003話 大きなてのひら



「そういえばさー。あのスイミングクラブ取り壊し決まったんだってー」
「え……」


渚の突拍子もない一言に真っ先に反応をしめしてしまったのは、私だった。ハルもまこも驚いてはいたけど、私ほど過剰ではなかった。あのスイミングクラブには、皆との思い出が詰まっている。

何より、凛との約束が、残ってる。


階段を降りかけていた足を止めた私を三人が振り返った。綺麗に平らげた二人分の弁当の袋を抱えて俯く私から三人の表情は伺えない。

でもきっと、心配してくれてるんだろう。


「まつりちゃん、アレ掘り起こしに行こうよ」



アレ――。
小学生の頃にハルとまこ、凛、渚の四人で勝ち取った勝利の証のことを指しているのは、直ぐに分かった。私の返事を待っている三人はきっと、行きたいと答えればついてきてくれるだろう。ハルなんて、顔に面倒くさいと書いてあるけれども、たぶんきっと、来てくれるんだ。


「あー、あそこ行けば泳げるよねー」
「!……」
「え、でも――」
「しーっ」


取り壊しの決まったスイミングクラブに水が張ってあるとは思えずに口を挟もうとした私を渚が止めた。これはたぶん、ハルを釣るためのウソだ。それを理解した上でそれを利用するべく口を閉ざして首を縦に振る私を見て、ハルがふいっと顔を逸らす。

これは、ゴーサインいただきました。


まこと渚と三人で顔を見合わせて小さく笑い合う。ハルからお許しも出たところで、今夜スイミングクラブに行くことを決定した私たちでしたが――。


『帰ってきなさい。危ないです』
「そ、そんな〜」


学校帰り、ハルの家にて一応連絡を、と兄に電話した私は、見事玉砕した。昨日の無断外泊もあってか、兄は譲る気はないようだ。私の落胆した声に三人は許可がおりないことを悟ったらしく、まこに至っては、ダメだったかあ、と苦笑いをこぼしている。


「にいさ――」
『黄瀬君がウザいので、帰ってきてください』


電話越しにうんざりしたような顔が思い浮かぶ。兄さんの後ろでギャーギャー声を上げているのは恐らく、涼太兄だろう。なんだ、早い撮影だな、と思っていれば、『撮影は明日からだそうで』と、私の心中を察したらしい兄からの返答がある。


「じゃ、じゃあ一旦帰ります」
『そうしてください。ああ、もう暗いですから、気を付けて』
「うん!」


通話を切って、皆のところへ戻る。鞄を手にして帰る支度を整える私を見て立ち上がったのは、ハルだった。


「送る」
「え、でもすぐそこだし……」
「送ってもらいなよ」
「そうそう!」


二人はどっしりと腰を下ろしたまま、こちらを見上げてひらひらと手を振っている。どこか含み笑いな気がするのが引っかかるが、ハルがさっさと出て行ってしまったので、慌てて後を追った。






・・・・・

ハルと二人夕暮れの中を家へと向かい歩くのは、なんだか久しぶりな気がした。こういうことは面倒くさがらないのが私としては不思議でならないのだが、本人曰く、小さいころから身に着いた習慣だから直らない、ということらしい。

何とも分かりやすい言い訳だが、素直じゃないハルの行為は、素直に受け取っておこうと決めた。


「ハル、手繋いでもいい?」
「何で」
「なんとなく」
「……ん」


伸ばされた手に自分の手を重ねる。ぎゅっと握られる手はとても温かかった。懐かしい風が吹く。小学生のころに戻ったみたいで、なんだかくすぐったかった。こんな歳になっても傍にいて、こうして嫌がらずに手をとってくれる幼馴染がいるのは、とても幸せなことだ。

ねえ、ハル――。
いつから、こんなに大きな手になったの?


「ハル、ちゃんと皆で掘り起こしてきてね」
「……ああ」


皆に、凛が含まれているのはきっと気が付いているのだろう。四人そろっては無理だということもきっとわかっているのに、ハルはあえて否定はしないのだ。私が凛の代理で掘り起こすはずだったタイムカプセル(勝利の証)は、いまもまだ、土の中で眠っている。


「あー!まつりっち何手なんか繋いでンスかー!!」
「あ……」
「……」


急に強くなったハルの力に小さな痛みが走ったけれど、それは黙っておいて笑うにとどめた。何で笑う、と目が語っていたけれど、それは私だけの秘密だ。

涼太兄が家の外まで迎えに来ていたことで、思ったよりも早い別れとなってしまったが、ハルは何も言わずに手をそっと放してくれた。


「また明日」
「うん、明日ね」


バイバイと手を振る私に軽く手を振り返してハルは来た道を戻っていった。じっと見つめる私をハルが振り返ることはなく、大きな背中が遠ざかるまで、私はその場を動かなかった。


「まつりっち、冷えるから中はいろ」
「うん」


離れたハルの温もりの代わりに頭に乗る涼太兄の大きな手。ぽんぽんと優しく叩かれるのが昔から大好きだったのは、本人には絶対教えてやらないんだ。




(おおきなてのひら)
ただいまー!(ぎゅ)
お帰りなさい。
ああ!黒子っちずるい!
まつり、手を洗ってきたらご飯にしましょう
はーい!
俺は?俺は?
涼太兄邪魔ー
ガーン……


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