007話 無自覚天然ちゃん
何故だか風呂まで借りることになった挙句、結局まつりの兄貴の服を借りた。そこまでは、まあ、百歩譲ってよしとしてもだ。これは、どう考えても予想外過ぎて、対応できねーんだけど。
「凛、何やってんの?」
「……」
何やってんの、じゃねえ。
まつりの部屋の前で立ち往生していた俺に、アイツは何でもないかのように首を傾げている。中の様子把握してこれだったら、俺マジで帰るからな。
「入っていいよ。何でとま――何でここで寝てんの!?」
「……(知らなかったわけか」
自分の部屋に入るなり、大声を上げるまつりの反応でもベッドの上に転がっている男は起きる気配を見せない。熟睡しているのは、面を見る限り一目瞭然だった。
「ちょっと!涼太兄!起きなさい!!」
「何の騒ぎですか?」
「あ、いや、なんか……」
まつりの兄貴が二階へあがってきて、眉間にしわを寄せて俺を睨みやがるから、部屋の中を指す。覗き込んだまつりの兄貴から何か太いものがブチ切れる音がしたのはきっと気のせいじゃない。
「黄瀬君、僕は少しばかり君を甘く見ていたようですね」
「に、兄さん……?」
「松岡君と客間行っててください」
「は、はい」
にっこりと笑顔を張り付けてまつりに声をかけるのを後ろからただじっと見守った。恐ろしくて真正面からなんて、絶対見れねー。背筋を何かが這い上がるような悪寒を感じて、身震いする。
まつりも相当、怖かったのか、二つ返事で俺のところまでくると、腕をとってさっさと一階の客間へと引っ張って行った。
後ろで物凄い音と悲鳴がしたのは、聞かなかったふりだ。
・・・・・
「えっと、何か慌ただしくてごめんね。洋服は洗濯してるから」
「おう」
時計の針の音がやけに響いて聞こえるのは、二人の距離が微妙な間隔をあけているからだろうか。無理やり家までひっぱてきたくせに、何で急にしおらしくなってんだ、コイツは。
ちらり、と横目にまつりを伺えば、ばちり、と視線が交わる。びくり、と肩を跳ね上げるまつりを見て、視線のやり場に困り、そっぽを向けば、小さな声が俺の名前を呼んだ。
「り、ん……いつ、戻ってきたの?」
「……先月」
「私の事、覚えてるよね……?」
「はぁ?」
知らねー女にのこのこついてく阿呆じゃねえよ、俺は。
なに言ってんだ、との視線を投げれば、また肩をびくつかせる。
「ごめん、何言ってんだろ……」
「……なあ、」
「な、なに?」
お前、何でそんなによそよそしいんだよ。
とは思いながらも口には出せず、微妙にあけられた距離がひどくもどかしく感じられた。ちっせー頃は、あんま思わなかったけど、女なんだ、コイツ、とか、今更思ったりすれば、俺から距離をつめることもできなかった。
女って、成長早くね?
とか、意味わかんねーことを考えながら、自分とは全く違う存在をじっと見つめる。
よく見れば、短かった髪も伸びて、体つきも女っぽくなった。江だってでかくなってんだし、そりゃ、コイツが成長しねーわけねーんだけど、何か、……どーすりゃいいか、わかんね。
「髪、伸ばしたんだな」
「!……う、ん。これ、内緒だけど、願掛けしてたの」
「何ガキみてーなことやってんだよ」
フッと小さく笑えば、苦笑しながら教えてくれた“願掛け”の正体に俺の心臓は大きく脈打った。
「凛が、遠くで元気に頑張って、怪我しないで、……どうか、またここに戻ってきますように」
「!――……」
もう、叶っちゃったから、切ろうかな。
そう言って笑うまつりが、自分の髪を一房持ち上げたのを見て、咄嗟に伸びた手は、髪を持ち上げるまつりの手に重なった。
「……切るな」
「あ、う、うん?」
きょとんとして俺を見上げるまつりは、凛がそういうなら、とふんわりと微笑んだ。何でそう口走ったのかは、分からなかったけど、俺の為に伸ばした髪を切ることが、ひどく不快に思えた。
だってこれ、俺の、だろ。
「凛、今どこの高校行ってるの?」
「鮫柄学園」
「水泳強豪校の……」
ほえーとかなんとか間抜けな声を上げるまつりの頬を軽く引っ張ってみる。もちもちと柔らかい感触が結構気持ちい。伸びるなー、と引っ張っていれば目に涙を溜めて「何するの」と怒る様に心がほっとする。
「鮫柄って、全寮制なんだよ」
「へー……」
「へー、じゃねえ。門限あんだけど。一応」
「ん?」
だから?とでも言いたげに首を傾げるまつりは、俺の言いたいことを理解してねーみてーだな。人の話ちゃんと聞いてんのか、この女。
んな顔して見上げてくんな、バカ。帰りたくなくなるんだよ、畜生。
「あ、アイス食べる?」
「……いらねー。つーか、そろそろマジで帰る」
「え……」
もう帰るのか、としゅんと項垂れるまつりの頭にうさぎの耳が垂れ下がっているように見えた。犬ではなく、うさぎだ。
あー、マジ勘弁してくれ。
「あ、じゃあ、ちょっとだけ待って!ね?」
「?……おう、」
そう言って客間を飛び出していったまつりは、どうやら二階へと上がったらしい。待つこと数分、バタバタと足音を立てて戻ってきたまつりの手には、携帯が握られていた。
「連絡先、教えて」
少し恥ずかしそうに笑うまつりは、俺の了承を得ると、顔を綻ばせて近寄ってきては、すとん、と目の前に腰を下ろした。さっきまで開いていた距離が一段と近くなったことにきょどったのは俺の方だった。
ちけーんだよ、おい。
自分が先程使ったシャンプーと同じ香りが鼻孔をくすぐる。そんなささいな事に心臓が激しく鳴っているのを感じる。平常心を心掛けている俺にとどめのごとくまつりが発した言葉に耐えた俺を誰か褒めてほしい。
つーか、褒めろ。
「これでいつでも凛と会えるね!」
「っ!?……」
無自覚天然キャラほど恐ろしいものはないとよく言うけれど、その脅威を目の当たりにしたその日、寸分の理性を保った俺を褒めてくれる奴は、誰もなかった。
(無自覚天然ちゃん)
りーん?
……お前、俺以外の前でそれすんなよ
それってどれ?
……わざとやってんのか
だから何を?
いや、もういいわ