次の日、目が醒めたのはお昼頃だった。
昨日は昼寝をしたせいで、夜は寝つきが悪く浅い眠りと覚醒を繰り返していた。明け方やっと寝れたと思ったらもうこんな時間になっていた。
今日は洗濯物が溜まっているから洗濯しよう。幸いにもこのホテルにはコインランドリーがあったはずだ。
洋服に着替えて私は袋に詰めてある洗濯物と財布を持ち1階へと向かった。洗濯機を回している間、これからの事を考える。
警察に行こうかとも考えたがこんな事相談して真面目に受け取ってくれるだろうか。私の目撃証言しかなく、しかも恋人が拳銃を持っていて殺されるかもしれないなんて。話が飛躍していて現実味がない。警察が保護してくれるわけではないから行っても意味がないような気がしてくる。
やっぱり彼から逃げなきゃ。あと働かなきゃね。
機械的なメロディと共に洗濯が終わり部屋へ運ぶ。ハンガーに濡れた洗濯物を掛けユニットバスの備え付けの紐に干していく。終わった後はフロントに行きパソコンを1台借りた。
ホテルから借りたパソコンで地方の求人を調べる。いつまでもホテル暮らしをできるほど私は裕福ではない。日本は出られないから遠い地方に行った方がいいと思った。住み込みか寮のある職場なら住む場所も確保できるだろう。
そういえば退職したら保険証とか返さないといけないんだっけ?保険証は家のカードケースの中だ。取りに行かなければいけない。深夜か明け方なら彼にもバレずに済むだろうか。しかし油断はできない。本当なら行かないのがベストだが家にはまだ取りに行きたい物がある。
行動は出来るだけ少ない方がいい。東都を出て行く時に1回家に帰ろう。とりあえず今日までに行き先の地方を決めて、明日の深夜にでも家に帰ろう。
もう完全に夜逃げみたいだ。
…ーーピンポーン
「っ!!」
不意にチャイムが鳴った。私は勢いよく振り返ってドアを見る。心臓がバクバクと激しく鼓動を打ちつける。
誰?まさか彼ではないだろうか。
ドアには鍵とチェーンロックもしてあるので開けられないはずだ。私はゆっくりドアに近づく。恐る恐るドアの覗き穴を覗くとそこには高齢の女性がいて呼びかけられた。
「失礼しますお客様。ベッドメイキングとお部屋のお掃除に参りました」
女性の姿に胸を撫で下ろしチェーンロックと鍵を外す。扉を開けると掃除道具を持っている女性が1人立っていた。
「どうぞ。私は出てた方がいいですか?」
「失礼致します。こちらにおられても大丈夫ですが、どうされますか?30分ほどで終わりますが…」
外出はよくないが、まともに食べてないせいで貧血なのかフラフラする。コンビニで軽食でも買ってこよう。
「すみません、じゃあ出てきます。すぐ戻りますのでよろしくお願いします」
「かしこまりました」
女性は自分のスマホを取り出しアラームをセットしてテーブルに置いた。時間内に終わらせる為の工夫なのだろう。私はテーブルに置いてある帽子を被りマスクもする。財布だけを持って私は部屋を後にした。
コンビニで軽食を買うつもりだったがやはり何も食べたくない。だけど胃が空っぽなせいか吐き気もする。仕方がないので私は手軽に栄養が摂れるゼリー飲料を買った。これなら食べられる気がする。それからお気に入りの飲み物を持ってレジへ向かった。
ホテルに帰るとまだ10分しか経っていなかった。部屋に戻るか考えたが自分がいると作業しにくいと思いロビーのソファで待つ事にした。外に出来るだけ顔を向けないようにして。
時間になり部屋に戻ると掃除は終わっていてひっそりとしていた。買ってきた物を冷蔵庫に入れようと荷物を置くとテーブルにスマホが置いてあった。
「あれ?」
手に取り良く見て思い出した。さっきの掃除をしてくれた女性がアラームをセットして置いていたものだ。忘れてしまったのだろうか、私がすぐ戻ると言ってたから慌てたのだろう。スマホを無くしたら不便だと身をもって知っている私はフロントに電話した。
「すみません、部屋にスマホが忘れていて…さっき掃除をしてくれた方のだと思うのですが……」
「大変申し訳ありませんお客様。担当の者が新人でして忘れてしまったかもしれません。すぐにスタッフが取りに伺います」
電話の向こうで平謝りするスタッフによろしくお願いしますと言ってから電話を切る。
新人さんなら仕方ないよね。私も昔はよく仕事でミスしたし。今も時々やっちゃうけど。
しばらくしてチャイムが鳴った。きっとスマホを取りに来たんだろう。私はスマホを手に取りチェーンロックと鍵と扉を開ける。
スタッフにスマホを差し出し、よろしくお願いしますと言おうとしたが制帽から覗く顔に固まる。そこにいたのはホテルのスタッフではなかった。今逃げている原因、見間違えるはずのない私の恋人が立っていた。
渡そうとしていたスマホが私の手から零れ落ちる。
私は我に返り急いでドアを閉めようとするがそれよりも早く彼に片足を突っ込まれ阻まれる。そのまま彼の褐色の手が伸びてきて扉を力任せに勢いよく開けた。私は驚きと恐怖で部屋に後退りをする。その間にも彼は部屋に入ってきた。
彼は真顔のまま後ろ手で鍵をかけ、チェーンロックもする。着ていたホテルの制服と制帽を脱ぎ壁にあるフックに掛けた。制服の下に着ていたシャツの第一ボタンを外し、首元を緩める。
そして再び私を見ると嬉しそうに笑った。
「久しぶり、名前さん。やっと会えましたね」
以前と変わらない優しい笑顔。
今はそれが逆に恐ろしくなった。
20.0930
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逃避行