04 異端者
- 卒業するまでの3年間、各々の素質を叩き上げるためにも訓練兵は数多くの試練に打ち勝たなければならない。立体機動をはじめ、格闘術、馬術、兵站行進。その全てを修得してはじめて兵士を名乗ることを許されるのである。
ベロニカが自身の生家で学んできた知識も決して無駄にはならず、座学――特に技巧術では優良な結果を残せている。ただ、成績の要である立体機動はそこまで使い熟せている自信を持てなかった。
現状は中位から下位といったところだろうか。周囲のスピードに全くついていけていないわけではない。だが、ジャンのような天才肌、コニーやサシャをはじめとする感覚派が同期にゴロゴロ転がる中で勝ち残るには、あまりにも実力が足りていない。こんなことでは普通の巨人はおろか、目的である鎧の巨人にも辿り着けずに終わってしまう。「追いついてみせる」だなんて大見栄を切っておいて恥ずかしい限りだが、近々説明が上手いライナーに教えてもらえないか頼んでみようか……。
「今日も先戻ってるね」
「うん、おやすみ」
そんな考え事をいったん打ち切って、ベロニカは友人であるミーナたちと別れ、皆が寮に向かっていく方向とは真逆へと足を向ける。暗く埃っぽい木造の兵舎の廊下をギィギィと踏み鳴らしてたどり着いた扉を開くと、机に積み上がった山のような書籍の合間から一人の少年が顔を覗かせた。
「やあ、ベロニカ。君も来たんだね」
王政の方針で壁の外の世界に興味を持つことが禁忌とされている現在、調査兵団を目指していると公言すれば、自殺願望でもあるのかと小馬鹿にされるのが精々だ。だが、104期においてその異端者は一人だけではない。
エレン・イェーガー。そして彼と古くからの付き合いだというアルミン・アルレルト、ミカサ・アッカーマン。奇しくも同じシガンシナ区出身だという彼ら3人とベロニカが仲良くなるのにそう時間はかからなかった。
「今日はなにを読んでるの?」
「これだね。工業都市計画の第一人者だったエカルトの著だ」
「古い時代に書かれた論文かあ……独自の定義が多くて読了まで大変そうだ。アルミンの守備範囲には毎度驚かされるよ」
「そ、そうかな。ただ本ならなんでも読み漁っていたってだけで、身についたのは雑学だけだけどね……でも、僕も同年代でここまで話が通じる人がいるなんて思ってもみなかったよ」
ベロニカは椅子を引いてアルミンの真向かいに腰を落ち着けた。趣味が合うもの同士、こうして互いに今読んでいる本についてや、戦術への意見を交換しては知見を深めるのが毎週の楽しみになりつつある。だが、今日はアルミンがいつもよりやや落ち込んだ表情でいるのが気がかりだった。
「この間の訓練のこと気にしてるの?」
「……そりゃあ、落ち込むよ。ライナーに助けられて踏破できただけで、僕自身はこれっぽっちも役に立っちゃいなかった。あの時だって最後までただ仲間の足を引っ張ることしか……」
厳しい訓練の中、一人、また一人と脱落者は確実に増えてきている。いつ次に自分の番が来るかも分からない。その焦りを抱えて、アルミンは随分と悲観的になっている様子だった。
「諦めるつもりはさらさらないけど、このままじゃ僕は兵士にすらなれないかもしれない」
机の上で溶け出した蝋燭の火が伏せられた青い瞳の中でちらちらと揺れている。ほんの少しの沈黙のあと、ベロニカは「いきなりだけどさ」と口を開いた。
「アルミン達は確か、あの日鎧の巨人を見てるよね」
「……うん。君と違って船から遠目でだけど……」
「今の私に、あれを殺せると思う?」
「え?」
思いもよらぬ質問にアルミンは戸惑いを浮かべた。しかしベロニカの静かな面持ちから真剣に問うているのだと気づき、「ええと……」と一瞬思考を巡らせる。
現時点で人類が知り得る限り、最大の硬度を誇る奇行種が鎧の巨人である。そのうなじを破壊することができれば。もし本当にそんな日が来たのなら、壁の外の巨人を一匹残らず排除することだって夢ではないかもしれない。
