023話 真琴の告白
俺は、父さんからスイミングスクールの本格的な取り壊しの話を聞いたその足で、その思い出の場所へと向かっていた。ここにはいろんな思い出が詰まっている。
俺だけのじゃない。皆の、大事な思い出。
あの頃はただ、皆で泳げる毎日が楽しくて、それだけでよかったんだ。俺は、まつりの事を友達以上に特別に思っていたわけじゃないから、凛とハルがよくぶつかっていたのをおろおろしながら見守っていたっけ。
でも、本当は違った。
たぶん、俺も好きだったんだ。
だけど、分かってたから。
俺が二人に適いっこないってことも、まつりが俺をそういう風に見ることはないんだってことも。子供心に分かっていて身を引いていた。
自分なりにまつりの傍で、支えになれればそれでいいやって、そう思えるほど、君はあの頃からとても大きな存在だったんだ。
今はどう思っているかと聞かれたら、何て言えばいいんだろうか。やっぱり時々ハルが羨ましかったりもするし、凛が戻ってきて、ああ、やっぱり適わないと思ったりもする。
今日だって、直球にものを言うハルに赤面して縮こまってしまったまつりをどうしようもなく可愛いだなんて思ってしまうほどに。
「……俺、一生片想いかな」
自分で言って笑えてしまうほど、この気持ちは一方通行なのだと思う。それでも、俺は皆が大好きだから、まつりが大好きだから、それでもいいんだ。この思いが報われなくても、それでもまつりが笑って、皆が笑ってくれてたらそれでいい。
それに、ライバルは多いし、ね。
そんなことを考えながらスイミングクラブを見上げていた俺の背中に、誰かの声がかかる。振り向いた先にいた男の顔を見て、どこか見覚えのある様な気がして、思わず凝視してしまった。
「まあ、時代には抗えないってことだな」
そう言って黄昏てる顔。
金髪に、少し彫りの深い顔。
――あっ!
「ささべコーチ?!」
「んあ?」
「俺です!真琴、橘真琴です!」
思い出した。
スイミングスクールに通っていた時のコーチ!一瞬わからなかったけど、思い出してみれば、ただの懐かしい顔がそこにあるだけだった。
向こうも漸く俺に気が付いたのか、懐かしいな、と笑顔を見せてくれた。そのコーチから上がる名前を順々に聞いて、仲良くやっていると笑って伝える。
だけど、凛の名前が出た時には、少し戸惑った。
今の俺たちの関係は微妙過ぎる。しいて言えば、まつりを軸になんとか繋ぎ止められている関係だ。そんな曖昧なものを仲がいいと称すには少しためらわれた。
「凛の奴、最後に会ったときは酷く落ち込んでたからな。心配してたんだ」
「落ち込んでた……?」
「あれ、遙から何も聞いてないのか?」
ハルから――?
その話を詳しく聞けば、俺たちが中学に上がって迎えた初めての正月の話だった。ハルが部活を止めると言った少し前の出来事だったようだ。
帰省した凛とばったり会ったハルが勝負をして、それで凛が負けた。
随分悔しそうだったとコーチが言うからに余程、凛は落ち込んでいたのだろう。それを見て、ハルは何を思っただろう。
丁度あの頃は、ハル自身、まつりの気落ち具合に参っていて、凛の存在が頭から離れなかっただろうから。
それも相まって、ハルは――。
競泳を止めた理由――。
頑なにハルが言わなかったその理由が今やっとわかった。ハルは、凛を傷つけてしまったから、競泳を止めたんだ。
「その時、まつりの話は出ていませんでしたか?」
「ん?まつりー?お前らのお姫様かぁ」
「あー、まあ……」
お姫様って、まあ、間違ってはいないけど…。
コーチのその呼び方が何だか懐かしい。
「や、出なかったな。けど、そりゃたぶんあれだ」
「え?」
「アイツら、昔っから事あるごとにまつりのことで張り合ってたろ?」
ああ、それはもう、今もあまり変わらないでもないようだけれども。コーチの言葉に苦笑しながら同意すれば、だからなてっきり勝負事だから、まつりを賭けでもするかと思ったんだよな、俺も、と続けるコーチの言葉から察するに、そうはならなかったのだと分かる。
「まつりが今でもそうかは知らんが、あの時、勝負には負けた凛が持っていたものが遙には喉から手が出るほど欲しいしろもんだったってことだ」
「!――…そう、ですね」
「凛は気づいてないんだろーけどな」
「人の事鈍感っていうわりに自分の事には疎いですから」
そう、凛は知らない。
凛がいなくなったあの日から、ハルがどれだけの苦労をしてまつりを今の状態にまで引っ張り上げたのか。
一切の笑顔を失くしたまつりを傍でずっと見て、支えてきたハルだから、俺は今更帰ってきて普通にまつりと仲良くやってる凛が、どこか許せないでいるのかもしれない。
今でもやっぱりまつりは、凛を選ぶのかな。
それは、本人に確かめてみないとわからないことだけど、ずっとハルとまつりの傍で全部見てきた俺にしてみれば、昔みたいに平等に頑張ってほしいとはやっぱり思えない。
あの日の帰り道、まつりは昔から凛だけだ、とそう言い切ったハルにどうして反論できなかったんだろう。
「まあ、お前らももう高校生だ。これからいろいろあるだろーけど、大事なお姫さんを泣かすようなことにはならねーようにな」
「はい」
それは勿論だ。
もう二度と、あんな風に泣き崩れるまつりを見たくなんてない。
・・・・・
携帯が着信を知らせている。まつり専用の着信でなければ出る気もない俺は、なり続けるそれに無視を決め込んでいた。
大体こんな時間に――。
ベッドに寝転がり上のベッドを見上げた形でじっと着信が止まるのを待っていた。しまいには、留守番サービスへと代わり、メッセージ機能が起動する。
電話口の声は真琴だった。
水泳部を作ることになったこと、また一緒に泳ごうだとか、そんな言葉が並べられる中、ふとアイツの名前が飛び出した。
(俺はさ、昔っから二人には適わないって思ってた)
「……何がだよ」
(水泳じゃない。まつりのこととかで)
「!……」
ああ、知ってる。
お前は昔から優しいからな。
(まつりが今、誰を想ってるかは知らない。でも、もう応援はしないから)
「……そうかよ」
(ハルに負けても、凛に負けるのは嫌だ)
「っ……」
(凛、水泳部に入れよ。そうでもしないと、余計にまつりとの接点もなくなるぞ)
「んなこた、わかってんだよ」
聞こえていないだろう小言をもらしながら、真琴のメッセージを最後まで聞く。
ハルに負けても、俺には負けたくねーか。
そりゃ、そうだよな。俺は、ハルと違ってアイツを一人残してオーストラリア行っちまったんだから。
アイツのこと、中途半端にしてた。
けど、今はもう違う。
俺は帰ってきた。もう二度と、アイツの手を離したりなんてしねー。ハルにだって、真琴にだって、誰にもまつりはやらねー。
(またどこかの大会で泳ごう)
その言葉で締めくくられ通話は切れた。
言われるまでもなく、水泳部には入る。ただし、それはお前らと泳ぐためなんかじゃねーからな。
(真琴の告白)
それじゃ、水泳部の設立を祝いましてー!
かんぱーい♪
水いれたんですね!
そう!あとは、これを皆で!
ざぱーん――
ハ、ハル!
ちょ!?まだ水冷たいって!