09


「どういうことだ」とタム。
「大雨が降るのでしょう。おそらく、洪水になることを意味しているのでは」
 これほど乾いた土地に、大雨など降るのだろうか。そんな兆候は見られない。
「とてもそうは思えないがな。降るとしたらいつなんだ」
「そこまではわかりません。すぐかもしれませんし、何年も先になるかもしれません。しかし水に関してのことで、イジャがわからないことはありませんよ。これは彼からの警告です」
 それならば早く戻って村の者に話した方がいい。信じるかどうかは別として、とにかく話しておかなくては。いそいで引き返そうとするタムだったが、階段をあがりかけたところでサンディがついてきてないことに気付き、石板の前まで戻った。
「どうしたサンディ。戻るぞ」
 サンディは黙って石板を見ている。
「どうしたと言うんだ」
「杞憂だといいんですがね」サンディはそう呟いた。「今回のことが未然に防げたのは、あちらの村に間諜を放ったからでしたね」
「そうだな」
「同じことをしていたとしたら、とは思いませんか」
「どういうことだ」
「あちらの村も、こちらに間諜を送っていたとしたら」
「まさか」
 もしそうだとしたらおかしなことだ。奇襲を仕掛けることが知られていれば、すぐに中止するはずだ。
「大体、象はたったの二頭しかいなかった上、暴れる気配もなく落ち着いたものでした。妙です。あちらの村は、他に目的があったのではないでしょうか。だから知られていると知りつつ、奇襲を仕掛けたのです。我々は相手の作戦が失敗したと思い込み、油断します。その隙に、真の目的を果たそうとしているのではないでしょうか」
「考えすぎだよ」
 否定しつつ、考えれば考えるほどそんな気がしてくる。思えば何もかも上手くいきすぎてはいないだろうか。
「しかし真の目的とは何だ。別の象で村を襲わせ、攻めてくるとでも?」
「そんな派手なことではないと思いますがね」
「間諜とは誰だ? 怪しい素振りを見せた者などいなかったように思うが」
「私に心当たりがあります」
「誰だ、誰なんだ」
「ウドイが夜、蛇を狩りに出て行ったことを覚えていますか。おそらくあの時彼は、蛇を狩りに出て行ったのではありません。長老の家で出された肉のことを覚えていますか。あれは生肉でしたね」
 タムは頷いた。混乱しながらも昨夜のことを思い出す。
「あの肉は傷んでいませんでした。鮮度からいって間違いなく、蛇は直前に仕留めたものです」
「ではウドイは嘘をつき、あの晩何をしに出て行ったんだ」
「それは……」
 突然後ろから肩をつかまれたタムは驚いて、松明を落としてしまった。火は消えなかった。サンディにぶつかりながら後退する。誰かが松明に手を伸ばし、拾い上げた。
 照らし出された顔を見て、タムは愕然とした。そこには思いもよらない人物が立っていたのだ。
「ルシュニス」
 それは、レユーサの恋人である青年ルシュニスだった。ルシュニスであるはずなのだが、普段の彼とは違う、鋭い目つきをしている。まるで別人のようだった。タムはまた一歩退いた。
「まさか、お前が……」
「そうです、私ですよ。私は東の村からの密偵です。西の村に密偵が送られていることは皆気付いていますよ。長老は上手くやっていると思ったようですがね。馬鹿じゃないだろうか。泳がせていたとも知らずに」
 間諜であることをあっさりと認め、冷笑する。これがあのルシュニスだろうか。信じられないことだった。
「ルシュニス、お前は何をする気だ」
「これから長老を殺しに行きます」
 サンディよりも淡々とした口調だ。だが瞳は燃えていて、何かを固く決意しているようだ。
「やるなら、油断している今しかない。止めないで下さい」
「いいや、止めるぞ。そんなことは絶対にさせない」
 訳がわからないことだらけだが、一つだけはっきりしているのは、彼に人を殺させてはならないということだ。ルシュニスは松明をタムに突きつけた。火のはぜる音がする。慌ててタムは退くが、ルシュニスはにじり寄ってきた。
「どうしてだルシュニス。どうして長老を殺そうとする。恨みでもあるのか」
「余所者のあなたにお話しすることはない」
 壁に手で触れると、ルシュニスは踵を返して走り出した。
「待てルシュニス!」
 追いかけようと、タムが一歩踏み出したその時だった。頭上から僅かな砂が降ってきた。そして、石の壁が下りてくる。後ろは行き止まりだった。このままでは閉じ込められる、と思った時にはもう遅かった。壁によって道は塞がれ、周囲は暗闇に没入した。拳で叩いてみるが、分厚い壁はびくともしない。持ち上げられないかと下の方を探ってみるが、床と壁に隙間はなかった。
 ルシュニスはこの仕掛けを知っていたのだろう。どこかに触れると、この壁が下りてくる仕組みなのだ。
「やられたな。閉じ込められた」
 どうにか脱出して、ルシュニスを止めなければ。脱出が出来なければ大変なことになる。タムはぞっとした。
 外へ声は届かないだろうし、村人はここに寄りつかないそうなので助けが来ることは期待できない。水も食料もないこの場所で、どのくらいの間、生きていけるのか。このまま、死んでしまうのではないだろうか。
「ここが、私の棺桶になるのか」
「何の話ですか」
 闇の中からサンディの声が聞こえてきた。あまりに静かにしているので存在を忘れかけていたが、彼も一緒にいたのだ。
「お前はよく落ち着いていられるな。我々は死んでしまうかもしれないんだぞ!」
「あなたは物事をすぐ悲観的に捉えますね。落ち着いて下さい」
 鷹揚な口ぶりだ。いつでもサンディはそうだ。どういう神経をしているのか。
 タムは腹立ちまぎれに怒鳴った。
「これが落ち着いていられるか!」
「私が思うに、これは敵を閉じこめる仕掛けではありませんよ。よく考えてみて下さい。こんなところまで、敵を追いつめることが出来ますか。この仕掛けはむしろ、身を守る為のものでしょう」
 どこかから風が吹き込んでくるようだ、とサンディが言った。壁が下りてきた方からではない。つまり、どこかが外へ繋がっているということだ。
「抜け道があるのだと思います。敵が攻めてきた時などに隠れ、ここから外に出ようと考えていたのではないでしょうか。この広さでは、せいぜい二、三人程度しか入れませんが」
 落ち着いて考えてみれば、神殿という神聖な建物の地下に、たった数人しか閉じ込められない仕掛けをつくるわけがない。
 サンディが四方の壁を押して確かめ、動く箇所を発見した。タムも踏ん張り、二人で壁を動かす。その先には横穴が掘られていて、穴は外へと続いていた。四つん這いになってやっと通れるくらいの穴だ。
「急ぎましょう、タム」
「そうだな」
 出てみるとそこは神殿の裏側だった。二人は走り出した。
 夜道を全力で走るのは楽でなかった。タムは何度も石に躓き、転びそうになりながら、サンディの後を走った。



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