だが、奇妙なことにこの5年間、鎧や超大型の目撃証言は一度も上がっていない。壁の外はきっと想像する以上に、途方もなく広いのだ。そこから行方も分からぬ目標を見つけ出し、仕留める。それを自分たちの世代で叶えられると明言できるほど、アルミンは楽観的にはなれなかった。
「……可能性は限りなく低いだろうね」
「その通り。敵うわけないよね」
躊躇いがちに返答すると、ベロニカは肩をすくめた。己の目標を否定されたにもかかわらず、あっさりと肯定を返した彼女の態度にアルミンは目を瞬かせる。「けど」ベロニカは続けて口にする。
「今の私は無理でも、未来の私は違うかもしれない。私がダメでも、いずれ技術が発展すれば、人類があの鎧を貫く日が来るかもしれない。できればこの手で倒したいところだけど、いつか倒せればそれでいいの」
そう語るベロニカの瞳はここではない遠いなにかを見ていた。なにかを思い出すように本の背をなぞり、はっきりと言葉を紡ぐ。
「だから私は、人生をかけてでもいい。少しでも多くを知って、あれに迫る。それが私の夢」
現実的ではないと理解していて、それでも、誰かが願い続けなければ届かぬものがある。多くの積み重ねが振興を生むと信じて進み続ける。知識という無二の財産を後世に繋いでいくために。一度生きる意味を見失った彼女は、それを二度目の生き様だと定めていた。
「……だけど、それだけじゃ足りないんだ。いくら情報を集めて対抗する武器を強くしたって、優秀な兵士に使いこなして貰えないと意味がない。その上使える資源と時間には限りがある。戦力の拡充と同時に効率的に進めないとダメなんだ。そこにはアルミン、きみのような戦術家の存在が間違いなく必要になる。……そういう未来が来るって、私は信じている」
不屈に燃えるまなざしから一転、ベロニカは「……要は頼りにしてるよってこと」と締め括る。アルミンは目をぱちくりさせたあと、「買い被りすぎじゃないかなあ……」と照れくさそうに苦笑した。
「……やっぱり、ベロニカは僕の幼馴染にすこし似てるね」
「エレンと?」ベロニカは意外そうに首を傾げた。
「君もエレンも、どんな状況になっても目標を曲げない覚悟があるじゃないか。……僕はまだ、そこまで強くはあれないけど……でも、君たちを見ていると、自分も頑張らないとって、そういう気持ちにさせられるんだ」
「それこそ買い被りすぎだって。……だって、私がこうして立っていられるのは……」
「――お前ら、まだ寝てなかったのかよ?」
不意に開いたドアの向こうから、エレンの呆れたような面持ちが覗いた。気がつけばもう見回りがやってくる時間になっていたらしい。
「ほどほどにしとけよ。もうすぐ消灯の時間になっちまうぞ」
「噂をすればだ」
「はあ?なんだよ、なに話してたんだ?」
「なんでもないよ。ね、ベロニカ」
「まあいいけど……つーかそれ、時間かかるだろ。オレも手伝うからさっさと片付けちまおうぜ。これどこの棚にあったやつだ?」
「助かる。えーと、この本は――」
「……エレン 、ここにいたの」
話しながら片付けの準備をしていると、入り口にもう一つ影が佇んだ。エレンと違って今日の当番ではなかったはずだが、なぜかミカサもやってきたようだ。説明するために自然と近づいた距離に対して、黒々とした目からじとりと視線を感じ、ベロニカは慌ててエレンから身を離す。
「……これは、私が運ぶ」
「あ……おい!ミカサ、お前また勝手に……オレは老人じゃねぇんだからやめろって言ってんだろ!」
「もう、二人ともやめなよ……」
やいのやいのと騒ぐ三人の幼馴染たちはまさに家族で、見守るベロニカの口元にも自然と笑みが浮かぶ。きっと彼らは、いつもこうやって支え合いながら生きてきたのだろう。そうしてこれからも夢を共にし、肩を並べて歩んでいこうとしている。
揺るぎないもの。こちらを振り向きもせず、ただ前へと進み続けるひと。人はそれに憧れ、惹かれるのをきっと、止められはしないのだ。