08


 丈夫な造りらしく酷く朽ちてはいないものの、やはり時の経過は感じられる。かつてはより白かったであろう石造りの建物は、色がくすんでいた。門柱には馬の彫刻が施されている他に、四素人の名前も彫られていた。
「クスバ、イジャ、ファオエン、サヌーイ。これは彼らが彫ったものなのか」
「違います。彼らは神殿が造られるずっと前にこの地を離れていますからね。これはこの地の人間が刻んだものです。彼らの文字が残されている石板は地下に残されています」
 タムが松明を近づけると、地下へと続く階段が見えた。後ろからサンディがついてきているか何度も確認しながらおりていく。
「何故そう何度も振り向くのですか。前を向かないと危ないですよ、タム」
「ああ、そうだな」
「タム」
「何だ」
「あなたを置いて逃げたりしませんから、安心して下さい」
 私は平気だぞ。もしお前が逃げて一人になっても、怖くはない。そう思ったが、口には出さなかった。言い返せば強がっているように見られるかもしれない。
 階段をおりると、すぐに壁画が目に入った。
 何人もの人間が一列に並び、その先には冠をかぶった男が一人、椅子に座っている。男の後ろには頭が鳥のような形をしている人間が立っていた。絵のあちこちには黒い猫が描かれている。
「これは何だ」
「死後の世界について描かれているのです」
 人は死んでも、善い行いした者は長き時を経て復活すると信じられていた。椅子に座っているのが冥界の王で、その王が死者を善人か悪人か判断するのだ。王は名を呼ぶことが禁じられているせいで、その名は伝わっていない。王に助言するのは嘴のある「後ろの神」だった。後ろの神は常に王の後ろに立っている。
「この猫は何だ」タムは尋ねた。やたらと猫が描かれているのだ。
「後ろの神を見張っているのです」
「村の者が四人の自然の神のことを話していたが、ここには描かれていないんだな」
「四人の神は地上の神ですからね。これは冥界の絵ですよ」
 地上には一人と四人の神がいると信じられている。一人は太陽の神で、四人は地、水、火、空気の神だ。直接生活に関わってくるのは自然を司ると言われている、この一神四神だった。
「その一神四神というのは、ルトや四素人のようだな」
「そのようですね」
「お前は彼らを神だと思うか?」
 タムの質問にサンディは黙したが、ややあって静かに答えた。
「人がどのようなものを神と呼ぶのかはわかりません。私にとって、ルトはルトです」
 それにしてもウルトメテアの民には、随分とたくさんの神が存在したんだな。そう思い壁画を見ているタムに、今度はサンディが質問した。
「タムは神を信じますか」
 彼がこのような質問をするのは珍しいことだ。そしてこの質問は答えるのが非常に難しい。タムは神というものが何であるか考えたことがなかったのだ。なので、こう答えることにした。
「神がなんであるかによるな」
「そうですか」
「お前はどうなんだ。神を信じるか」
「私は象ですよ。在るものは在り、無いものは無い。それだけです」
 そう言った時のサンディの目は、確かに獣の目だった。野山を走る兎や草原を歩く獅子、空を羽ばたく鳥。人ではなく獣である彼らは皆こんな目をしている。信じるか、という問いは、彼らにとって愚問かもしれない。在るか無いか、それだけなのだから。彼らは無いものを在るかもしれないとは思わないし、また在るものを無いかもしれないとも思わない。
「人より獣の方が余程賢いのかもしれないな、サンディ」
 タムは微苦笑を浮かべた。
「賢さの定義にもよりますがね」とサンディ。「神と言えば、ウルトメテアの国王は死ぬと神になると言われていたそうですよ」
「神? どの神だ?」
「神々に仕える神です」
 全く、この国にはどれほどたくさんの神がいたのだろうか。こう次から次へと神が現れると、とても覚えきれない。サンディの話によると、ウルトメテアの国王は神官のなかで一番位の高い大神官のことをさすそうだ。
