逃避行 | ナノ
「ミステリートレインで話した女の子は確かに貴方の事、あむろとおるさんって言ってた。どうして嘘ついたの?私とは遊びだったの?私は本気で零くんが好きだったのに…」

「違う!!」 

彼の声に思わず竦んだ。大きな声に思わず涙も引っ込む。

「何が違うの?わからないよ…」

「嘘じゃない」

彼の顔を見ると苦しそうな、今にも泣きそうな初めて見る表情をしていた。その表情にこっちまで苦しくなる。

「名前さんに対しては本気だし。愛してる」

彼の細い指が私の涙を拭う。急な告白に胸が高鳴る。嘘かもしれない、そう思っていても彼の表情は真剣で本気のようにも見えた。

すると彼は拘束を解き私の上から退く。自由になった私は上半身を起こすと彼から手が差し出された。まだ少し彼が怖かったのでその手を掴むか迷う。けれど彼の悲しそうな苦しそうな表情を見て結局は彼の手を取った。ベッドから降り、そのまま引っ張れて立ち上がり彼を見上げると目線を逸らされた。沈黙が続く。彼はまだ何か迷っているようだった。

私に真実を話すか悩んでいると言う事なのだろうか。知りたい、本当の事を。私はその為に彼との約束を破ったのだから。結局逃げてしまったけど、きちんと向き合いたい。私は今の気持ちを素直に言う事にした。

「私、零くんの事が好き」

伏し目がちな彼の青い瞳が私に向く。

「私が仕事で疲れている時料理を振る舞ってくれるし、自分の都合で外出できないからって気づかってくれた。それにいつも私を好きだと言ってくれた、告白してくれたあの時は本当に嬉しかったよ」

彼の好きな所をあげたらキリがない。今まで零くんを好きだと思い続けられたのは私に対してたくさんの愛をくれたからだった。

愛していると言ってくれた、私は零くんが好きで単純だからやっぱりそれはとても嬉しい事だ。私もこの気持ちだけは変わらない。たとえ騙されていたとしても。


「貴方の事が知りたいの、あむろとおるさん」


さっき初めて彼の本名のあむろとおるを呼べた。改めて彼に対して本名を呼びたいとそう思った。本名を初めて呼ぶので君付けは変だと思ったから、さん付けになってしまったけど。

もう彼の名前を言う度に傷つきたくない。彼のいない所で1人こっそり呼ぶのではなく、彼を愛する人として堂々と彼の本名を呼びたい。ずっと降谷零と思っていたからしばらくは違和感があるだろうけど私は彼の本名である、あむろとおるを呼びたいのだ。

私の気持ちが伝わったのか彼はやっと口を開いた。


「違うんだ、名前」

初めて呼び捨てで呼ばれた。それは覚悟を決めたような決意のように見えた。彼は意を決したようにポケットに手を入れ手帳を出したかと思うとそれを開いた。

一瞬それが何か理解するのに時間がかかった。だってそれは知識としては知っているものの実物を見るのは初めてだったからだ。それにこんな所でそれが出てくるとは思わなかった。

彼の手には警察手帳が握られている。そこにはスーツらしき物を着た彼がいた。


名前は、降谷零。


「え?…な、んで…だって探偵って」

それを見せられて混乱に陥った。
零くんが警察官?手帳は偽物?それより、あむろとおるが本名じゃないの?
考えても理解できない私を見かねた彼は重たい口を開いた。


「俺は公安警察の潜入捜査員なんだ」

「潜入捜査員?」

「つまり国公認のスパイみたいなものさ。普段は警察だって事を隠して偽名を使って生活している。その名前が安室透なんだ。そして君が見たバーボンもある組織に潜入中だったんだ」

信じられない。そんなドラマや映画のような話し。

口には出さなかったが顔に出てたのだろう。彼は警察手帳を仕舞うと財布を出し、中にあった車の免許証と黄色い保険証を取り出してそれを私に見せてきた。その名前も降谷零だった。

「確かに安室透の方が周囲に認知されている方が多いだろう。だが俺の本名は降谷零だ。俺を証明できるのはこれしかない。君がこれを偽物だと思えば仕方ない。だが…」

彼はそこで言葉を切る。財布にカードを戻し再び私を見ると彼の褐色の手がゆっくり伸びてくる。私に拒絶されるのを怖がっているようだった。私が拒否しないのを確信すると包み込むように優しく抱き締められた。

「信じてほしい」

まるで縋るように願うように、彼は私を抱き締めながら言う。話が飛躍していて理解が追いつかないが必死に頭を整理した。

「つまり…私が聞いたあむろとおるが偽名で、降谷零が本名って事?」

「あぁ」

「どうして…」

普段は偽名で生活しているのなら、私と出会った時も偽名で名乗らないといけないと言う事ではないのだろうか。なのに彼はあの時、降谷零と名乗った。

私の問いに彼は嘲笑を零す。

「どうしてだろうな。あの時は仕事が重なっていて疲れていたし、本来なら俺の名を明かす事自体タブーだ。公安失格さ。安室透と名乗るべきだったと今でも思うよ」

零くんも何故本名を名乗ったか自分でも分からないみたいだった。腰に回っている手が上がってきて私の頭を撫でる。

「でも多分名前と出会った頃に戻っても降谷零を名乗ってたと思う。君にだけはどうしても安室透ではなく俺を見て欲しかったと思うんだ。本名を呼んで欲しかったんだ」

その瞬間私は理解した。普段、あむろとおるで過ごしているからアルバイト先の喫茶店にも行けなかったのか。一緒に外出できなかったのもその為だ。

教えてはいけない本名を私にしか教えていない。
まるで私の心に光が指したようにその事実がすごく嬉しかった。


「零くん、ちょっと離れていい?」

「駄目だ」

即答で答えられると困ってしまう。きっと離したら私がまた離れて行くと思っているんだろうか。そういえばさっきから零くんの雰囲気や口調が変わった気がする。きっとこっちが素なんだろう。

「もう逃げないから。零くんの顔が見たい」

ここまで話してくれた彼に報いたかった。本名についてもだが真実を話す事も彼にとっては重大な事なんだろう。でも彼は私の為に話してくれた。

ゆっくりと彼は力を緩める。私が逃げ出してもすぐ捕らえられるようにだろうか。普段大人っぽいのに、まるで子供がオモチャを取られないようにしているみたいで少し笑った。

零くんの腕の中で私は彼の顔を見上げる。

「ありがとう、本当の名前を教えてくれて。本名をずっと呼んでいたのに勘違いしてごめんね」

「謝らないでくれ。俺の方こそ君に言えてない事がたくさんある。怖い思いもさせてすまない」

「それでも私、零くんが好きだよ」

零くんは驚いていた。きっと彼も私の気持ちに対して不安だったのだろう。次の瞬間、痛いくらいに再び抱き締められた。

「名前、名前っ…」

「……零くん」

私の名前を切なげに呼ぶ彼に安心させる様に私も彼の名を囁く。

真実は私の想像を遥かに超えるものだった。きっと零くんもたくさん悩んだはずだ。偽名を使って生活している彼の重圧は計り知れないものだろう。


彼に対して何ができるか分からないが、名前を呼んで欲しいと願った彼に私は再び愛を込めて彼の名を呼んだ。



逃避行[青の疑惑]Fin
20.1017

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