泡沫の夢 | ナノ
離れにはお湯を沸かすくらいの小さなキッチンはあるけど、食事は毎回侍女が持って来てくれている。終わったら下げてもらっているから私は基本的には料理をしない生活を送っていた。


「お食事です」

「ありがとうございます」

「こうやって昼間から贅沢して羨ましい限りですわ。貴女の様な、穢れた側女には勿体ないですね」

「……」

食事を運んで来た侍女の言葉に私は俯く。その言葉は嫌味だったけれど私は傷付いてはいなかった。自分の運命を受け入れたあの日から感情なんてどっかに置いて来たのかもしれない。けれども侍女の言葉に反論したい自分もどこかにいて、それが出来ない代わりに私は心の中で呟いた。


羨ましいなら代わってよ。私は側女になんてなりたくなかった。


私が離れから出ない理由に人を避ける理由もあった。加茂家で側女とは恥ずべき者、隠さなければいけない者として扱われている。初めてここに来た時、それを知らずに広い加茂邸を探索がてら歩き回っていたら侮蔑の目を向けられていた。そして陰口を直接言われる様になるまで時間はそんなに掛からず、その内に“穢れた側女”と言う名前まで戴き、以来私はその名で呼ばれている。

穢れた側女って名前も強ち間違いでは無いかもしれない。妻以外の女と関係を持つのは私一個人としてもあまり良くは思わない。

でも初めて出会った時とは比べて最近はそんなに憲紀様に対して恐怖や警戒心とかマイナスな感情は抱かなくなった。身体を求められ無いからか、会話を重ねていく内に彼に対してそんなに気を使わなくなっていた。

ここに来て数ヶ月経つが、私は側女としての役割を全く果たしていない。彼はただ私の膝に頭を預けて語り眠るだけ。これでいいのかと思うが、だからと言って身体を求められるのは嫌だ。

私と憲紀様の授業は渡りがある度に毎回欠かさず行われている。彼も疲れていて休みたいだろうに、そんな素振りは全く見せず私の話し相手になってくれた。

私もまた湧き上がる疑問を抑えきれずに任務の事やその時の対処法など事細かに聞いた。任務に就かない女にそれを答えるのは無駄だと正直思う。けれど世話好きなのか、お人好しなのか意外にも彼は真面目に答えてくれて、憲紀様との会話はいつの間にか楽しい物だと感じていた。




「名前にこうやって膝枕をされていると母様を思い出す。膝枕をしてもらった記憶は無いが、膝枕と言う母性を連想させる先入観がそう思わせるのだろうな」

今日は任務が無く久々の休日だったと言っていた。だからだろうか珍しく憲紀様は長い事起きていたし、自分の話しをしてくれた。

「思い出す…ですか?」

彼の言葉に首を傾げる。思い出す、と言う事は今は存在しないと言っている様な言い方だ。当主の座が彼に引き渡されても、加茂家前当主の妻がここから追い出される事は無いと思うから亡くなってしまった、と考える方が正しいのかもしれない。やってもらった記憶は無いと言っていたけど、昔は母親に甘えていたのかもしれない。だから私の膝枕が良いと褒めてくれるのだろうか。

私の質問に憲紀様は何も答えなかった。良くない事を言ってしまっただろうかと不安に思っていると、少し間を開けた後、彼は私を見上げながら口を開いた。


「名前、私は嫡流などでは無い」

「……嫡流では無い?」

「父様とは血が繋がっているが、母様は前当主の妻ではない。私は元々側室の息子だ」

彼の言葉に耳を疑った。ここに来る前に実家で加茂家の事を勉強した時に彼は嫡流と聞いていたからだ。何故と、疑問に思ったが加茂家は格式を重んじる。憶測でしか無いが正室が子供を産めなかったか、術式を継ぐ子供を成せなかったから憲紀様を嫡男として向かい入れたと言う事なのだろうか?


「いつか立派な呪術師になって母様を迎えに来てね、と言われて幼い頃に引き離されてしまった」

「御母堂様はご息災で?」

私の言葉に憲紀様は再度口を閉ざす。もしかしてまだ会えていないのかと思ったけど今度はさっきよりも間を置かずに答えが返って来た。

「私が当主になる一ヵ月前に亡くなった」

「……え?」

憲紀様の言葉は想像だにしない物だった。あまりにも悲しい現実に言葉を失う。

「飲酒運転の車に轢かれてそのまま…即死だったそうだ」

憲紀様の言葉に言葉が詰まる。こんな時なんと言ったらいいか分からなかった。

「それは…お辛いですね」

「辛いが、私はまだ立派な呪術師では無いと思って日々精進している。母様は亡くなってしまったが、いつか立派な呪術師になれれば天国にいる母様も喜んでくれる筈だ」

その言葉は自分を鼓舞するものだったけれと、私には彼が苦しそうに見えた。きっと憲紀様はお母さんに会う為に立派な呪術師となれる様に努力して来たのだと思う。けれどお母さんは亡くなってしまったから努力が足りなかったのだと自分を責めている様に感じた。

そんな憲紀様になんて声を掛けたらいいか分からなかったけど、私が思っている事を素直に言う事にした。

「憲紀様は呪術師として日々任務をこなしています。それに加茂家当主として務めを果たしておりますし、もう十分御立派ですよ」

私には呪術師としての才能がなかった。努力もしたけど、それが芽を出す事は無かった。だから呪術師としての彼を尊敬しているし、任務の合間に当主の責務も負っている。そんな人間にこれ以上求めるのは酷だと感じた。


憲紀様はまた口を閉ざす。余計な事を言ってしまっただろうかと彼を見ると、いつも閉じられている目を見開いていて、驚いている様だった。

「君からそんな事言われるとは思ってもみなかった」

「申し訳ありません、出過ぎた真似を致しました」

「いや、嬉しかった。誰かに認めてもらえると言うのは喜ばしい物なのだな」

私の膝の上で憲紀様は嬉しそうに微笑む。私から立派と言われても特に何も思わないと思っていた。

加茂家の当主ならば出来て当たり前が前提なのだろう。だから褒められる事は少ないのかもしれない。

彼の生い立ちを聞いて何故この人がこんなに落ち着き払っているか分かった気がする。成人はしているがこんなにも落ち着いていて余裕そうに見えるのは、お母さんの為幼い頃から加茂家当主としての振る舞いをして来たからなのかもしれない。



「名前」

「はい」

「次に会う時は君の話しが聞きたい」

そんな事を言われるとは思っておらず返答を躊躇ってしまった。彼との会話は結構な数を重ねて来たが、自分の身の上話しはしなかった。いや、あまりしたくなくて避けていた。

「私の話なんて、つまらないですよ。きっと御耳汚しになります」

「それでもいい」

それは遠回しに拒否をしていたけど彼には伝わらなかったらしい。私の生い立ちを話したく無いが、それは彼の事を思っての事だった。

「おやすみ、名前」

「おやすみなさいませ」

いつもは寝落ちするけど今日は珍しく寝る前の挨拶をしてくれた。それでも寝付きがいい彼からはすぐに寝息が聞こえて来る。


私の話が聞きたいだなんて、やはり変わり者だ。こんな下らなく、つまらない女の話しが聞きたいだなんて。

そんな事を考えつつ、いつもの様に寝顔を眺めながら、起こさない様に彼の頭にそっと触れる。

小さな寝息をたてて眠る憲紀様を眺めながら、私の話で彼が気を使うのではないかと考えていた。



21.0525




前へ 次へ

泡沫の夢

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -