03 兵士
- 訓練兵として軍への潜入を果たしたライナーは、自身の立場を慎重に見極めようとしていた。
兵士を演じること。素性を隠し、偽りの自分で過ごすこの生活にも随分と慣れてきた。
目標は既に定めている。憲兵団に入り、始祖の巨人を有する王家に内部から迫る。作戦は長期に渡り、己の任期を数年費やすことになるだろう。だが壁の王の出方を窺うため、それが最善の手であり、戦士として果たすべき責務だとライナーは信じていた。
まずは憲兵団に確実に入隊するためにも上位の成績を残す必要がある。すでに入隊式から1ヶ月ほど経っているが、なるほど新兵への扱きというのはどこも変わらないらしい。毎日それなりの体力を持っていかれもするが、しかし、戦士候補生時代の血を吐くような訓練に比べれば飲み込むのは容易かった。
「うわ、ああああ!!」
「――おい!落ちるぞ!」
立体機動の実技訓練が本格的に開始された頃合い。何人かの班に分かれて競争をしていた矢先、逸った誰かがバランスを崩し、枝葉にぶつかりながら落ちていくのを目にして声を張り上げる。下方を飛び回っていた連中が慌てて木々にアンカーを刺し、蜘蛛の子のように散っていった。だが、落ちている奴は。あれは間に合わない、地面に激突する――そう思った瞬間。
小さな影が横から飛び出してきて、枝を支えにして勢いよく一回転する。そのまま枝を蹴って空気を切り裂きながら一気に急降下したかと思うと、ほとんど突っ込みながら落ちていく訓練兵を捕まえた。上方に飛ばされて限界まで張り詰めたワイヤーが重さに耐えかねてギリギリと嫌な音を立てている。かろうじて空中で止まれたようだが、このままでは地に叩きつけられかねない。
ライナーは急いでガスを噴かし、木々の間を縫って宙ぶらりんになっている二人の元へと降下した。「そのまま動くなよ」一言忠告し、まずは気絶した一人の重さを引き受けて安全な場所に移す。続いて残った小柄な方も抱えて回収し、慣性を用いて幹のような太さの枝に降り立った。大人しく脇に抱えられていた少女を下ろしてやると、慌てて起き上がってあたりをきょろきょろと見渡している。
「ダズは!?」
「大丈夫だ。気絶はしてるが怪我はない。どこかを強く打ったりもしてないみたいだ」
「良かった……間に合ったんだ」
……こいつ。
ホッと息をつく彼女を見て、ふと気づく。
(確か、 鎧を倒すとか言ってた。名前は――)
「助けてくれてありがとう」
『鎧の巨人を倒す』と。入隊式にて、狙ったかのように名指しされた時は流石に驚いた。
避難民に紛れて生活しているうちに同年代の子供を見かける機会は少なくなかった。それこそ、壁を破壊した超大型や鎧を象徴として敵視する者もいるだろう。しかし、そのような恨みつらみをいちいち気にしてなどいられない。寧ろ、やれるものならやってみろと使命への決意をますます固くしたところだった。
闘志に燃える声音。真っ先にライナーの記憶に残ったのはそれだ。だというのに、印象と反して思いの外あどけない笑顔で礼を言われて面食らう。
当然と言えば当然だ。彼女は自分の正体を知らないのだから。そしてきっと、これから知る由もない。ライナーは気を取り直し、努めて平静に返した。
「……ったく。いきなり躊躇なく飛び出していくもんだから、肝が冷えたぞ。しかもあんなワイヤーに突っ込みかねない角度から……」
「ご、ごめん……この鉄線の強度なら、引っ張り上げられると思って……」
「理論上は可能かもしれんが、うまくいく保証はないだろう。俺がたまたま後ろにいたからいいものの、普通なら大怪我じゃ済まない。今後は気をつけろよ」
危なっかしい奴だ、と思う。誰かを助けるための行動は評価されるべきだが、実力が伴わないうちからのそれはただの無謀だ。咄嗟に動いた自分も自分だった。万が一大怪我でもしようものなら任務に支障が出かねないというのに。また巻き込まれたらたまったものではないと、ついつらつらと小言を続けてしまった。だが、彼女は気にした様子はなく、素直にこくりと頷くだけだった。
「……お前……ベロニカ・ファイトだったか?」
「うん、そう。そういうきみは……ライナー・ブラウンだよね」
よろしく、と手を差し出してくるものだから軽く握手を交わす。装置の再調整に付き合いながら二言三言今回の実技についての所感を言い合っているうちに、彼女は頬をかいてぽつりと口にした。
「なんだか私、ライナーに助けられてばっかりだね」
「そうか?俺がお前を手助けしたのはこれが初めてだと思ったが」
心当たりが見つからず、頭を捻りながらそう口にするとベロニカは一瞬妙な顔をして、「そうだったっけ?」とまた笑った。
「ライナーって頼りにされてるし、いつも誰かを助けてるイメージがあったからさ」
「そんなことねぇって。余力がある時は、まあ、手を貸すこともあるが……俺はただ自分にできる範囲で、やるべきだと思ったことをやってるだけだ」
「……やっぱり、すごいな」
ライナーの言葉を噛み締めるように一人ごち、ベロニカは曇りのないまっすぐな眼差しを返した。
「でも、すぐに追いつくから」
――追いつく?この俺に?
その言葉を耳にしたライナーは言いしれようのない不思議な感情に襲われた。
思えば、これまでは置いていかれないようにずっと誰かの後ろをついていくばかりだった。周囲に負けじと必死でもがいていたけれど、自分より優れた人間にただ追い縋ることしかできない。それが今までのライナー・ブラウンの人生だった。
「きみみたいに強い人になれるよう、私も努力しないとだ」
けれどこいつは。はじめから、追いかける対象として己を見ている。訓練成績で褒められることはあれど、そんなことを面と向かって言ってくるやつは初めてだった。
そうか。そう、見えているのか。
そう思うと妙に照れ臭いというか、誇らしいような、どこかむず痒い心地になった。相手が島の悪魔といえど素直に慕われるのは悪くない気分だった。
とはいえ、気を引き締めなければいけない。ボロを出さずにいれば済む話ではあるが、どうにも目の前の同期は鎧の巨人を特別敵視しているようだし、兵士として過ごすうちに疑われるようなことがあればまずい。だからこそ今のうちに友好的に接しておいて損はないだろう。打算的に思考を巡らせ、「気持ちはありがたいが」慎重に言葉を選びながらライナーは続ける。
「俺はお前が思っているような、大した人間じゃないかもしれないぞ」
「なら、今度また、時間があるときにでもきみのことを教えてほしいな。ずっと話してみたいとは思ってたんだ」
「参ったな。語れるほどネタは持ち合わせちゃいないんだが……」
鎧の巨人を仇だと明言する、少し年下の少女。
要警戒対象のはずのその女の害意のない好意に戸惑いながら、14歳のライナーは兵士として不器用に肯定の返事を返すのみだった。