02


「僕は隠れない。そっちと違って、悪さをした覚えはないからな」
「でも、僕が隠れた荷物を運んだでしょう。立ち入りが許可されていない地域にも勝手に降り立った。――いや、君の言い分はわかる。知らなかったと主張したいんでしょう。けれど、それが真実だったとして、ポリスは信じてくれるかな」
 言いたいことを先回りされ、タッフェムは言葉を詰まらせた。自分としてはやましいことなど何一つないが、ポリスがどれだけ権高で融通のきかない組織であるかを思い出すと、身の証しを立てるのは容易でなさそうだと不安になる。
 こうしている間にも、鳴り響くサイレンの音は迫っていた。サンディはそれ以上の助言はせずに、先に一人姿を隠す。
 結局、タッフェムもバイクを押して建物の陰に身を潜めることに決めた。ポリスと接触すれば、これ以上のややこしい事態に巻きこまれそうだ。
 じっとしていると、いつの間にかサンディが隣に立って口の端に笑みを浮かべているから、睨んでやった。
 この少年が全ての元凶であるというのに、何やら面白がっているような表情が気に入らない。それが逃亡者のする顔だろうか。
 一台、かなりの速度でパトロール・カーが近くを通り過ぎていった。更に二台、三台。タッフェムは緊張して身をすくませ、息を殺して車が過ぎ去るのを待った。
 計五台の車がけたたましい音で静寂を破りながら走っていき、やがてその残響も消えると、今まで以上の静けさが満ちる。タッフェムは、ほっと息をついた。
 それにしても、子供一人に五台も車がやって来るとは、ただごとではない。本当に彼をさがしに来たのだとしたら、この少年はどれほどの悪事を働いたのであろう。
「行ったみたいですね」
 緊張感のない口調で言いながら、サンディは外に顔をのぞかせる。
「君の判断は正しい。奴らに捕まったら、きっと、拷問を受けていましたよ」
「まさか」
 ひやりとしたが、これはこの生意気な少年の冗談だろう。いくらポリスに横暴なところがあるといったって、それは彼らの癖みたいなもので、さすがに手をあげるほど「酔って」はいないはずだ。彼らが偉ぶるのは、制服にそいう臭いがしみついているせいなのだ。
「さて、僕は行くけど、君も来るでしょうね」
 先程から指示されたり決めつけられたりと、どうしてこんな口のきき方をするのだろう。
 タッフェムはサンディの言葉を無視してそっぽを向いた。どこへ行くのか知らないが、ついていくわけがない。どこへでも、行ってしまえばいいのだ。
「タッフェム、スフィアの秘密を知りたくはありませんか。植物と、滅んだ動物と、失われた言葉について」
 無視するつもりでいたのだが、タッフェムの心は簡単にくすぐられてしまった。
 というのも、昔から文字を眺めるのが好きだったタッフェムは、言葉というものに異様なほど興味をひかれるのだ。
 本音を言えば、仕事も配達夫などではなく、もっと文字などに関わることを希望していたのだが、運に恵まれなかった。
 「スフィアの中」で使われる言語は主に一種類で、過去には他にも五種類ほど使われていた。しかしタッフェムは、根拠もないのに、実は言語というものはもっと多く存在していたのではないかと考えている。
 サンディがほのめかした内容は、もしかするとタッフェムの考えを裏付ける何かが秘められているのかもしれない。
 気にはなったが、すぐに飛びつくのは癪で、タッフェムは顔をしかめて見せる。
「何でお前は、僕も一緒に行くと思うんだよ」
「君が今の生活に満足していないと顔に書いてあるから。そういう人は、常に変化のきっかけを待ち望んでいるものですよ」
 首だけ振り向いて、「さあ」と促すとサンディは歩き出す。タッフェムは握り拳をかためて突っ立っていたが、サンディの後を追うことにした。
 彼に従うのは面白くないが、ここで反発をして回れ右をするのも、随分子供っぽい行為に思えたのだ。サンディについていくのはつまり、己の度量の広さを示すことになる。君の挑発など、僕はまるきり気にしちゃいないんだぜ、というわけだ。
 それにしても、サンディが向かったのは妙なことに、この改修中の居住区の奥だった。ここにはまだ何もないはずなのに、進んで行ってどうしようというのか。
