度だけ、真夜中にルシュニスが村から出て行くのを見た」
 沈んだ声でウドイが言った。「信じたくはなかった」
 彼の声から感じ取れるのは、怒りではなく悲しみと失望だった。この秘密をずっと一人で抱えていたのだろう。娘の恋人が村を裏切っているかもしれないと気付き、だがそれを真実として受け入れることが出来ず、悩んでいたのだ。ルシュニスが一瞬、目を伏せた。
「何故こんなことをしたんだ、ルシュニス」
 タムの問いに、ルシュニスの目の色が変わった。
「何故だと?」
 青筋を立てて体を起こす。ウドイに腕をつかまれたまま膝をつき、前のめりになって怒鳴った。
「こいつを殺さない限り、終わらないんだ!」
 こいつというのは長老のことだろう。長老はルシュニスに冷たい眼差しを注いでいる。虫の死骸でも見るような、そんな目つきだ。
「王の血はまだ途絶えていない! ウルトメテアが滅び、今も尚日照りが続く理由がわかるか? 大神官がのさばっているからだ。ウルトメテアは呪われていた。この村も呪われている。全ては悪しき大神官の末裔が生きているからだ!」
 皆の視線が長老に集まる。ウドイだけはルシュニスを見ていた。彼の言葉が真実だとすれば、長老はウルトメテアの王であった大神官の子孫ということになる。
 長老は薄い唇の端を吊り上げた。肯定の笑みだ。
「お前はあちらの村の者にそう教えられ、思い込んでいるのだな、哀れな奴よ。我らはこの地を守る為にここへとどまっているのだ。この地はまた栄えるよ。大神官の私が生きているのだからな」
「いや、滅びるさ。この村は滅びる。そうしてお前が大神官を気取っている限り、必ず滅びるんだ」
 長老とルシュニスは長いこと睨みあっていた。その場にいる誰もが固唾をのんでいる。先に動いたのは長老だった。ルシュニスに背を向ける。
「殺せ」
 長老は言い放った。
「待って下さい!」
 レユーサが走ってやってくる。それを見たルシュニスは顔を強張らせた。
「長老、どうかお慈悲を。ルシュニスの命を助けて下さい。彼はあちらの村に、いいように使われていただけなんです」
 今にも泣き崩れそうだった。首を横に振っている。そんな彼女を見ていられないのか、ルシュニスは口を一文字にして下を向いた。タムは、ルシュニスのレユーサに対する想いは偽りでなかったのだと思った。偽りならば、あれほど辛そうに目をつぶることなどないだろう。
「ルシュニスはこの村でよく働いてくれました。お願いです、長老」
「レユーサ」
 ルシュニスは立ち上がろうとするが、ウドイが肩をつかんで離さなかった。
「私は長老を殺して、君と逃げようと思った。本当だよ。君はこんな村などにいてはいけない」
 ルシュニスも泣き出しそうだった。それは、いつもの彼の顔だった。
 レユーサが唇を噛み、かぶりを振る。彼女は涙をこぼさなかった。
「駄目よ。だって私はこの村の人間だから」


 レユーサが物心ついた頃、ルシュニスはこの村にやってきたそうだ。その時彼は異国の服を着ていて、何者かに襲われたのだと言っていた。東の村の者に襲われたのだと思った西の村の者は、ルシュニスを保護することにした。その後ルシュニスは西の村で生活しながら、時々東の村へ報告に戻っていたのだ。
 彼は素直であるが故、幼い頃に教えられたことをずっと信じていたのだ。悪しき大神官の末裔を殺したなら、きっと二つの村に平和が訪れる。そう信じていた。
「ルシュニスは優しい人だから、今までずっと計画を実行に移せなかったのだと思います」
 空と地の境から光がこぼれる。夜明けだ。
 ルシュニスの姿はもう見えなくなっていた。村の者も彼に同情し、ルシュニスは外へ追放されることになった。命は救われたのだ。あの後、レユーサとルシュニスは一言も言葉を交わさなかった。
「わからないわ、私。ルシュニスが正しいとは思わない。でも、長老が正しいとも思わない」
 レユーサが言う。
 タムもそう思った。古から対立が続く神官と戦士は、常に互いを悪として見ていたのだ。はたして呪われているのは、この地なのだろうか。和解さえすれば、もう不幸なことなど起こらないのかもしれない。
 タムとサンディもこの地を発つことにした。レユーサに、神殿の地下で見た石板のことを伝えた。イジャからの警告だ。しかしレユーサは、それでも自分達はこの地を去ることはないだろうと言った。
「あなたはこれでよかったのかレユーサ。ルシュニスと逃げればよかったではないか」
「いいんです」
「ウドイが悲しむからか」
「それもありますが、理由は他にもあります」
「何だ」
 サンディは象の姿になり、待っていた。
 朝陽が昇り、全てが黄金色の光に包まれる。レユーサは微笑んだ。悲しげな笑みだった。
「私の母は、長老の娘なんです」
「何だと」
「私は長老の孫なんです。私も大神官の末裔です」
 ルシュニスはそのことを知らなかったそうだ。彼に憐憫の情を催さずにはいられなかった。仕方のないことだ、とレユーサが呟く。タムは、彼女にかけるべき言葉を見つけられなかった。
「いずれこの地が水に流されるのだとしたら、それも仕方のないことです」
 何を言うべきだろう。何を言っても、彼女の気は晴れないのだ。
「レユーサ、元気でな」
 そう言うしかなかった。
「私は強いから、平気ですよ。そんな顔をなさらないで」
 どんな顔をしているのだろう。タムは顔をこすった。
「タム、あなたもお元気で」
「ああ、ウドイに礼を言っておいてくれ」
 三度転げ落ち、ようやくサンディに乗ることが出来た。タムはレユーサに手を振った。レユーサも手を振り返す。彼女に幸せが訪れるように。タムは祈った。
 象は歩き出した。見渡す限り、乾いた土地が続いている。大雨など、本当に降るだろうか。
「サンディ、お前にとって正しいこととは、どんなことだ」
「それは、私が正しいと思ったことです」
「そうか。そうだな。それは、そうだ」
 やけに眠い。黄金色の中で、タムは目を閉じた。



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