054話 波打ち際の邂逅



砂の上に記されたあみだくじ。皆がそれぞれ自分の場所を決めて、私が最後に残った場所に自分の名前を記すと同時にあみだくじが始まった。

結果、私のペアに選ばれたのは、ハルと渚の二人。

渚が喜ぶのに対し、狭いと文句をたれるハルの頭をバシッとはたいておいた。


「まつり、本当にいいの?宿に部屋はあるんだろ?」
「そうです。女性なのですから、あまりこういうのはよくないと思いますが――」
「えーいいじゃん。別に。まつりちゃんだって、合宿一緒に乗り越える仲間でしょ?」


各々が好き勝手に口論している中、私はじっとハルを見つめていた。彼も私がこの場で寝ることをよく思っていないのだろうか。

だけど、私の視線に気が付いたハルは、ただ素っ気なく「好きにしろ」とだけ。


「じゃあ、腕枕!」
「痺れるから嫌だ」
「えー、この間してくれたのにっ!」
「朝までした覚えはない」
「じゃあ、私ねるまで!」
「………わかった」


少し考える間を置いたのちに頷いたハルににっこりほほ笑めば、複雑そうな顔をされた。いつも眠るときはしてくれるんだから、別に今回渋る必要もないのにね。

でも、そうだよね。合宿なんだから、ハルに甘えてばかりいちゃ、負担になっちゃうか。私も少しは自重しなくちゃ。


「僕時々ハルちゃんに同情したくなるよ」
「ははは……まあ、確かに」
「まつりさんは自分が女性であるという立場をもう少し自覚するべきです」


三人が少し離れたところで何を話していたかはよくわからなかったけど、何だか私とハルのことを言っているような気がした。

主に、私にもっと自立しろと言っているような、なんかそんな感じが――。


「よし。じゃあ、明日も早いし、皆もう寝よう」
「そうだね〜。流石に身体が痛いもん」
「僕は今からでもまだ泳げますけどね」
「駄目だよ、怜。海は天候に酷く左右される。特に夜の海は、とても危険なんだ」


まこの真剣な物言いに気圧されて、言い返すこともなく引き下がった怜君の様子はどこかおかしかった。

それが私の思い過ごしならどんなによかったか。

この時の私は、まこのことばかりに注意をとられていたせいで、もう一人の大事なチームメイトの心をケアするまでに至らなかった。

それが、あんな事件を引き起こしてしまうなんて誰が想像しただろうか。





****

「夜の海って綺麗……」
「松岡の言っていた通り、やはり岩鳶の諸君もこの島に来ていたのだな」
「え……?」


皆がテントに入って眠る準備をする中、私はこっそりそこから抜け出して、眺めのいい島の岩場に来ていた。浅瀬なので少しくらい水に入っても大丈夫なそこで、思わぬ人物と遭遇してしまった。

オレンジの髪に、人当たりの良い笑み。江ちゃんに夢中なその人は、凛の先輩で、鮫柄学園水泳部をまとめ上げる部長さんだった。


「少しいいか」
「あ、は、はい……」


波がさざめくのを聞きながら、部長さんと二人、岩場にそっと腰を下ろす。私の知っている彼とは違う、落ち着いた空気は、部長としての彼のもう一つの顔だと思った。

威厳のあるそのオーラは、どこか猛々しく、太陽の様だと感じた。


「松岡のことだが――」
「凛が何かやらかしましたか」
「いや、そうじゃない」


凛の話であるのは何となく分かっていた。私に彼から話があるなんてそのくらいだと思うから。


「松岡が今のまま、七瀬を追いかけ力を伸ばしていくことを悪いことだとは思わん」
「!――そう、ですね」
「だが、それは到達したときにアイツの全てを壊しかねないほど脆いものでもある」
「――よく、凛を見ていますね」


アイツはあぶなかっしくて放っておけんぞ。と苦笑する部長さんの横顔は、何だか手のかかる弟を持ったお兄さんのような雰囲気を醸していて。凛をそんな風に気にかけてくれている人が傍にいることが堪らなく嬉しかった。

どこかハルやまこ、渚と距離を置こうとしている凛は、自分の居場所を鮫柄で見つけたのかもしれない。


「松岡は、結局何がしたいんだろうな」
「凛は単純で真っ直ぐだから。本当に純粋にハルに勝ちたいだけだと思います。その先のことなんて、きっとこれっぽっちも頭にないでしょうね」
「――水泳で七瀬君に勝つことは、=何を指すんだ」
「え?」
「君は知っているんじゃないか?」


松岡が、水泳で七瀬君を負かさなきゃならない訳を――。
そう続けた部長さんの言葉にドクッ、と心臓が嫌に鳴った。それを見透かすかのような彼の瞳に射抜かれて、息が詰まる。

