スフィアの出口:01


 それは、特別大きな荷物だった。
 配達夫の少年タッフェムにとっては、かなりの大物になる。これまでも幾度かサイズの大きい荷物を運んだ覚えがあるとはいえ、普段は基本的に小包みしか扱っていない。
 だから集配センターでこれが自分の担当だと知った時は、いささか呆気にとられてしまった。
 配達はエアロ・バイクで行うため、重量があっても苦にはならない。とりあえず、伝票を確認し、荷台をバイクに繋いで出発した。
 流線型のフォルムの車や、たくさんの乗客を運ぶ大型のバスなどが空を行き交っている。タッフェムは信号機の表示を確認しながら、いつものようにバイクを運転していた。
 空間を無駄なく使うため、建造物は大抵どれもが高層だ。
 車やバイクが走る道は、並ぶビルディングの合間。見上げても見下ろしても、途切れることなく乗り物が整然と通過していくのが見える。全てが規則正しく動き、混乱はない。これがスフィアの「日常」だ。
 目的地にたどり着くためには、上の道から下の道(道といっても、そこは何もない空間だが)、また下から上へと何度も移動しなければならず、その道筋は時にとても複雑になる。
 とはいえ、タッフェムはそんなことにも慣れていて、どこを通れば最短でたどり着けるのか心得ていた。
 白く細長い巨大な箱の群れを縫って飛ぶのは、さすがにもう真新しさはないが、まだそれなりに、心地よくは感じられた。
 このまま日々の退屈さを振り切って、うんと遠くまで行きたいという衝動から、ふと胸が疼くこともあった。
 だが、それは叶わないことなのだ。
 配達先のアドレスは、滅多に近寄らない地域で、近頃行われている工事の関係もあり、遠回りをしなくてはならなかった。
 そして、特に何も考えるでもなくハンドルを握っていたタッフェムだったが、微かな異変を感じて眉をひそめた。
 後ろを振り向いて、それから何事もなかったかのように前に向き直る。気のせいだったと思う方が、自分にとって都合が良かったからである。
 もしや、という想像はしたが、有り得るはずがなかったし、それが的中してしまって困るのは自分だ。運転に集中しよう、とミラーに目をやり、ハンドルを握る手に力をこめる。
 しかし、またしてもタッフェムは、異変を耳で感じとった。
 空耳だ、と自分に言い聞かせようとした途端、再び後方からの物音。無視しようとするのを咎めるかのようなタイミングである。
 こうなっては、知らないふりをしてバイクを走らせ続けるわけにもいかない。もしかすると事態は深刻で、事故が起きてしまう可能性もある。
 渋面しながら、辺りに停車できる場所はないかと首をめぐらせた。現在走っているところは、改修中の居住区だった。真っ白な建物があちこちにキツリツしていて、どれも集合住宅なのだが、人っ子一人住んでいないため、周囲は不気味なほどの静けさに包まれていた。
 本来なら、エアロ・バイクのような乗り物は、許可なくどこへでも停めていいわけではない。しかし緊急ということもあり、そもそも無人なので注意されるという心配はないだろう。
 それでも不安で周りを警戒しながら、とある建物のスペースに着陸した。外壁は新品みたいに染み一つなく、降ったばかりの雪を思わせる白さだ。こんなところに足跡をつけて、後々怒られやしないかとどぎまぎしたが、降りてしまった以上、悔いても遅かった。
 こんなに心細い思いをしなければならないのも、この荷物のせいなのだ。タッフェムは冗談のように規格外の大きな箱を、苛立ちをこめてにらみつけた。
 伝票には「取り扱い注意」としか記入されていない。中身について明確に記さなければならないというルールはないので、問題はなかったが。
 それにしても、何が入っているのだろうか。
 きっと非常識なものに違いない。何せ物音を立てるくらいである。菓子や置物のわけがない。
 タッフェムはその場で長いこと思案に暮れた。
 今はこうして沈黙しているが、これが先程何度か音を出したのは確実だ。
 本来であれば託されている荷物を開けるなど、言語道断。だが、この荷物が決まりに抵触していたとしたらどうだろう。規定では、危険物と生き物は送ってはならないとなっている。
 もう一度発進して、空中で暴れられてはたまらない。とはいえ、こんなケースは初めてで、タッフェムも思い切って荷を開封するという決断ができずにいた。
 すると、箱が、がたりと大きく揺れた。
 タッフェムは息をのみ、一歩後ずさりをする。今まさに、箱の中の何かは外に出ようと動いているようだった。
 急に怖じ気づいたタッフェムが、箱のふたを押さえようと手をのばしかけた時だ。
 とても静かに、ふたがスライドして開く。そして何かが、ひょいと立ち上がった。
 あろうことか、それは人間だったのである。
 荷物から出てきた不審人物は、少年だった。
 タッフェムは箱の大きさからして、よもや中身が人間であるわけがなかろうと勝手に決めつけていたのだが、それは成人に限ったことだった。子供であれば、手足をたためばどうにか入れるのだと気づく。
 どこかの学校の制服に身を包んでいるところからして、生徒だろうか。年の頃はタッフェムとさほど変わりなさそうだ。銀色の短い髪に、大きな黒い瞳。何やら風変わりな少年ではある。
 少年は全く平然と、箱の外側へと降り立った。服にしわでもできていないか気になるのか、自分の体を見下ろしている。
 どういうわけだか、彼は少しも悪びれる様子がなかった。配達される荷物の中に隠れるなど、咎められて当然の違法行為であるのだが、見つかったからといって慌てるでもなく、とりすました表情だ。むしろ非難するべき立場のタッフェムの方が、この少年の態度に気圧され、狼狽してしまっている。
 少年がこちらを見て、目と目が合った。タッフェムは生唾をのみこんだ。
「僕はサンディ。君は、」
「タッフェム。配達夫だ」
 タッフェムは様々な感情から、顔を赤らめた。それは主に、怒りと羞恥のせいだった。自分を困らせている不審な少年が、こんな風に気安く声をかけてきたのに腹が立ったし、思わず素直に答えてしまった自分が情けなかった。
 サンディと名乗る少年の瞳は、彼の顔の中でも際立って目を引くパーツで、黒曜石のような、滑らかで特殊な輝きを放っており、視線を向けられるとたじろぎそうになる。
 ささやかな非言など、相手の口から出る前に封じてしまう、一種の威厳があった。そしてそれは、華奢な手足を持つ少年には不釣り合いなものだった。
 タッフェムは下唇を噛んだ。相手に馬鹿にされている気がしてならなかった。反転攻勢に出るべきだろう。
 サンディとかいうこの少年の異様な雰囲気に戸惑っている場合ではない。大体、そう歳の差もない子供に、ことさら怯える必要などないではないか。
 意を決し、タッフェムはサンディに詰め寄ろうと口を開いた。
「おい、お前――」
「しッ」
 サンディは唇の前に人差し指を立て、タッフェムを黙らせた。そのまま何かに耳をそばだてるような仕草をする。
 疑いようもなく、侮られているのだ。
 今度こそ、何を言われたところで黙ってやるものかと憤りながら、タッフェムが口を開きかける。だが、自分も何かの音を聞きつけ、意識がそちらに向いた。パトロール・カーのサイレンだった。
「タッフェムとか言いましたね。君、今すぐバイクと一緒に物陰に隠れた方がいい」
「どうして」
「僕はポリスに追われているんですよ」
 それにしてはサンディに焦りの色は見えず、相変わらず悠々としている。



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