026話 出逢いは階段で
何だか今日は寝不足だ。征兄ちゃんの様子が変なこととか、言われた言葉の意味とか考えてたら、瞼が重たい。
足元がフラフラして覚束ないような。
なんて思っていたら、階段から足がずりおちた。やばっ、と思った時には上体がぐらり、と前方に倒れていた。そして、その先には人――。
「え!?」
「わーどいてー!」
どかれたらそれはそれで、私への衝撃が凄いが、それどころではない。人様に迷惑だけは被りたくなかった。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、その人、男の子は、私の身体を抱き留めてくれた。
――が、落ちた。
「っつ……」
「ご、ごめんなさい!大丈夫?」
「も、問題ありません」
男の子の上に馬乗りになったまま問いかける私を見て、ずりおちた眼鏡をかけ直した男の子は、目のやり場に困ったのか視線をそらしてしまった。
「あ、ごめん。重いよね」
「い、いえ!決してそんなことは!」
「え…っと、あ、ありがとう」
必死に違うと声を上げる彼に苦笑しながら、身体を起こすと、彼に手を差し出す。それに捕まって起き上がった彼は、一瞬ではあるが、痛みに顔を歪めた。
「保健室行きましょう!」
「え、だ、大丈夫ですから!」
「だめ!!」
ネクタイの色を確認して、渚と同じ一個下の学年だと分かると、その子の手を引いて保健室へと向かった。あそこには私が最も信頼を寄せる兄さんの友人がいるのだ。
ノックなしにがらりと扉を開けて中に入り込めば、隣で男の子が驚いたような顔をしていた。
「真ちゃん!怪我させちゃったので見てください!」
「ぶっ……。だから、学校では先生と呼べと何度も言っているだろう。それに何なのだよ?怪我させたとはどういう――」
保健室の変わり者。
お茶を飲んでいたのか、私の声に驚いて吹き出してしまった様子だった。そんな真ちゃんの傍に、今日はでっかいぬいぐるみがあった。思わず飛びつきたくなる衝動を抑えて、男の子の手を引いて真ちゃんの前へと押し出す。
「なっ、男の手を引いて保健室に来るとはどういう了見なのだよ!?」
「だから、怪我させちゃったので、診てください」
「相変わらずそそっかしい奴だな、何だその目の下の隈は」
男の子を座らせて足首の異変に気が付いたらしい真ちゃんが、軽い捻挫だと湿布を張りつつ私の様子も気にかけてくれたことに、ちょっと嬉しかったりして頬が緩んでしまった。
「昨日眠れなくて」
「……少し寝ていけ」
「え、でも……」
「三次被害まで引き起こされてはこっちが迷惑なのだよ」
「は、はい……」
ベッドを目で促す真ちゃんの優しさに甘えて、少しだけここで休んでいくことにする。男の子の治療は終わり、その子が真ちゃんに礼を言って立ち上がった。
「まつりが迷惑をかけたな」
「い、いえ」
「あー、真ちゃんってば、そこで溜息つかないでよ!」
「お前はさっさと寝ろ」
「ぶーっ」
男の子の目が困惑したようにこちらへと向けられる。別に迷惑をかけられただなんて、とその目が言っているような気がして、思わず笑ってしまった。バカにしたとかではない。
「あの……」
「ごめんね、巻き込んじゃって。助けてくれてありがとね!」
「い、いえっ!じゃ、じゃあ僕はこれで!お大事に!」
ガラ、ピシャン、と音を立てて閉められた保健室の扉。思わず男の子のいなくなったほうをじっと見つめてしまう。何と心優しい少年なことか。お大事に、なんて。
ああ、名前聞きそびれちゃったな……。
「おい、何を呆けているのだよ」
「あ、ああ……名前、聞きそびれちゃったなーって」
そう言えば、真ちゃんが名前を教えてくれた。何で知ってるの!?と驚き声を上げた私に、教師ならば当然だ、と言い切るのは流石だと思う。
本当は生徒想いな真ちゃんだけど、皆には結構恐れられていたりする。
まあ、まず、おは朝信者なとこから変わり者として生徒には認定されているのだろうけど。
それは、いいとして、竜ヶ崎怜くんか。
今度何かお礼しないとね。
でも、取り敢えず今はちょっと睡眠を、と保健室のベッドにもぐりこめば、真ちゃんが布団をかけてくれる。
「真ちゃん、真ちゃん」
「何なのだよ」
早く寝ろ、と言いながらも声は優しい。その優しさに甘えるように、ぬいぐるみを指させば、うっと言葉に詰まる真ちゃんに、私の真意は伝わっただろうか。
「今日のラッキーアイテムだ。丁重に扱うのだよ」
「はーいっ」
どうやら伝わったようで、私はぬいぐるみを抱きしめて眠ることを許されたのでした。
ふかふかしてて気持ちいいっ。
・・・・・
「まつりさん……」
人懐っこい笑顔を見せてくれる人だった。リボンの色を見て一学年上であることは分かったけれど、とても自分よりは年上だとは思えなくて――。
あんな可愛らしい人が僕の上に落ちてきたときには、天使が舞い降りたのかと――。
「おーい、竜ヶ崎くん」
「!な、何ですか!」
「大丈夫?保健室行ってたんだって?」
「はい、何とも。軽くひねっただけですので」
こんな怪我であんな風に心配してくれるなんて、本当に優しい人だ。彼女の様な人が傍にいてくれる毎日なら、とても充実していて幸せであることは間違いない。
「じゃあ、水泳部にさあ」
「話の筋がおかしいです。それに、今朝も言いましたが、僕は陸上部に入部してますので」
この男もしつこいな。
水泳部に泳げない僕が入ったところで、何のメリットもない。それに、水泳は僕の美意識に反するスポーツなのだ。
「ええーっ。折角可愛いマネージャー二人もいるのにー」
「フン、僕がそのようなものに釣られるとでもお思いですか?」
「だよねー!だからいいんだけどさ!」
マネージャー目当てとか、正直迷惑だしさあ、と本音をぼろぼろこぼしている葉月渚は、どうやら思い当たる節があったようだ。
相当に美人のマネージャーなのだろうか。
いや、でもあの人に適う人などいまい。
「渚くん!大変っ!」
「なになに?どうしたの、江ちゃん」
「ごうじゃなくて、……じゃなくって!まつり先輩が保健室に!」
「ええっ!?まつりちゃん、どうしたの!?」
え――。
これは、ただの同名の人違いだろうか。でも、今保健室にいるのは彼女で間違いない。知り合い、だったのか?
「何か、階段から落ちたって!」
「大変!!じゃ、竜ヶ崎くんまた!」
「え、あのっ」
これは間違いなく彼女だ。
そして、とんでもない誤解をしている二人は、始業のチャイムが鳴ったにも関わらず教室を飛び出していった。
彼女は無傷だ。僕が支えたのだから。
でも、酷く疲れた顔をしていたのは事実。やはり、何かあったのだろうか。
二人が出て行った教室の外を眺めながら、ただただ彼女の事を想った。
(出逢いは階段で)
ハルちゃん、まこちゃん!
どうした?渚…それに、江ちゃんまで
まつりちゃんが階段から落ちたって聞いて
え!?……あ、ハル!
待ってハルちゃん!
遙先輩!保健室です!
わかった!