021話 二つの赤の心、彼女知らず



お風呂上り、凛に電話しなきゃ、と頭に置きつつ、お風呂を上がったことを征兄ちゃんへと伝えに行く。お仕事中かと思って静かにノックすれば、お返事があったので、扉を開けた。


「征兄ちゃん、お風呂どーぞ」
「ああ、ありがとう」
「涼太兄、今日は遅いんだね」
「ああ、今日は夜の撮影らしいからね」
「へえ」


何だかお家がにぎやかになりました。
征兄ちゃんが家に住むと言い出したことに兄さんが特に何か言うことはなく(まあ、家も広いし)部屋は、客間のうちの一つを提供しているので、涼太兄と同じく、一階に征兄ちゃんの部屋がある。

もう、いろいろと征兄ちゃんの色に染まってしまっている部屋を見渡していれば、「どうかしたのか?」とのお声がかかった。


「何か、征兄ちゃんの部屋になっちゃったね」
「!――そうか」
「あんな豪邸に住んでたから、狭くないかなーって心配してたけど、結構住み心地よさそうでよかった」


そう、小さい頃遊びに行ったことのある征兄ちゃんの家は本当に大きい家で、格式も何もかもが常人とかけ離れていた。ベッドの大きさにはしゃいでいた私を征兄ちゃんは怒るでもなく、優しく見つめてくれていたのを今でも覚えている。


「あの家より、僕はここが好きだ」
「え?」
「まつりがいるだけで毎日がとても充実しているよ」
「も、もうっ」
「相変わらず、直ぐに顔を赤くするところは変わらないな」


お風呂上がりだから、顔赤いの!
と言ってみるが、実際は照れ隠し。そんなことまで全部お見通しの征兄ちゃんでも、ひとつだけ私には弱い部分も見せてくれた。

本当は、知っていたの。


「じゃあ、お風呂借りさせてもらうよ」
「うんっ」


部屋から出て行った征兄ちゃんの後ろ姿は、あの頃とは違ってしゃんとしていた。重い悲しみを背負っていない。

征兄ちゃんがお家に縛られて生きていたこととか、小さい私にはわからないほど一杯重たいものもって、寂しい思いしていたこと、今ならすごくよく分かる。


『そんなに気にいったのかい?』
『うんっ!おっきいし広いし!楽しいよ!』
『それはよかった。今日は泊まっていくのか?』
『んー…お兄ちゃんが待ってるから…。あのねっ!お兄ちゃん意外と寂しがりやなんだよ!一人で寝れないのっ』

『――じゃあ、僕が寂しいって言ったら、隣で寝てくれるかい?』
『征兄ちゃん?』


あの時、垣間見た征兄ちゃんの寂しげな顔を今でも鮮明に覚えていたりする。寧ろ家のことよりもずっと印象的で、初めて見た弱弱しい笑顔だったから。

結局、あの日はどうしたんだったか。


「まつりー、アイス食べるんじゃないんですかー?」
「あ、はーい!」


リビングからした兄さんに弾かれた様に征兄ちゃんの部屋から飛び出す。その時、机の上に飾ってあった一枚の写真に目が行くことはなかった。

あの日の思い出に撮った一枚の写真を――…。






・・・・・ 

アイス食べて、二階の自分の部屋に戻ってから、携帯電話を手に着信履歴から凛へと電話をかける。三度目のコールで繋がった電話にひとまず安堵した。


「凛…?何かあった?ちょっと携帯離してて」
(……ああ、別に)


凛の声が元気ない。
時間遅いから寝ていたのかとも思ったけど、そういうわけでもないようで、電話の向こうは酷く静かだった。


「元気ないぞっ」
(……そうか?)
「私に会えなくて寂しいんでしょ?」


ここは努めて明るくいこう。
そう決めて、冗談半分で笑いを含みながらそう言えば、電話の向こうにいる彼はシン、と黙り込んでしまった。

冗談にしてはちょっと自意識過剰発言し過ぎただろうか。


「や、やだ冗談――」
(寂しい)
「え、えっと…あの…っ」
(ふ、何動揺してんだよ)


小さく笑った凛の声はどこか楽しそうで、これはからかわれたのだろうか、と思いつつも心臓は大きく高鳴っていた。顔まで赤くなったような気がして、携帯を持っていないほうの手で頬を押さえる。

心なしか熱い……。


(またどっか行きてーな)
「う、うん」
(お前が作った弁当持って、公園なんかでのんびりすんのもいいかもな)
「凛、どうせ芝生寝っころんで日向ぼっこしたいだけでしょ」
(何で分かんだよ)
「もう…っ」


あ、よかった。ちょっと調子戻ったみたい。
凛の声が、笑いを含んでる声が、いつもの調子に私をからかっている。暗く沈んだ声から復活して、笑っている顔が想像できた。


「じゃあ、もう――」
(なあ、)
「ん?」


私の声にかぶさって聞こえてきた凛の声。静かに聞き返すも凛が口を開くことはなく、短い沈黙がおりた。


(――何でもねーわ)
「凛?」
(もう寝ろ。明日も学校だろ)
「あ、うん」
(また電話する)
「うん、おやすみなさい」


結局、何が言いたかったのかはよくわからなかったけれど、凛の最後の「おやすみ」の声がとても優しくって、何だかくすぐったい気持ちになった。

ベッドに転がっている大好きなぬいぐるみに抱きついて、そのままごろん、と横になる。


ねえ、凛――
私ね「おはよう」と「おやすみ」を言い合える仲って凄く貴重だと思うの。家族でない人と交わせる些細な挨拶で、心がとても温かくなるんだ。

また電話するって言ってくれたキミの言葉も嬉しかったんだよ。ああ、また今度があるんだって、次の約束があるんだって、そう思えるから。

あの頃とは違う。明日があるんだって――。



さあ、気持ちを切り替えよう。
明日からは、部活動勧誘に向けて頑張らなければいけない。




(二つの赤の心、彼女知らず)
テツヤ
はい?
まつりは、今でも彼を想っているのかい?
!――今は、分かりません。あれから、四年も経っていますから
そうだね

松岡先輩、何か嬉しそうですね!
はあ?
もしかして彼女さんからのお電話で――ぶっ!?
まだ違ーよっ!


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