閑話(37.5)



まつりが溺れた時、正直目を疑った。緊張で足でもつったのかと、そんな風にしか思えなかったんだ。

だってありえねーだろ。
お前が、泳げないなんてこと。


いつからだよ。いつから、そんな風になった。
そう聞きたいのに、それは喉の奥につっかえて言葉にならなかった。


周りを見る限り、この事実を知っていたのは、ハルと真琴の二人だということは反応を見ればすぐにわかった。

それと同時にイラついた。

何で、分かっててコイツを止めなかったのかと。

だけど、それも俺があの場所で言っていいことではないというのは、何となく分かっていたから何も言わなかった。


――…

「本当に、もう大丈夫か」
「大丈夫だよ。ごめんね、かっこ悪いとこ見せちゃったね」
「違っ!」
「今は何も聞かないで。その時が来たら、きっと私から話すから」


そっと制したまつりにそれ以上俺が何かを言うことはなかった。後ろで待っていたハルたちに駆け寄って、普段通りに笑うお前が、本当は辛い思いを抱えていること、それを気付いてやれたのは、俺じゃない。

けど、俺なら止めてた。
危ないとわかって突き放したりなんてしない。


なんて、どの口が言ってんだ。
あの夜、俺が突き飛ばしたまつりは、プールに叩きつけられたじゃねぇか。あの時、お前はどんな思いで、水に身を委ねたんだ。


ぎり、と奥歯が鳴る。
握りしめたこぶしの手の甲に血管が浮かび上がって、爪が手の内に食い込んだ。


「松岡」
「……何すか」
「今日まで、俺も半信半疑だったが、彼女が水泳界から姿を消したとき、妙な噂が流れた」


何の話だ。
部長のよくわからない過去話に耳を傾けながら、じっとその場に立ち尽くしてまつりを見送った。


「イップス」
「え……」
「トラウマ、緊張からくるあれだ。筋肉が委縮して、身体が思うように動かなくなる精神的なモノだ」


イップス――。
少なくとも、俺が知る頃のアイツにそんな症状は見られなかった。


「彼女はどうやら、何か精神的に病んで、泳げなくなってしまった」


待て。
それっていつ――。


「丁度、彼女らが中学に上がる頃だな」
「!――…」


ああ、そうか。
力が入っていた拳がだらり、と垂れさがる。

自意識過剰でも何でもない。
それはこの間の行方不明騒動で確かに証明されている。

アイツの心を奪ったままいなくなった俺が、アイツから大事なもんを取り上げちまったんだ。


――どの口が好きだ、惚れてるなんて、言えんだよ。






・・・・・

何だか気まずい空気の中終わった合同練習も、一日経てば過去の出来事。皆はまだ引きずって気にしてるみたいだけど、私がうじうじしていられない。

これ以上、皆に余計な心労かけたくないしね。


とゆーわけで、放課後はやっぱり陸上部へ来ている私たちはベンチに仲良く腰を下ろしていた。


「まだ、諦めないのかー」
「渚もこりないね」
「もちろん!」


でも怜ちゃん、なんか吹っ切れた顔してるよ。そう続けた渚が見つめる先を辿れば、丁度飛び立つ怜君の姿。

綺麗なフォームで降り立つかに見えたそれは、大空に羽ばたくように大の字に開かれた身体が真っ直ぐ降下した。

あ、痛そう……。


「あれ、こっちに来る」


渚の言葉通り、真っ直ぐこちらに歩み寄ってきた怜君は、真っ直ぐにハルに向かった。ハルのようになりたいと、自由に泳ぎたいと、そういう怜君にハルはフリーだと訂正を入れる。


「とにかく、正式に水泳部に入れてください!」


がばっと頭を下げる怜君に皆で顔を見合わせる。
次の瞬間には笑顔が咲いて、その場に穏やかな風が吹いた。


「まつり先輩」
「うん?」
「いつか、一緒に泳げるように、僕頑張りますから、先輩も諦めたりしないでください」
「!――……」


ド直球な言葉ほど胸に響くものはない。
彼なりの励ましと、優しい言葉に思わず涙腺が緩んだが、ぐっとこらえて笑顔を向けた。


「うん、いつかきっと」


一緒に泳ごう――。
それは、遠いようで近い、確かに見える未来の希望だ。


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