033話 一番好きな場所



誰かの温もりの中、安心するそれに擦り寄るようにしがみつけば、ぎゅっと隙間なく抱きしめられたことに、ひどく安心した。ずっとこのまま、この腕の中にいられたらどんなにいいだろうか、なんて思いながらも、身体は覚醒に動いていた。


「おはよう、まつり」
「……せ、にいちゃ…」


寝起きだからだろうか。掠れたような声しか出ずに、ぼんやりとした視界の中、温もりを与えてくれていた人物を見上げれば、とても優しい笑顔が向けられた。ほわっと温かくなる心と一緒に、思わず顔が綻んだ。


「そろそろ起きないと遅刻してしまうよ」
「ん……」
「甘えても、だめだ」
「お、起きるっ」


優しく頭を撫でる手が心地よくて、柔らかい征兄ちゃんの声が耳をくすぐる。思わず胸板に頭を埋める私を優しく諭すその声に、漸く頭が回り始めてきた。

ん、どうして、私は征兄ちゃんと一緒に寝ているのだろうか。


「え、」
「ん?」


がばっと起き上がった私は、きょとん、とする征兄ちゃんを見下ろして初めてここが自分の部屋ではなく、征兄ちゃんの部屋であることに気が付いた。そして、昨夜の記憶が、凛に抱っこされたところで途切れている事にも――。

じわじわ頬に集まる熱を押さえようと、両頬に手を当ててみるも、効果はなく、頭が大混乱状態だ。


「わ、私……昨日――」
「松岡が連れ帰ってくれた。松岡と会ったことは覚えているのか?」


先程までの優しい雰囲気が一変して、ほんわかしていた空気が一気に凍ったのを感じて思わずびくり、と肩が跳ね上がった。


「お、覚えてる……」


征兄ちゃん。大分、怒ってる。
正座して少し俯きつつ、起き上がったらしい征兄ちゃんの声に答えを返す。凛が迎えに来てくれて、急がなくていいと言ってくれたことに安堵して、意識を飛ばしてしまった自分の不甲斐なさを恨んだ。


「夜遅い時間の一人歩きは危ないといつも言っていたはずだ」
「は、はい……」
「まつりを捜す為に、皆、遅い時間まで走り回ってくれた」
「!――ご、ごめんなさいっ」


皆に心配をかけて優越感を味わっていたわけじゃない。自分がどれだけ大事にさているかとか、たくさん心配をかけてしまうだろうということくらい、最初から分かっていたはずだったのに。

それなのに、私は連絡をしなかった。

征兄ちゃんが怒るのは当たり前で、それはやっぱり私の為を思って言ってくれているわけで。これはしかるべき報いだ。

本当なら、平手が飛んでくるところなのに。


「リビングに行ってみるといいよ」
「え……?」
「僕も着替えたら行くから、先に行っておいで」


弾かれた様に顔を上げた私に、眉尻を下げた笑みを向けた征兄ちゃんに言われて服装に目をやれば、くたびれたスーツが目に入った。驚いた。征兄ちゃんは、何にでもきっちりとする人だ。

こんな風にスーツ着たまま寝るなんてことは、絶対にないのに。


「どうした?説教は済んだよ」
「う、ん…っ」
「今度からは、一人になりたかったら一度連絡を入れてから場所をちゃんと伝えるようにね」
「うん…っ」


ごめんなさい。
目の下の隈も、少し青白い顔も、くたびれたスーツも、その全部が私のせいだということ。征兄ちゃんがどれだけ私を心配して一杯一杯だったかということ、嫌というほどわかってしまった。


征兄ちゃんに言われた通り、部屋を後にしてリビングへと顔を出せば、隣の客間の襖を外して部屋を一続きに広く開け放ってあった。そこには、雑魚寝しているよく知る面々。

兄さんも、リビングで寝ていたんだ。

昨日試合だったはずの大ちゃんと大我さんの姿も見つけて、ぎゅっと胸が締め付けられた。真ちゃん、和兄ちゃん、桃姉ちゃん、涼太兄に、あっちゃん。

ハルにまこ、渚――それから、凛。
皆、疲れた顔をして寝入っているのが見て取れる。

私、何て自分勝手なことをしてしまったのだろうか。こんなに多くの人にいらない心配かけて、こんな疲れた顔させて――。


くだらない、私自身の問題で皆を巻き込んでしまった。


「まつり…っ」


立ち尽くす私の耳に届いたのは、私を呼ぶ声だった。声の方に顔を向ければ、魘されているのか、眉根を寄せるハルがいて。根が生えたように動かなかった足が自然とそちらに向かって動いた。