まつりごとはほとんど執り行わなかったようですがね」
 サンディは奥にある石板のところへタムを案内した。この石板は昔ここへ運びこまれたものだった。村の者が「神文字」と呼ぶのと同じ文字で書かれている。
 タムには容易に読むことが出来た。驚くことに、石板に書かれているのはほとんどがタムに宛てた言葉だった。白い石柱に刻まれていたのと同じ字で、こう書かれている。水の人イジャが書いたのだろう。
“お節介なタム。お前はきっとどこへ行っても、余計なことに首を突っ込んでいるのだろうな。ほどほどにしておいた方がいいぞ”
 次は荒々しい字だ。地の人クスバのものかとも思ったが、彼は文字を書くのが苦手なので長い文章は書かないのだとサンディが言った。ならばこれは、火の人ファオエンのものか。
“おい、お節介なタム。あの時はよくもクスバが溺れているだなんて嘘をついてくれたな。文句を言おうと思ったら、もういなくなっていた。卑怯な奴だ。どうして挨拶もなしに行ってしまったんだよ”
 笑いながら読んでいたタムだったが、はっとして石板から顔を離した。
「待てよ。この国に住んでいた者達はこれを読んだわけではないだろうな。まさかとは思うが、これを拝んでいたりはしないだろう?」
「神官はこの石板に祈りを捧げていたようですがね」平然とサンディは言った。
「これを? これをか! 冗談だろう。私的な伝言だぞ」
 神官達は祈りを捧げながら、「おい、お節介なタム。あの時はよくも……」などと読み上げていたのだろうか。あり得ない。
「ご心配なく。この文字を正しく読めるのはあなたくらいです。石柱の文字は別として、これは特別な書き方で記されています。普通の者にはいかにも神聖なことが書いてあるように見えるのです」
 それもまた気の毒な話だ。石板を祀っていた神官達もまさかこんなことが書いてあるとは夢にも思わなかっただろう。
「これはロプタの言葉と呼ばれています。書き記す時に使用する文字は全部で八十ありますが、そのうちの三十文字は捨て文字という、一見意味のない文字です。その組み合わせで文章に二つの意味を持たせられるのです。しかし、あまりに難解なので読み解ける者がいないのです」
「この文は牛耕式で書かれているな」
「その通りです。普通の人間はそれすらもわかりません」
 次は、丁寧な文字で綴られていた。空気の人サヌーイのものだろう。
“お節介なタムへ”
 出だしを読み、タムはサンディに言った。
「おい、皆私のことをお節介だと書いてあるぞ」
「それはそうでしょう。タムはお節介ですから」
 数秒サンディと見つめ合ったタムはそれに言葉を返さず、視線を石板に戻した。
“あなたのお節介のおかげで、私達はほんの少し、仲が良くなったように思えるわ。あれからみんな反省したのよ。お礼を言いたかったのにすぐに去ってしまって残念だわ。また会えたらいいわね”
 よく見るとその下にもまだ何か書かれている。四素人全員で書いたものだろう。
“タム、貴方が困ったその時は、必ず我らが力を貸そう”
 クスバが書いたと思われる箇所は、タムでさえも眉をしかめるほど癖のある字だった。
「酷い字ですね。私には読めません」
 サンディはクスバの字を睨んでいる。「クスバは字を書くのが本当に苦手だったんですよ。木を引っこ抜くのは得意でしたがね。これはサヌーイに無理やり書かされたのでしょう」
 あのサヌーイならやりそうだ。力自慢のクスバを力でねじ伏せることが出来るのは、彼女しかいないだろう。サンディはクスバのことをよく知っているようだ。サンディの食べるものを集める代わりに、力比べを何度も挑んできたそうだ。
「隣にも石板があります」
 サンディに言われ、タムは首を伸ばした。円盤で、螺旋状の表記がなされている。そちらの方には簡潔に、イジャの字でこう書いてあった。
“いずれこの地は水に流される”



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