 白い壁は灰青の影を作る。二人はその影の中を歩いていって、やがてひらけた中庭のような場所に出た。当然人影はなく、巨大なスフィア球の他は何も見当たらない。
 広場の真ん中にあるのは、直径がタッフェムの背丈の倍はある乳白色の球体で、どこでも目にするものだった。
「君はスフィアが何なのか、知っていますか」
 無言で球体を見上げていたサンディが問うてくる。
 知らない者などいるはずがない。スフィアは皆が住む世界だ。タッフェム達は、白い球体の内側の世界で生活している。このスフィア球は、実際のスフィアの模型なのである。
 タッフェムがそう答えると、サンディはスフィア球に触れながら頷く。
「その通り。けれど、以前の世界は――そうではなかった」
 サンディは中庭を抜け、また奥へと歩き出した。
 彼はここに来たことでもあるのか、一切迷う様子もなく進んでいく。階段を下りていくサンディに、タッフェムも続いた。
 まだ誰も住んでいないはずなのだが、ぼんやりとした明かりが足下を照らしている。辺りには、やはり何の物音も聞こえず、二人の少年の足音もほとんど響かなかった。
「この世界はかつて、もっと大きなものでした。とてもこのスフィアに収まるような広さではなかった」
 サンディは前を向いたまま、講義でもするような淡々とした口調で話す。
「大昔、かつての世界で大災厄が起き、多くの生き物が危機に瀕した。そして最低限の荷物を持って、皆である場所にこもることに決めたのです。永遠に」
 それが、スフィアなのだという。
 スフィアは「最も安定している形」と言われている球体で、全く変化しない閉じた空間だ。だからこそ外から侵入してくるものがなく、内から出ていくものもない。
 人工は約八万人。白い高層の建造物が並び、居住区や商業区などと区切られている。誰もが満足のいく暮らしとまではいかないが、人々は何の不足も感じず生活ができた。
「ここは、最後のユートピアというわけです」
 サンディの声は抑揚がなかったが、何故かこの台詞は皮肉っぽく聞こえた。
 タッフェムはスフィアの成り立ちについて、おぼろげにしか知識がない。スフィアの前がどうであろうと、興味がなかったからだ。
 ユートピア。
 タッフェムは心の中で、その言葉を繰り返す。ここが、人々の理想の世界なのだろうか。何も損なわれないというのは、確かに幸せなことなのだろうが。
 階段を下り続ける少年の背中をタッフェムは見つめる。
 セーラーの制服は汚れ一つなく、折り目も綺麗についている。ソックスも靴も同様だ。こういった様子から、二つのことが推測される。
 彼は几帳面で行儀の良い生徒なので、制服をしわにしたり汚れをつけたりしない。もしくは、つい最近制服一式を入手して、つまり新品なので、いやに真新しく見える。どこかの生徒などでは、全然、ないわけだ。
 後者の方がありそうだな、とタッフェムは眉をしかめた。この少年はあまりにも怪しい。
「怖いですか」
 サンディはちらりとこちらをかえりみた。頬の辺りに微かな笑みが浮かんでいる。
 正体も明かさず、説明もせず、薄暗い階段をひたすら下り続けているので、タッフェムが不安になっているのではないかと考えたのかもしれない。その笑みはつまり、軽い嘲りが含まれているのだとタッフェムは判断し、むきになって強い口調で言い返した。
「怖いものか」
 このまま彼についていっていいものか、という悩みが頭をかすめたばかりだったが、それを振り払う。よく知らない相手であっても、小胆だと侮られるのは我慢がならない。こうなったら、とことんついていってやろうではないか、とタッフェムは密かに決意した。
 バイクで着陸したのは中層階で、おそらく五十階くらいだったはずだ。何十階ほど下りただろうか。
 予告もなしにサンディは階段を離れ、廊下へと出ていった。
 何もかもが真っ白で、まるで着色前の粘土細工の中にでもいるようだ。雰囲気から察するに、このエリアは店舗が並ぶようになっているらしい。



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