ハルの傍に屈んで、そっとその手を取る。やんわりと包み込めば、すっとハルの表情が和らいだ。


「ごめんね、ハル」


心配かけちゃった。
小さな私の呟きに反応するように、小さく声を漏らしたハルは、ゆっくりと瞼を上げた。こちらを見つめるぼんやりとしたその表情を見て、小さく笑った。

泣きそうな自分を隠すように。


「!っ――まつりっ」
「――っ!」


大きく見開かれた瞳が私を認識したその時、力強い腕が腰に回ったかと思えば、お腹の辺りが温かくなった。ぎゅっとしがみつくそれに応えるように、そっとハルの頭を抱きしめる。

びくっと跳ねる肩に反応するように腕の力が増した。


「ただいま、ハル」
「……遅い」
「うん、ごめん」
「……許さない」


ハルの声に周りが覚醒し始めるのを感じながらも、私はそのままでいた。ハルが何だか小さな子供のように感じて、この手を解くことが出来なかった。


「もう勝手にどこへでも行くな」
「うん」
「携帯くらい繋がるようにしておけ」
「それ、ハルにだけは言われたくない」
「うるさい」


漸く落ち着いてきたらしいハルに突っ込んでいれば、隣で寝ていたまこが起きていたようで、安心したように笑っている。渚も目をこすってこちらを見ては、驚いたように声をあげて、ハルの上から私にとびかかってきた。


「まつりちゃんっ!!よかったぁああ!」
「う、うん。ごめんね」
「渚、重い」
「いやいや、それ、一番重いのまつりだから!二人とも早く離れて!」


ひっくりかえってしまった私を心配して声をあげてくれるまこだったが、二人は聞く耳を持たず、二人分の体重に私は押しつぶされかけていた。


「ったく、朝っぱらから盛ってんじゃねーよ」
「大ちゃん……」
「よお。助けてやろうか」


意地悪く笑う大ちゃんを見上げてう、と言葉に詰まる。こういう顔してるときは、絶対何かたくらんでる。


「いいから。引っ張り出してやれよ」
「わっ!」
「大丈夫か?」
「あ、ありがとう、大我さんっ」
「てめ、またおいしいとこ持ってきやがって!」


伸ばしかけた手をひっこめようとしたそれを大ちゃんの後ろからやってきた大我さんが引いてくれた。私だけ引っ張り出されて、渚の下敷きになったハルは、小さく呻いていたけれど、渚は直ぐに身体を起こして笑っていた。

何やら口論になりかけている大ちゃんと大我さんを視界にいれながら、ぐるりと周りを見渡せば、そうそうたる面々が既に起き上がっていた。


「まつりっちー!――ぐっ」
「お前まで飛びかかってどうするのだよ」
「真ちゃん顔怖ー」
「黙れ」

「まつりちゃんっ、おかえりなさーい!」
「まつりちん、おかえりー」

「お帰りなさい。よく眠れましたか?」


ああ――。
私、やっぱりこの感じが好きなんだ。
誰がどうで、一番大事とか、そんなんじゃなくて。この空気が、温かい皆の醸すそれが、幼いころから変わらずあって、今もこうしてここにある。

私が出さなきゃいけない答えは、きっとこの先にあるんだろう。でも、それでも、今はまだこの心地いいアットホームな感じに浸っていたい。


「ただいまっ!」


ここが私の居場所で、私が一番好きな場所。
皆がいる、それだけで、こんなにも心が温かくなるの。




(一番好きな場所)
凛ちゃん、爆睡だねー…
そろそろ起きないと、凛は遅刻じゃないか?
蹴り飛ばせば、起きるだろ
ちょっと、ハル!

朝ごはんどうしましょうか
はいはーい!私手伝う!
やめろ!まつりが手伝え
うん、私手伝うから
えー、私も手伝うよー
えっとじゃあ、お皿出してもらっても
はーい!

緑間っち、いい加減離して欲しいっす
離したら、朝飯が遅くなるのだよ
なんでっすか!
まつりちゃんの手料理とか朝からラッキー

敦、これはどうなってるんだい?
んー、皆で朝ごはん?
そう。騒がしい朝食になりそうだね


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