055話 海の闇に囚われて



月明かりが海を照らし出す。ゆるやかな波の中、一人黙々とビートバンを手に練習に励む一人の少年がいた。

彼は、海の怖さなど微塵も感じていやしない。

どんなに危険なことをしているのかという自覚がまるでなかった。

自分の不注意でどれだけの人間を巻き込むことになるのかということも、命の危険にさらされる恐怖も、何も分かっていなかった。


一陣の強い風。
波が強くなり、月は雲に覆われ、強い風が巻き起こる。一瞬にして大嵐となる海の上、怜は何も出来ずにただただあおられていた。

こんな時の対処法など知らない。何も学んでいない。教えてもらっていない。論理的に解決することは不可能だった。


ビートバンは流され、身体を浮かせていることすら難しくなった彼は、ただ海に沈んでいくしかなかった。





****

「雨凄いな……」


ぶるっと身震いして、ハルの腕の中にすり寄れば、彼の香りに包まれてほっと安堵の息をつく。外の天候は大荒れだというのに、渚はぐーすか寝てるし、ハルも熟睡。

お隣もそうかな、と少し身体をずらして、隣のテントの方に視線をやれば、稲妻が走った瞬間、隣が綺麗に映し出された。

二つの人影があるはずのテントには、どちらの影もない。


「っ!」


ハッとなって飛び起きた私は、急いでテントを飛び出した。


「怜!」


瞬間、耳に響いたまこの叫び声。一瞬にして状況を把握すると、飛び出していくまこの手を掴んだ。

雨が吹き付ける中、まこの驚いたような瞳がこちらを捉える。


「まこは皆を起こして、先生に連絡!私が行く!」


ゆらゆら揺れるまこの瞳には、まだ恐怖の芽が消えていない。こんな中もし海に飛び込んで過去がフラッシュバックしたら、もう二度と、そのトラウマは消えなくなってしまう。

そんなこと、絶対にさせない。


「待って!駄目だ!まつりっ!!」


まこの制止も聞かずに飛び込んだ私は、荒れ狂う海に翻弄されながらも、ただ一つの目印に向かって泳いでいった。

高い波にのまれながらも、ただ伸ばされた手を取る事だけ、それだけを頭において。


「怜君!!手を伸ばしてっ!」
「まつりさっ……ごぼっ、」


女の私の力じゃ限界がある。でも、ここで諦めたら、大事な後輩の未来は断たれてしまう。それだけは絶対にさせない。


―姫、急いで


「!?」


―高い波が来る


「あ…っ」


高い高い波が後方に見える。怜君の手を掴んだ瞬間、波は私と彼を巻き込んだ。一気に口の中に水が流れ込んでくる。

息が苦しい。


それでも、掴んだ手は離さなかった。何とか、彼だけでも水面に。そう思って隣を見るも、既に怜君の意識はないようだった。

口から零れ出ている酸素が気泡となって上に上っていく。

だめ、息をしちゃだめよ。


もうだめかもしれない。
そんな弱気になった時だった。

何か強い力に腕を引かれる。勢いのままに水面に顔を出すことが出来た私は、一気に取り込んだ酸素にむせながらも、取り敢えず生きていた。

私が掴んでいた怜君もまた、意識はないものの、息はしているようだった。


「本当に無茶するんだから」

「ま、まこ……」

「話はあと。怜は俺が支えるから、まつりは早く岸まで泳いで」


まこの言葉に頷いて返す。結局彼を巻き込んでしまった自分の不甲斐なさを恨みながら、荒波に押し戻される身体を何とか水面に浮かせて、視界の悪い中、懸命に岸へと向かって泳ぐも、中々先へ進まない。

目印がないとこうも泳ぎにくいものかと今更ながらに思う。


雷鳴が響き、風が吹き荒れる。雨の滴か海の水か分からないもので顔に髪が張り付いて余計に視界が悪かった。


こんな中人一人抱えて泳ぐのは至難のわざだ。ましてや私たちはタダの学生で、水泳というものを学んでいるといっても、体力はないし、常人のそれの少し上を行く程度で、こういうことはてんで初心者と同じだ。


まこは大丈夫だろうか。
人の心配をしている場合でもないけれど、振り返った先には絶望的な光景が広がっていた。


永遠と続く闇。そこには先ほどまであった二人の姿などどこを捜しても見当たらなかった。


「笑えない……」


怖い。
こんな大荒れの天候の中、前も後ろもわからないこんな中で私は一体どこを目指して泳げばいいんだ。


今度こそ本当に誰も助けてくれない。
誰の助けも期待できない。

だってそうでしょう。

私がこんな海の真ん中にいるなんてこと誰が知っているの。


さっき頭の中に響いた声も今はもう聞こえない。あれも幻聴だったのかもしれないけど、それでも今、何かに縋っていないと、全てを見失いそうだったから。


人魚姫は、こんな中、自分の愛する王子様を救うために危険な人間に近づいたんだ。自分のことなんて顧みず、ただその人の元へ、その人を救いたい一心で、他にはきっと何も考えていなかったのね。


「あ……っ」


そこまで考えてふ、と自分の頭を過ったその人と、私はもう二度と会うことが叶わないのだろうか。


大きな波が来る。
今度こそ私は、なすすべなく海の闇にのまれる。


―罰があたったんだわ。
気持ちを伝えることに怯えて、ただ今ある環境に甘えていた。


私は、人魚姫にはなれない――。




(海の闇に囚われて)
んーなんだぁ?
怜と真琴が多分海の中で遭難した。……まつりの姿も見えない。もしもの時に備えておいてほしいと緑間先生に伝えてくれ
!ちょ、ちょっと待った!!七瀬お前はっ!
俺は今から助けに行く。後は任せた
こら、待て!七――ち、切れた。
何事なのだよ。こんな夜更けに
真ちゃん。まつりちゃん含めて三人行方不明だ
!……急ぐのだよ!
あ、待てって!


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