■ 05-01

「いらっしゃいませ」

「………」 

私には最近趣味ができた。とは言っても中身は以前と同じで外食や映画館で映画を見る事なのだが同居人がそれは趣味だよ、と教えてくれて趣味ができたと言えたのだった。

今日もその趣味を満喫している最中だった。映画館で人気の映画を見てネットで話題のカフェにお昼を食べに来ていたのだがアクシデントが発生してしまった。


カフェの扉を開けエプロンを着ている男性店員から営業用の笑顔を向けられたその顔は今朝見たばかりの零だった。


「お客様お一人様ですか?」

私が驚いて固まっていたら普通に話しかけられた。まるで初めて会った他人のように。挙動不審の私とは違って眉一つ変えないから零本人では無く、そっくりな人だと勘違いしてしまいそうだ。

「……はい」

「カウンターへどうぞ」

何故零がここにいるのか状態を理解出来ないまま、何とか返事を絞り出し彼に案内されカウンター席に座る。

そういえばシギだった頃、降谷零について調べたとき安室透として喫茶店のアルバイトをしている事を思い出した。でも調べたのは結構前だったからお店の名前を忘れていた。確かコナンだかアガザだったような…三文字の名前、そんな曖昧な記憶になっていた。零は家では仕事の話しはしないから完全に忘れていた。

彼も私がいればやり辛いだろう。しまったな、先に潜入先を聞いておけばよかった。零の迷惑になりたくなかったのに自分の不注意で余計な迷惑をかけてしまう事にため息が零れた。


「お客様、お冷やとメニューをどうぞ」

自己嫌悪に陥っていると零がやって来て水を置き、メニュー表を私に差し出す。すぐに周りを確認して、誰もいない事を確認した。謝るなら今しかないと思った。

「ごめんなさい」

顔色を伺うように彼を見上げ聞き取れる程度の小声で詫びる。謝罪は流されると思ったけど、私の言葉に零は軽く笑った。偶然ここに来てしまったのが伝わったのだろう。最初そっくりさんみたいだと思ったけどその表情はやっぱり零で、少しだけその顔を見せてくれたのは彼なりの免罪符だと思えた。

彼が気にしていない事に安心した私はメニュー表を受け取る。すると突然零の手が伸びてきて、メニュー表を持っていた私の人差し指を彼の指で軽くなぞられた。

「っ!!」

指先に与えられた小さな温もりに受け取ったメニュー表を落としそうになる。

「ごゆっくり」

そんな私とは対照的に何事も無かったかの様に彼は笑顔を振り撒き去って行った。

零が去って行った後も私は固まっていた。触れ合った指はメニュー表の裏だったから仮に人がいても今の行為が他の人からは見えなかっただろう。

零から触られた瞬間、心臓が飛び出るかと思った。周りバレないかもそうだけど急に彼に触れられて。まだ心臓がドキドキしているし、触れらた指先が熱い。私が現れても冷静沈着に対応してちょっかいを出す余裕まである、さすが公安だ。


自分を落ち着かせる為にも私はメニュー表を開き読んでいく。軽食に目を引かれるけど頼むものはメニュー表を開く前から決まっていて、すぐに近くにいた女性の店員を呼んだ。

「お呼びでしょうか?お客様」

「カフェラテを一つお願いします」

本当はお昼を食べるつもりだったけど零の迷惑になるかもしれないので、早く帰る為に飲み物を一つ頼んだ。


私が注文をしている間にも客が何人か入って来て平日だけどいつの間にか少し賑わっていた。さすがネットで話題のお店だ。店内を動き回る零をバレないようにこっそり見ると忙しそうに見えるけど、楽しそうに仕事をこなしていた。そうか…零もここでは店員なんだよね。私の苦手な店員でも零なら嫌いにはなれない気がした。


しばらくして再び零がやって来て、注文したカフェラテが私の目の前に置かれた。そして何故か注文していないサンドイッチが隣に並べられる。

「これサービスです」

サンドイッチは前に家で作ってくれたものに瓜二つだ。こんなの頼んで無いのに。でも零の事だから私の考えなんて全部見透かしてこれを持ってきてくれたんだろう。零の優しさは嬉しいけど目立つ事は避けた方がいい気がする。

あんまりそんな事しない方がいいんじゃない?

