かわいそうなあなた 1



桜木と出会った当時、聡志はまだ小学五年生だった。母一人子一人の母子家庭で育った聡志は、母親の入院により祖父母の家に預けられて転校し、自宅アパートから近い大学病院へ頻繁に見舞いに行ける環境ではなかったが、病室で顔を合わせた桜木の第一印象はあまり良いものではなかったように記憶している。
二十代半ばの研修医が担当医師であるということは子供にはよく分からない事情で、病棟内で白衣を着ている大人は全て医療従事者、治療を任せられる医者だと認識していた。患者と接する態度が軽薄に見えたり、自信なさげにおどおどされれば当然不信感を抱く。桜木はそういった態度を見せた訳ではない。ただ淡々と職務をこなしていくような素っ気なさが、幼心にも信頼を抱くに価しない人物と感じられたのだと思う。
細身で背が高く、端整な彼の顔立ちは、表情の変化に乏しいためか神経質で気難しい印象を与え、同学年の男子と比べて小柄な体格だった聡志には余計に近寄り難く、エリート特有の威圧感があった。

子供相手に不要と思われたのか詳しい病状を説明されないまま、手術後もなかなか退院出来ない母親を気遣い、それまで疎遠だった祖父母に気兼ねしながらの同居生活は、大人になって思い返してみても不安や憂鬱という負の感情ばかりが強く記憶に残っている。
一ヶ月弱で退院した母は直ぐ様職場に復帰出来る状態ではなく、聡志と共に実家を頼ることとなり、二人暮らしをしていたアパートの部屋を解約して正式に引っ越した。通院治療の過程で副作用によって毛髪が抜け落ちたり、体調が優れず横になっていることが多く精神的にも不安定な母を、祖父母や叔父夫婦は扱いあぐねている様子だったが、聡志が中学に上がる前には母の健康状態は落ち着いていたと思う。
その後、聡志が中学二年生の頃、再び体調を崩して入院した母は半年ほどの闘病生活の末、治療の甲斐もなく亡くなった。最初の入院の際にまだ研修医だった桜木は、二度目の入院では内科医師として同じ大学病院に勤務しており、担当医でもないのに母のことを気にかけていたようだ。今思えば母というより聡志の身の上が気にかかったのかも知れない。

四十九日を終えた少し後だから母が亡くなって二ヶ月ほど経った頃だろうか、祖父母宅にそのまま引き取られた聡志宛てに手紙が届いた。白い無地の封筒に記された宛名の筆跡に見覚えはない。わざわざ封書で手紙を送って寄越すような人物に心当たりもない。母と離婚して以降消息不明の父親からではないかという考えが一瞬脳裏を過ったが、意外なことに差出人は大した交流があった訳でもない桜木だった。
正直なところ、得体が知れず気味が悪いと思った記憶がある。開封して白い便箋に綴られた文章を読み進めていくうちに、それが母親を喪ったばかりの子供を気遣う内容であると理解し、当初抱いた警戒心は多少薄れた。彼に対する感謝や好意といった感情は特になかったが、一応の礼儀で中学生の聡志が書いた返事は、細部まで記憶になくてもきっと稚拙な文面だったのだろう。

そのやり取りをきっかけに、月に一回、桜木は手紙を寄越すようになった。見た目の印象を裏切って実は子供好きという人間はそう珍しくはない。母親を亡くした聡志を親身になって励まし、何か困ったことがあれば相談してくれという大人は他にも居たし、恐らく桜木もそんな人間の一人だろうと当時は考えていた。
年金暮らしの祖父母との同居に関しては、相変わらず息が詰まるような居心地の悪さを感じていたが、金銭的に余裕がない状況でも聡志を施設に預けることを親族皆が渋ったため、結果として公立高校卒業まで面倒を見てもらったことには感謝している。
桜木との文通は少しずつ間隔が空き始め、それでも三、四ヶ月に一度、届いた手紙に返事を書く交流が高校三年生まで続いた。打ち解けた様子を察したらしい彼には何度か食事に誘われ、祖父母に黙って直接会ったこともある。どれも夏休みや冬休みの昼間、聡志が自転車で行ける範囲の場所だ。高校に入って新聞配達と週末のみのコンビニのバイトを始め、なかなか身長が伸びず幼かった聡志の容姿は少々遅い成長期を迎えた。たまに会う程度の桜木には、大人の身体へと変化していく様が顕著に感じられたのか、驚く彼の表情に誇らしい気分になった覚えがある。

聡志の成長に桜木が純粋な驚きや喜びを抱いていた訳ではないと知ったのは、もう少し後、高校を卒業した聡志が地元の食品加工会社に就職した頃のことだ。


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2012/04/22
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