「この男が神文字と言っているのは、これのことか」
石柱の文字を指さしながら、タムはサンディに耳打ちした。
「そうでしょうね。これは、水の人イジャがここへ刻んだ文字です」とサンディが返す。
「お名前をうかがって宜しいでしょうか」
「タムと申します」
男は目を見開き、「それは特別なお名前ですね。素晴らしい」と言った。どういう意味か聞こうとしたが、口を挟む隙もなく男は続ける。
「タム殿、我らの村へお越し下さい。歓迎致します」
恭しく一礼し、男が言った。状況は理解出来なかったが、歓迎されるのも悪くない。食べ物にありつけるかもしれない、とタムは頷いた。
「良かったですね。食べ物にありつけますね」
まるで心を見透かしたようにサンディが呟く。
「私はそんなに卑しい奴ではないぞ!」
むきになって言い返すが、サンディはそっぽを向いていた。
村は森より西の、そう遠くない場所にあった。
日干しレンガの建物が並び、その奥には石造りの大きな建物が見える。森で会った男はウドイといった。村に案内されるまでの間タムの心に引っかかっていたのは、ウドイの「高貴な身分の方」という言葉だった。自分が高貴な身分の者でないことは、はっきりしている。すると、ウドイは勘違いをしているのだろうか。勘違いだとわかったら、ウドイはどうするだろう。
そんなことを考えると、落ち着いてはいられなかった。そしてついにそのことを言い出せないまま、ウドイの住む家に到着した。
ウドイはかめから濁った水をすくい、器に入れるとタムとサンディに手渡した。二人は顔を見合わせ、同時にそれを口へ運んだ。
次の瞬間、同時にそれを吹き出した。
強い苦みと酸味があり、とてもまともに飲めるものではなかったのだ。
「どうかされましたか」
ウドイはタムとサンディの顔を交互に見た。タムが言い淀んでいると、サンディが答えた。
「我々の故郷では、初めに出された飲み物はまず口に含んで吐き出すという習慣があるのです」
嘘だった。サンディもおそらく口に合わないために吹き出したのだろう。だがウドイはこの説明に納得したようだった。
「なるほど。お二人はどちらからいらしたのですか」
「ここよりもずっと北の方ですね。私とタムは旅をしているのです。私はタムの従者です」
ウドイいわく、この濁った水は酒らしい。世の中には酷い味の酒もあるものだ。タムはそう思ったが、口には出さなかった。彼らにとっては美味い酒なのだろう。所が変われば味の好みも変わるものだ。ここらでは、客人が来るとすぐに酒をふるまうという風習があるそうだった。水の正体が酒だと聞いた途端、サンディは「自分は酒が飲めません」と言い出した。
「申し訳ありませんが、主人に付き従う間、酒類は飲まないと決めているので。さあタム、私の分もどうぞ」
サンディの差し出す器を、タムは無言で押し戻した。サンディは真顔でまた器を差し出す。それも押し戻されると、素早い動作で酒をタムの器へ注いでしまった。呆然と、タムは器の中になみなみ注がれた酒を見た。
「タム殿、遠慮なさらず」
ウドイが勧める。タムは苦笑いを浮かべ、酒を口に含んだ。含んでから飲み下すのがまた一苦労だった。一口が少ないので、飲んでも飲んでも減っていないように見える。ウドイはタムが酒をゆっくり味わっているように思っているらしく、満足そうにしていた。弓矢をしまう為に彼が立って部屋の奥へ去っていくと、タムは器を置いてすかさずサンディの方へ向き直った。
「卑怯だぞ、サンディ」
「酒が飲めないというのは本当です。花から生まれた象は、酒を飲みません」
「だからと言って、お前の分を私に飲ませる必要があるか」
ウドイの放った矢によって中断された、森での言い争いを思い出した。サンディは本当に自分を嫌っているからこんな態度をとるのか、それとも元よりこのような素っ気ない態度をとる者なのかはわからなかった。それを知るには付き合いが浅すぎる。
「ウドイが戻ってきますよ」とサンディ。
ウドイに見つめられながら酒をちびちびとやるのはもううんざりだ。タムは息を止め、一気に不味い酒を飲んだ。
「美味い酒でした」
本心が顔に表れないよう精一杯の笑みを見せ、タムは感謝の意を表した。内心ではサンディに毒づいていた。飲まねばならない量が増えたのは、彼のせいだ。
ウドイは夜に村の長老とあってほしいと言ってきた。またも「高貴な身分の方」という言葉がウドイの口から飛び出す。タムはそれを遮り、やっと「私は高い身分の者ではありません」と言ったのだが、笑って聞き流されてしまった。サンディはそんなやりとりを見守るだけだ。
「隣の家が空いております。どうぞそちらをご自由にお使い下さい」
「いや、しかし。そこまで世話になるわけにはいきません」
宿を提供してもらえるのはありがたいことだが、また酒を飲まされてはたまらない。
「先程の非礼の詫びをさせて下さい、タム殿」
是非、是非にとウドイが繰り返すので、とうとうタムは頷くしかなかった。ウドイは用があるそうで、タムとサンディは隣の小さな家へと移った。荷物を置き、タムが床に座す。まだ酒の味が口に残っているようだ。一休みしてから、村を見て回ることにした。
ひっそりとした村だった。全く活気がないわけでもないのだが、どこかうら淋しい。
「そう思われるのはきっと、ここがかつて栄えた国の跡地だからでしょう」
サンディはこの辺りのことをある程度知っているらしい。
「国? ここに国があったのか」
「大昔のことですがね。当時の建物などが残っています」
村に到着してまず目にした石造りの建物は、滅びた国の神殿だった。その向こうには王の墳墓があるらしい。村の端には、当時国を囲んでいたらしい、朽ちた壁があった。
「何という名の国だ」
「ウルトメテアです、タム」
「彼らはなぜウルトメテア国の跡地などに住んでいるのだろう」
この質問に、サンディは答えなかった。
道端で子供たちが円になり、何かの遊びをしている。タムとサンディは近づいてみた。六人の子供が順番に石を投げている。一人の少年が振り向き、タムに声をかけた。
「お兄さん、一緒にやらない? ショー(七)の役をやってよ」
「ショー?」
「この遊びは七人でやるものなんですよ。エー・ニー・サゥ・イズ・ノー・クヮ・ショーという遊びです」
サンディがタムに教えた。地面に描かれた円の中に一つの石があり、エー(一)からショー(七)までの人が順に手持ちの石を投げていく。手持ちの石を当て、円の中の石が外に出なければその石を取れるのだ。手持ちの石と取り合う石は質が違っている。手持ちの石は重いが、取り合う石は軽く、転がりやすいように形が整えられていた。微妙な力加減が必要で、石を取るのは難しかった。
エーからクヮ(六)までの子は次々に石を取っていくのに、ショーのタムだけが一つも石を取れずにいる。
「サンディ、やってみるか」
額に滲んだ汗を拭い、タムは手持ちの石を渡した。サンディは黙々と石を投げ、取っていく。上手いものだった。子供たちもサンディに尊敬の眼差しを注いでいる。タムには面白くないことだった。
そうしていつの間にか、日が傾いていた。
「もう戻りましょうか」
ほとんど石を独り占めにしたサンディが言う。タムはクヮの子と代わってもらい、サンディと張り合ったのだがまるで歯が立たない。
「もう一度だ、もう一度やろう。どうすれば上手くいくのか、大分わかってきたぞ」
「タム、ウドイが待っていますよ」
「待ってくれ、もう一度やろう。今度こそ勝てる気がする」
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