二人の間を夜の潮風が流れ、私の短い髪をさらっていく。


「松岡は、君の為に泳いでいるんだろう。君を手放さないように必死なんじゃないか」
「――買いかぶりすぎですよ」
「そうか。じゃあ、君は、松岡が七瀬君に勝った時、アイツの手を取るのか?」


ドクン――。
本当、痛いところを鋭く突いてくる人だ。
きっと分かっていてそんな無意味な質問をぶつけているんだろうけど、だからこそたちが悪い。


私は、部長さんから目を逸らすと。真っ直ぐ前を見据えた。暗闇に沈む深い海。どこまでも続くその先に私は何を捜し求め進んでいくのだろうか。

暗闇に灯る一筋の光は、どちらが手にするだろう。


「二人は結局自分の為に泳いでる」


それは、きっと無意識的なところで出ている答えなのに、二人は、否、凛はそれを見ようとしない。


「たとえば、海で自分の大切な人が二人溺れています。どちらか一人しか助けられなかったら、二人はどうすると思いますか?」
「その大切な人のどちらかが君ならば、君を救うだろう」
「――いいえ」


それは不正解だ。
もし、天秤にかけられないほど大切な人が二人溺れていたら、ハルと凛は――。


「正解は、どっちも助けません」
「なに?」
「自分が溺れるほうを選ぶんです」


そう。
どちらか一人。
それなら、俺が溺れてやるから、二人は助けろ、と。

彼らなら、きっとそういうんじゃないかと思う。


「選ぶことはしないの。あの二人にとって、選ぶことは、どちらかを切り捨てることと等しいから、それが出来ない二人は、本当にお人よしなんです」


私ならきっと選んでしまう。
助けなければ必ず死んでしまう人を。助かる可能性が高い人を後回しにしてしまうと思う。


「私には、二人を選ぶ権利があるけど、二人に私を選ぶ権利はない」


何て、冷たい人間だろうか、私は。


「凛がたとえ、ハルに勝ったとしても、それは、私を選ぶ権利ではないんです。凛が私を繋ぎとめようと泳いでいると貴方は言ったけど、それは違う」
「――……」
「ハルと同じ立場にならなきゃ、私に選んでもらえないって、凛はきっとそう思ってるんじゃないでしょうか」


そんなこと関係ないのにね。
私の気持ちは、水泳関係なく、二人という人となりに惹かれて決まるのに。優柔不断な私が、彼らの勝負ひとつで気持ちを定められるはずがない。


「意外だったな」
「え……?」
「君は、そこまで分かっていて、松岡を選んではやらないんだな」


部長さんの言葉にずきりと胸が痛んだ。それが顔に出ていたのか、慌てて悪い意味ではないんだと言葉をあげる彼の言葉を首を横に振って遮った。


「凛もハルも、私にはどっちも大切で、他に代わりがいない人なんです。どっちかを選ばなきゃならないのは、分かってます。それでどっちかが傷つくことも」


そうしたくない。
そうなってほしくない。
そんな想いをいくら抱えて先延ばしにしたところで、結果は変わらないんだ。


「私、最低な女なんです」


どっちも好きなんて許されない。
それでも、今、私の心を占めているのは、たった一人だというのに、それを口にできないでいる。


「さっきから、俺には心は決まっていると聞こえるけどな」
「!――」
「そんな顔しなくても誰にも言ったりはしんぞ。まだ、アイツらには早いだろうしな」


ぽんぽんと頭を撫でてくれる彼の優しさに今は甘えた。テンション高く豪快に笑って見せる彼は、実は凄く鋭く、人の心に敏感な人なんだと思った。

ただ、優しいだけでは彼の様にはなれない。


「さっ。そろそろ、俺も戻るかな」
「え?」
「迎えが来たようだぞ」
「あ……」


くいっと後ろを指さす部長さんにつられて振り返れば、そこには息を切らせたハルの姿があった。私と部長さんのツーショットに驚いたように目を見開いたが、直ぐにいつもの仏頂面に戻る。


「すまないな。長話につき合わせて」
「いえ、こちらこそ。お話聞いてくれてありがとうございました」
「いや、気にするな」


じゃあな!と爽やかに去って行った部長さんを見送ると、傍にハルがやってきた。


「勝手にいなくなるな」
「ごめん」
「で、何の話だったんだ」
「……んー、人生相談かな」


濁して言えば、釈然としない顔をしながらもハルは何も言わなかった。ただそっと伸ばされた手に私の手を差し出せば、ぎゅっと握られて。

手を引かれるままに皆の元に帰った。




(波打ち際の邂逅)
部長、こんな夜中にどこ行ってたんすか
んー。ちょっと人生相談にな
はあ?明日ばててもしんねぇっすよ
可愛い後輩の事が心配だったんだから、しょうがないだろ
キモイっス
可愛くない奴だな!
男に可愛いとか、気色悪いッス
そんなんだから、まつりちゃんに振り向いてもらえないんだなぁ
んな!?それは関係ないだろ!


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