012話 帰れない理由



プールから上がってもなお、ハルは私を離すことをしなかった。横抱きにされたままで、下ろしてと言っても聞かなかった。その辺に脱ぎ捨ててあったハルの制服を拾い上げたまこが、それをハルに差し出す。

器用に受け取ったハルが、制服の上着を私にかける。


「寒くないか?」
「!……うん」
「早く帰ろう」
「……っ」


ぎゅ、と私を抱く腕に力をこめるハルに力を抜いて身体を預けた。凛は、微動だにしないままその場で立ち尽くしていて、ハルが横を通り過ぎるその瞬間、一言だけ何か発したようだった。

私には聞こえなかったけど、ハルには聞こえていたようだ。


「……まつりの兄貴が外に迎えに来てる」
「!――」


何か反応を示して一瞬立ち止まったハルは、私を一瞥してすぐに、プールから出て行ってしまった。まこと渚は、先に外に出ていて、校門までくれば、兄が車を止めて外で待っていてくれた。

驚いたように見開かれた目を見て、申し訳なく思う。


「まつりっ!どうしたんですか!」
「だ、大丈夫…っ」
「すみません。足滑らせて、プール落ちました」
「怪我は!」
「してません。俺の不注意でした。すみません」


何度も頭を下げるハルを止めようと声を上げかけた私を遮ったのは、兄さんの手だった。ハルから下ろしてもらった私をすぐさま抱えた兄に、車に押し込まれたのだ。

中には、予想外の人物がいて目を丸くする私を見て、彼女もまた目を丸くしている。今朝、連絡を取ろうかと思っていたその人だったので、なお驚いてしまったのだ。


「まつりちゃん!どうしたの!?大丈夫?びしょびしょじゃない!」
「だ、大丈夫っ」


きっと私を驚かせようと静かに隠れていたのだろう。慌てて私の様子を確認する桃姉ちゃんは、自分が来ていたカーディガンを脱ぐと、すぐさま私にかけてくれた。ハルの上着は、兄さんに抱き上げられたときに落としてしまったようだ。

桃姉ちゃんにぎゅっと抱きしめられて、なんだか泣きたくなってくる。






・・・・・

「頭を上げてください、七瀬君」
「……」
「君じゃないでしょう。――昨日、まつりが泣き腫らした目をして松岡君を家に連れて来た時点で、何か起こるような気はしてました」
「え……?」


まつりが車に乗せられてもずっと頭を下げ続ける俺に、テツさんは優しい声で頭を上げるよう、促してくれたけど、それでも下げているべきだと思った。

けど、まつりが泣いたという事実と、凛の名前が出た瞬間、弾かれたように顔を上げてしまった。

驚いているのは、俺だけではないようで、後ろにいた二人も目を丸くしている。


「聞いていませんでしたか?どうやら、偶然再会して、引っ張ってきたようですよ」
「泣いたって……凛が何か――」
「いや、たぶん、感極まっただけでしょう。暫くぶりですしね」
「凛ちゃん、あの後、まつりちゃんに会いに行こうとしたんだね、きっと」
「俺たちなんかにより、まつりに会いたかっただろうしね」


あの後、とはスイミングスクールで再会した後のことだろう。凛はあの時、何かを捜すように視線を巡らせていた。いつもなら傍にいるはずの、まつりを捜していたんだろう。

中学一年の正月偶然会った凛と成り行きで勝負することになった時、凛はさり気なくまつりのことを話題にのぼらせていた。


『アイツ、元気にしてんの?』
『アイツ……?』
『まつり』
『――まあ、』


あの時、俺は少しだけ嘘をついた。
まつりが凛がいなくなってから、ずっと泣いている事とか、心配して夜も眠れてないことだとか、会いたくてしょうがないのだということ、全部を教えてやらなかったんだ。


『そっか。元気にしてるならいーや』
『何だよ。会いたいなら、会いに行けばいいだろ』
『……何か、俺アイツの兄ちゃんの友達に嫌われてるみたいでさ、近づけないんだよな』
『何だよそれ』
『もう、マジ勘弁だぜ。妹はやらないだとか、アイツは俺のもんだとかさ。シスコンにロリコンだぜ?』


そのいい口からして、何度か会いに行ったのは分かった。確かに凛は、まつりが好きになった初めての人だとかで、まつりの周りの連中に目の敵にされている。

そう、俺がほしいと願う最上級のものを、この時、凛は持っていた。


この後の勝負で、難なく勝ってしまった俺を見て、凛は悔しそうに泣いた。ああ、傷つけたと悟った瞬間、競泳は止めた。もう、凛の泣いた顔は見たくなかったから。

でも、まつりが凛の事で泣くのはもっと嫌なんだと思う。


――そうだ。
俺は、いつも凛がうらやましくて、まつりの笑顔を独り占めにしたかった。それが漸く手に入りかけた時、またお前が帰ってきたんだな、凛。


「テツ君!早く!まつりちゃん、風邪ひいちゃうよ!」
「今行きます。では、今日は妹が迷惑をかけました。気を付けて帰ってくださいね」


テツさんの言葉に俺たちは軽く会釈をして、車が走り去るのを黙って見送った。暫く三人とも何も言わないまま、車が走り去ったほうを見ていた。

真琴が切り出すまでは、静かな沈黙が降りていた。


「ハル、渚。俺たちも帰ろう。流石にこのままじゃ、風邪ひくよ」
「そうだね!明日も学校あるし、電車もやばいんじゃない?」
「……」


このまま、帰って、本当にいいだろうか。
歩き出す二人は、動かない俺を振り返って早く、と急かす。

凛は、まだ、あそこにいるんじゃないか?
後悔して、泣きべそかいてるんじゃないか?


きっと、無意識だったはずだ。まつりを突き飛ばしてしまった後の凛は、我に返って慌ててプールに飛び込もうとしていた。真琴と渚はきっと気が付いていないだろうけど、俺は見ていたから知ってる。

意外と涙もろい奴だってことも、人一倍、寂しがり屋だってことも。


「ハル?」
「……まだ、帰れない」
「え?何言ってるのハルちゃん!」


まだ、勝負してないんだ。凛に応えていない。
このまま帰ったら、駄目だ。


引き返す俺を追ってくる二人と一緒に先程の屋内プールに戻れば、座り込む人影を見つけた。壁に背を預けて座り込む凛は、俺を見つけると、驚いたように目を見開いた。




(帰れない理由)
ハル――…
まつりは、大丈夫だ。
!……
ハル……
ハルちゃん……
凛、もう一回あの時の景色見せてくれ
何言ってんだよ……
それで俺に勝ったら、まつりに会いに行け
!……ハッ。上等だぜ


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