03


「そこで、休んでいきましょう」
 サンディが指さした方を見て、タッフェムは驚きを禁じえなかった。
 白い中で、そこだけはっきりと色がつき、「喫茶店 ブラック・エレファント」という看板まで出ているのである。
 店の硝子扉を押し開け、サンディは躊躇もせず入っていき、タッフェムも唖然としつつ続くしかなかった。
 壁紙は落ち着いた色の縞柄で、大きな年代物らしい柱時計が目に入った。椅子やテーブルもどことなく古びた色をしていて、インテリアには独特のこだわりが見受けられる。
 しかし、飴色の椅子の脚も、使いこまれた風に見えるテーブルの天版も、古く見えるように加工されているだけだった。ここではそういった、本当の「骨董品」は滅多に手に入らない。数が少ないので、とても高価なものなのだ。
 客は一人もいなかったが、髭の生えた中年のマスターが立っていた。
 こんなこと、有り得ない。
 そんな言葉が喉まで出かかったが、口にはしなかった。素直に驚いて見せると、傍らの少年が満足そうに笑うような気がしたからだ。
 サンディ少年とマスターは顔見知りなのか、親しげに目線を交わす。サンディにすすめられ、タッフェムは彼と一緒に近くの席に腰を下ろした。
「何か頼みましょう。君、何にする」
 メニュー表を見たが、そわそわして決められず、ぶっきらぼうに「何でもいいよ」とタッフェムは答えた。サンディがマスターを呼ぶ。
「ジュレ・オ・フリュイを二つ」
 タッフェムは、夢か幻でも見ている気分で、落ち着きなく周囲に首をめぐらせていた。誰もいない建物の中で、一つだけ開いている喫茶店。
 意味がないし、許可も出るはずがない。第一、立ち入り禁止なのだ。
 サンディは席を立ってカウンターへ行き、そこにあった小さなスフィア模型を持って戻ってきた。
 この世界はあちこちに大小様々のスフィア模型が置かれているが、一体何のためなのだろう、と今更ながらタッフェムは疑問に思う。
 役立ちもしないこのオブジェはもしかすると、人々に正当性を主張し、すりこもうとしているのかもしれない。
「さっきの話の続きですが」
 サンディはテーブルに模型を置く。
「君はスフィアが、正しいものだと思いますか」
 質問の意味がわかりかね、返答に窮したタッフェムはサンディを見つめ返す。答えを待たず、彼は話を進めた。
「スフィアに持ちこめるものには限りがあった。多くのものを見捨てなければならなかったんですよ。この頑丈な球体内に逃げおおせたのは、ごく一部の人々だけだ」
「スフィアの外の世界はどうなったんだ。何があるんだ」
「とっくに、終わってしまいましたよ。かつての世界の残骸があるだけです」
 これまで何の感情もわかずに目にしていたスフィア模型だが、話を聞いてから見ると、タッフェムの心には暗い影が落ちた。それは、罪悪感のようなものだった。
 こんなことになってしまった責任が、自分にあるわけではない。スフィアにこもる決断を下した人々とて、それはいたしかたなかったはずで、責めるのは酷だ。
 それでも、できてしまったしこりは容易に消えそうにない。
 タッフェムがスフィア模型に見入っていると、サンディは折りたたみナイフをおもむろに球体に突き立てた。それに驚き目を見開いて顔をあげたところで、マスターが注文したデザートを運んでくる。
 透き通ったジュレは宝石のように輝き、フルーツも彩りを添えていて美しい。
「スフィアじゃ、植物は迫害されているんです。君だって、植物なんてろくに見た覚えがないでしょう」
 サンディはジュレを食べながら言った。
 確かに、街にあるものは作りものの植物ばかりで、本物は目にしない。土や植物は病気をもたらすからだと聞いている。
「でも、これだって植物だろう」
 タッフェムが「これ」と言ったのは、スプーンの上でジュレと共に光っている、カットされたフルーツだった。それにサンディが一瞥を寄越す。
「それも合成されて作り出された偽物みたいなものです。本来の姿とは、異なっている」
 ひょっとすると、タッフェムが想像するよりも遙かに多くの偽物が、スフィアの内には存在しているのかもしれない。
 夥しい数の動物も滅んだとサンディは言った。骨や角や皮など、一部分が持ちこめただけだ。タッフェムも被毛のある獣は、書物でしか見ていない。
「ゾウとか、君、よく知らないでしょう」
 名前くらいは知っている。とても大きな動物だそうだ。それなら、スフィアには連れて来られなかっただろう。どこかの施設に、サンプルのネズミやトリはいるらしいから、ホンモノの動物は、小さなものしかいないのだ。
 ふと見ると、サンディが食べる手を休めてタッフェムの方を注意深くうかがっていた。
 大きな黒い瞳は、つややかな黒曜石を思わせる。光しかないスフィアでは、目にするのも珍しい暗黒の色。スフィアの外に広がる、見捨てられた広漠な世界は、こんな色に染まっているのだろうか。
 だが、その色を思い浮かべてみた時、不思議と嫌な気持ちはしなかった。先程のような罪悪感も、恐怖もない。何となく、淡い好奇心が胸をざわつかせるだけだった。
 ジュレは程良く冷たく、フルーツの酸味や甘みとよく合う。タッフェムはサンディに遅れてそれを食べ終えた。
 黒曜石の瞳を持つ少年は、脇によけてあったスフィア模型を自分の前まで引っ張った。球体にナイフが突き刺さったそのさまは、まさしく反逆のオブジェだった。
 すっとナイフを動かすと、球は二つに割れる。中身は空っぽで、サンディは片割れをタッフェムに渡した。
「これは、ホワイトチョコレート。店のサービスですから、遠慮なくどうぞ」
 少しかじってみると、甘い味がした。
 タッフェムが一人チョコレートをかじっている間に、サンディはカウンターの方へ立って行って、マスターと小声で話をしている。
「それじゃあ、タッフェム。そろそろ行きましょうか。これ以上のんびりしてもいられないらしい」
 勘定は、と尋ねると、つけなので今は払わなくていいのだとサンディは言う。タッフェムとしては自分の分くらいは支払いたいところだったが、生憎と持ち合わせがない。それに、支払いについて揉めている暇もなさそうだった。サンディはマスターと頷き合って店の外に出る。
「おい、ここはどういう店なんだよ。あの人は何者なんだ」
 追いついてタッフェムが問うと、サンディは店をかえりみた。
「もう、目が眩む欺瞞の光の中で過ごしていたくないという同志の一人ですよ。ああいう人は、案外少なくないんです」
 つまり、彼らは仲間ということなのだろう。きっと穏やかではない思想を共有していて、それは形に表すとしたら、球体にナイフが突き刺さっているあのオブジェ、あれが一番近いだろうか。
「それで、失われた言葉というのは」
 そもそもタッフェムが誘いを断れなかったのは、そのことについて興味があったからだ。「それは」と言いかけたサンディは、言葉を切って遠くに注意を向ける。
「後にしましょう。ついて来て下さい。くれぐれも、はぐれないように」
 駆け出すサンディに、タッフェムも自然と続いた。というのも、微かな足音を耳にしたからだ。言うまでもなく、追っ手だろう。上で見たポリスか、もっと権限を持つ組織の手の者かもしれない。
 これ以上深入りすれば、後戻りができなくなるとタッフェムもわかっていたが、さほど迷いもせずサンディの小さな背中を追っていた。
 きびすを返して、再びつまらない安寧にこの身を浸すのが、瞬間的に嫌になったのだ。一生、配達夫として終わる人生に価値が見出せなくなった。サンディの言葉の何かに、特段胸を打たれたというわけではなかったが、よく考える間もなく、足だけが己の偽りない気持ちを察知して動き出した。



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