■ 06-04
好みの匂いでは無いせいか香水が鼻につく。
「私のエスコートをさせてあげてるのよ。もう少しイイ顔して欲しいわね」
腕を絡めながら指摘するベルモットの言葉に内心ため息を吐きそうになったが仕事の為だと己に言い聞かせ彼女の求めるイイ顔を貼り付けた。
ベルモットから呼び出しがあり、足としての役割が今日の任務だった。ホテルの駐車場が工事中とかで使えず近隣のコインパーキングに停める。車を降り煙草を吸い始めたベルモットに続き俺も車から降りて、タクシーを呼ぼうか提案したが笑顔で手を差し出して来た。
「結構よ、エスコートしてちょうだい」
過度なスキンシップは避けたかったがそれもベルモットに見透かされているのだろう。嫌がらせと分かってはいたが仕方なくその手を取った。
イルミネーションで彩られた街並みを男女が腕を組んで歩けばカップルに見える。日本人離れしたこの顔のせいか、隣にベルモットがいるせいか普通のカップルより注目を浴びてしまう。好奇の目に気分が下がる一方だ。隣にいるのが名前だったら気分も違うだろう。視線から逃れる様に名前とのデートを想像した。
俺は緩みそうになる顔を必死で隠して調べておいた名前が行きたい場所に連れて行く。そして名前は分からない事を俺に聞きながら2人で街を歩くのだ。
『零、あれは何?』
名前を教えると名前は鸚鵡返しでそれを聞いてくる。その姿はいつ見ても可愛らしい。そして一緒に食事をして、寒いから車までの道は身を寄せ合って。きっと何より楽しいだろうな。
ホテルには着いたが部屋まで送り届けるまでが付き合いだったので、ベルモットと共にホテルの最上階にあるレストランに来ていた。運ばれてくる料理を切っては口に入れ噛み飲み込む。それの作業を繰り返していた。
「美味しいですね」
「そう?まあまあかしら」
本来なら美味しいフレンチも相手次第では味も変わる。世辞が見抜かれていたのかベルモットの返答も無愛想な物だった。
きっと名前なら目を輝かせて美味しいと言ってくれる筈だ。その顔を見るだけで連れて来て良かったと安堵して、食事が何倍にも楽しくなる。
そうだ、クリスマスも近いし今度ホテルのレストランディナーに誘うとしよう。当日はおそらく仕事で一緒に過ごせないから名前の予定に合わせて近い日に予定を立てて。プレゼントは名前に似合うパーティドレスにしてそのままホテルに泊まるのアリだな。男が女性に服を贈る理由に深い意味がある事を知られてしまうと嫌われてしまうだろうか。
「珍しく楽しそうね、バーボン」
現実逃避に夢中で口元が緩んでしまったらしい。ベルモットに名前の事が知られたら厄介だ。俺の弱点になるからな。
一応女優であるベルモットに演技は見抜かれてしまう。それなら、本音を混ぜて会話を成立させる事にしよう。心の底から出た言葉ならベルモットでも見抜けない筈だ。
「楽しいですよ、とても」
名前の事を考えるのは。
食事も終わりバーで酒を飲むベルモットに対して車だからと言う名目を使いノンアルコールで付き合い、やっと解放されたのは深夜だった。ベルモットをスイートルームへ送り、部屋には入らず入り口で別れを告げると彼女の手が俺の肩へ伸びて来た。
「ねぇバーボン…眠れないの。少しだけ寄って行かない?」
その言葉にため息を吐きそうになったが、一瞬名前の顔が過った。乗るつもりの無いベルモットの言葉に揺らいだとかでは無く、以前名前にも言われたことがある言葉だったからだ。
ベルモットの手がねっとりと俺の身体を肩から胸へ這っていく。あからさまな夜の誘いだ。これが名前だったら喜んで誘いに乗っているのに。だが彼女はそんな事はしない。俺の迷惑になるからと求める事はしてくれない、俺が好きになったのはそんな子だ。
蛇のように這いずり回るその手に吐き気がする。
「眠れないのでしたら、前におすすめしたカフェインの含まれていない梅昆布茶でも買って来ましょうか?」
遠回しな拒否にベルモットは口元の真っ赤なルージュを歪ませる。直接的だったら関係性が拗れてしまうし相手の面子を潰してしまう。ベルモットとの繋がりは任務としては必要だが付かず離れず、それくらいの関係性が丁度いい。それが通じる相手で良かった事だけはせめてもの救いか。
「つまらない男ね。少し顔が良いからって全ての女性がアナタに振り向くとは限らないわよ」
そう言い残してベルモットはドアを閉めた。それと同時に溜めていたため息を聞こえない様に一気に吐き出す。今日の仕事は終わった。早く帰ろう。俺は駐車場に向けて歩き始めた。
ベルモットの言葉は身に染みて分かっている。俺には名前しかいらないが彼女はまだ俺の事を好きか分かっていない。ベルモットがあんな誘い方をするからか嫌な事を思い出してしまった。
今日みたく仕事が深夜に終わって帰宅したある日。風呂から上がり服を着てベッドを見ると名前がいなかった。またソファーで寝ているのかと思ってリビングに行くと俺の使っている布団を頭から被り寝ているハロの隣で膝を抱えながら小さく震える名前がいた。
『零…眠れないの』
組織にいた頃を思い出すのか時々寝れない時があるらしい。悪夢に魘されて飛び起きてしまう事も時折ある。苦しそうな名前を見てすぐにベッドへと誘導し一緒に横になって頭を撫でた。普段は恥ずかしがる彼女も安心するのかそのまま目を瞑り時間は掛かったものの眠ってくれた。
素人の判断でしか無いがPTSDなのかもしれない。病院やカウンセリングに連れていくべきなんだろうが、名前が嫌がってしまった為無理強いはしなかった。俺なりにシギ救ったつもりだったが暗い過去は中々名前を自由にしてくれない。
夢の中でなら何度も名前を抱いた事がある。それが出来るようになる時は心から結ばれる時だから正夢になる事を願っている。だが俺の願いが叶う兆しは一向に現れない。
ベルモットのエスコート中、ずっと名前の事ばかり考えていた。彼女だったらこうするだろうとか。同じ女性なのに気持ちの問題でこうも違うとは。名前も早く俺のような気持ちを抱いて欲しい。
今朝会ったのに早く名前の待つ家に帰りたい。
駐車場に着くとすぐに車に置いてある消臭剤を全身に振り掛けた。寒い中消臭剤をかけるともっと寒くなる。ついでに助手席にも掛けるとあの甘ったるい匂いが消えていく。
一刻も早く帰りたかったが女物の香水を名前に嗅がれるのは嫌だった。別にやましい事など何も無いが名前の待つ家にベルモットの存在を持ち込みたくなかったのもあった。ベルモットに掴まれていた腕に鼻を埋めて匂いを嗅ぐとあの香水の匂いは消えていた。匂いに慣れてしまったかもしれないが、服を洗濯機に入れすぐに風呂に入れば名前に気付かれる事は無いだろう。
運転席に乗り込み消臭剤を元の場所に戻して、今日はちゃんと寝ててくれればと願いながら車のエンジンを掛けた。
21.0208
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渡り鳥は救われたい