二つの村:01


 暑い。
 あまりにも暑い。
 肌が焼かれているようだった。眩しくて眠っていられない。タムは身を起こした。
 大地は乾燥の為かひび割れ、陽炎が立っている。陽は中天にあり、燦々と地上に光を降り注いでいた。
 炎天の下熱気に当てられたせいか、頭がぼんやりする。確かサンディと共に森を出て、そのまま眠ってしまったのだ。しかしサンディの姿はない。立ちあがって歩き出すも、めまいがしてすぐに膝をついてしまった。
「サンディ、どこだ」
 タムは黒い象の名を呼んだ。口が乾き、声はかすれている。
「サンディ! どこへ言ったんだ。私を置いていってしまったのか。薄情な奴だ」
 地面に突っ伏した。もう起き上がる気力もない。意識が朦朧としてきた、その時だった。
「こんなところで寝ていては、干上がってしまいますよ。タム」
 天から声が降ってきた。見ると、目の前に見知らぬ男が立っている。肌は黒く、頭に巻いた布からは短い銀の髪がのぞいている。男は無表情でタムを見下ろしていた。
「誰だ」
 タムが問うと、男は少し呆れたように答えた。
「もうお忘れですか。サンディです。人の姿に化身して現れました」
「サンディだって? そんな馬鹿な」
 だがよく聞けば声はサンディで、黒曜石のような輝く瞳を見ても彼だとわかる。
「どうして人の姿をしているんだ」
「この辺りは人が多いので、あなたのお供をするのに象のままでは都合が悪いのです」
 この暑さの中、サンディは平然としていた。
「人というのは、光の人ルトや四素人とは別なのか」
「別です。彼らはもうかなり前にこの地を去っています」
 疑問はたくさんあったが今はその答えより、全身が水を欲していた。一杯でいいので、水を飲みたい。目覚めの後はよく喉が渇くものだが、今回は特に酷かった。
「サンディ、水が飲みたいんだ。水筒を持ってないか」
 タムが言うと、サンディは軽く両手を上げた。水筒どころか何も持っていないようだ。タムは項垂れた。もはや汗は一滴も出ず、干からびるのも時間の問題だ。
「水筒は持っていませんが、この先に泉がありますよ」
「本当か。こんなところに泉があるのか」
「はい、あります。案内しましょう」
 にわかには信じ難い話だが、今は信じるしかなかった。
 サンディは歩くのが速く、タムは何度も「待ってくれ」と声をかけた。そしてあるものを見て目をむいた。こんな乾いた土地に、小さな森があったのだ。信じられない光景だった。幻ではないかと、何度も目をこすったほどだ。
「あそこに泉が、水があるんだな」
 タムはかすれた声で言った。
「はい」
 サンディは汗もかかず、表情を変えることなく頷いている。よろめきながらタムは森へ向かった。森に入ると手をつき、ほとんど這っていた。
 森の中は驚くほど涼しかった。心地好い風が頬を撫でる。それだけで生き返ったようだった。草の上で倒れているタムの横を、サンディが通り過ぎる。
「水は宜しいのですか」
「そうだ、水だ。水を飲むんだった」
 草をかきわけて進むと、大きな泉が目の前に現れた。どこかで見たような泉だ。タムは駆け寄り、泉に頭を突っ込んだ。息を吸うのも忘れて水を飲む。実際、タムは溺れていた。
「息は吸わないといけませんよ」
 サンディがタムの頭をつかんで引っ張った。むせかえりながらタムは激しく頭を振った。
「恵みの森だ。恵の泉だ。あの暑さの中、もう少しで私は死んでしまうところだった」
 膝をつき、サンディも両手で水をすくって口へ運ぶ。
「お前も喉が渇いていたのか。その割には何も言っていなかったな」
 タムが言った。
「暑い時に暑いと言って、涼しくなりますか。水が飲みたいと言って、水が現れるなら私も声に出しますが、そうではないでしょう。言ってどうにもならないことは、言わないようにしているのです」
「そうか」
 気を悪くしてタムは口を閉じた。遠回しに自分が非難されているような気がしたのだ。タムはここに来るまで、「水が飲みたい」という言葉を両手で教えられる以上に繰り返していた。
 満足するほど水を飲んだタムは、森を散歩してみることにした。サンディも無言でついてくる。珍しく白い木があると思って近づいてみると、それは石の柱だった。タムよりやや高いくらいの柱だ。そこに書かれている文字を見て、タムはサンディの方を振り返った。
「ここは四素人や光の人ルトがいたあの森なんだな」
 泉も、クスバと出会ったあの場所に違いない。サンディはそれにやはり顔色ひとつ変えず答えた。
「そんなことにも気がつかなかったんですか」
 その棘のある物言いに、さすがに我慢ならなくなってタムが言った。
「ずっと思っていたんだが、お前は私を嫌っているんだろう」
「どうしてそう思うんですか」
「私にいちいちつっかかるじゃないか」
「そんなことはありませんよ」
「何が不満なんだ。言ってみろ」
「私が不満に思っていると、決めつけないでもらえますか」
 更にタムが続けようとした時、何かが風を切る音が聞こえた。飛んできたのだ。視界の端に、その何かが見えた。だが、身構える暇はなかった。その何かとは、一本の矢だった。
 矢は、タムの隣にある木の幹に刺さっている。その矢じりが自分の頭に刺さっていたらと考えると、気が遠くなった。そして間もなく、恐怖に身が震えた。
 矢をつがえた男がこちらへ歩いてきているのだ。
 日にやけた堂々たる体躯で、黒い髪は後ろで束ねているようだ。歳は四十くらいだろうか、顔は若くない。
「何者だ!」
 厳しく男が言い放つ。タムは口を開けたまま視線をさまよわせ、サンディの方を見た。サンディの顔には焦りや恐怖といったものが微塵も表れていなかった。この象は驚くということを知らないのかもしれない。
 恐ろしさで声が出なかった。恐ろしいに決まっている。男が矢を放てば、あの頭に刺さったらという想像が現実のものになるのだ。
「そこで何をしている!」
 一歩、また一歩と男が距離を縮める。いっそのことこちらから飛びかかって、武器を奪い取ってしまおうか。弓矢の他に、腰に下げた刀らしきものも目に入った。だが、飛びかかるのは無理だろう。足がすくんで、動けない。
「何をしているんだ、言え!」
 男は怒鳴った。
「柱に刻まれた文字を読んでいた」
 タムが言うと、男は目を見開いた。
「読めるのか?」
「ああ」
「読んでみろ」
 これを読んで命が助かるなら、百回でも読んでやる、とタムは思った。
「我ら四素人はこの世が在る限り新しく生まれることはなくまた消滅することもない」
 タムが言い終わる前に、男は弓矢をおろして跪いた。目を見開くのはタムの番だった。
「どうか無礼をお許し下さい。尊い石柱の神文字を読めるとは、あなたは高貴な身分の方に違いない」



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