零に目配せしたけど彼は気にしていない様子だった。余裕そうに笑みまで浮かべている。すると横から女性の店員が出て来た。

「あれ?安室さん、もしかしてお知り合いですか?安室さんが毛利さん以外にサービスなんて珍しいですね」

ほら、怪しまれたどうするのよ。

「いえ。初対面ですよ、梓さん。あまりにも可愛らしい方でしたので、ついサービスしたくなっちゃいました」

サービスを誤魔化す為の嘘なんだろうけど、零から可愛らしい方だと言われて少しだけ心が跳ねた。

梓さんと言われた人はすごく驚いているみたいだった。そして彼は私に向き直る。

「僕は安室透といいますが、良かったら僕とデートしてくれませんか?お客様」

「あの安室さんが女の子をナンパしてる…」

零に梓さんと呼ばれた人は珍しい物を見たかの様に目を瞬かせている。これが安室透なのか、降谷零とは全く違う。普段の彼を知っているからだろうか。張り付けたようなキラキラした笑顔が違和感ある。零はこんな風に笑わないし、それに子犬みたいだ。何かを要求するハロに似ている。

普通ならときめくのだろうけど、生憎私は普通じゃない。


「ごめんなさいデートは出来ないわ。私、結婚しているの」

知ってるくせに。彼らに言えない代わりに心の中で呟く。

「あら、指輪をされてないから独身かと思いました」

ゆびわ?指に付けるあの装飾品だろうか。結婚すると付けるものなのだろうか。

「付けない方もいらっしゃいますし、貴女もなんですよね」

「そうなの」

そうなんだ。口では肯定して心の中で学ぶ。彼のフォローに助けられた。結構社会に馴染めてきたと思ったけどまだ私の知らない事がたくさんあるみたいだ。


「ですが貴女を射止めるとはさぞ素敵な旦那さんなんでしょうね」

零の言葉に危うく突っ込みそうになった。

アンタでしょうが。分かってるくせに何を言ってるんだこの男は。射止められたと言うか勝手に結婚させられてた、なんて言いたくても言えない。受け入れたのは私だけども。

さっきから、ちょっかいばかり出してきて気を使ってる自分が馬鹿らしく思えてきた。この余裕腹が立つ、どうにかやり返してやりたい。

「そうね。でも最近マンネリ気味で貴方みたいな格好いい人に乗り換えるのも悪くないかもね」

零は一見クールに見えて激情型だ。その証拠に嬉しいですと言った笑顔の下に怒りがみえる。ニコニコ笑っているのに全然嬉しくなさそうだし、私を見る目が笑っていない。私も彼も負けず嫌いだからこのままじゃ収集がつかなくなる。梓さんって人も私の発言に慌てふためいている。

どうしようか、そういえばこんなやり取りを上手く躱していたのをテレビのドラマで女優がやっていた。あれをしてみよう。

私はその女優のマネをして、首を少し傾けて上目遣いで彼の瞳を見つめる。

「なんてね。残念だけどデートはやめとくわ。愛してるの彼の事。誰よりもね」

愛してるだなんてベタすぎて笑いそうになるのをなんとか堪えた。梓さんって人は良かった、旦那さんとラブラブなんですね!と嬉しそうに声を上げる。

しかし当の零は見開いた目と少し赤くなった頬をしている。私からそんな台詞が出て来るとは思って無かったみたいで驚いたのかもしれない。それを見て彼の完璧な安室透の仮面を少しだけ剥ぎ取れたような気がした。


「すみませーん」

「はい!安室さん3番テーブルお願いします」

「えぇ…」

他の客に呼ばれて彼らは業務に戻って行った。残された私はサービスで置かれたサンドイッチを一口食べる。前に作ってくれた物と同じでとても美味しかった。


その後は昼食時のラッシュと重なり客が一気に入ってきた。忙しそうに働く零を見ながら私はサンドイッチとカフェラテを楽しむ。けれど楽しい時間はあっという間に過ぎて行ってお皿はすぐに空になってしまった。もう少し安室透としての零を見ていたかったけど早々にお店を出る事にした私は伝票と荷物を持ちレジへと向かう。

お会計は偶然近くにいた零がしてくれた。

「お気に召していただけましたか?お客様」

「えぇ。サンドイッチ美味しかったわ。お金はちゃんと払わせて」

「僕のサービスですから、お代は結構です。気に入ったのなら、また来ていただきたいですね」

サンドイッチ代を払うつもりだったのに。お金を受け取らない頑固な所は零らしかった。

「サンドイッチは美味しかったけど貴方と私が会うのはこれで最後よ。さよなら安室透さん。またね」

安室透として会うのは最後にしたい。零の迷惑になるし、接触は少ない方が良いと思った。最後と言いつつまたね、とは少し変だけど零とは今後も会うので合っているはずだ。

彼の真似をして、私らしくない笑顔でにっこりと笑うと意図が伝わったのか零も笑い返してくれた。

「えぇ…またお会いしましょう」

なんだか2人だけの秘密の会話をしているみたいで私も公安になった気分だ。公安なんて私には務まらないのに。なんて考えていると思わず笑えてくる。口元に笑みを浮かべたまま彼に見送られ私はお店を後にした。



20.1212

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渡り鳥は救われたい



   
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