【銀双】それ以上近づかれたら

――ある晴れた日の朝。布団から身体を起こした銀之丞は、ひとり部屋で顔を覆っていた。その顔には、隠しきれない羞恥の色が浮かんでいる。
「お、俺は、なんて夢を見て……!」
顔を真っ赤に染め、銀之丞は小さく震える。
「あ、あいつとどんな顔で会えば……」
そう蚊の鳴くような声で呟くと、銀之丞はそのまま深く深く俯く。そして短い前髪をぎゅっと掴むと、紅狼が朝飯に誘いに来るまでの間、ひとり何かに悶えていたのだった。

――晴れ渡った青空が気持ち良い。わたしは銀之丞さんと二人で会う約束があり、草薙堂に向かっていた。恋仲になって日は経っているものの、二人きりで会うのはまだどきどきしてしまう。けれど貸本屋が見えてくると、やっぱり銀之丞さんが恋しくて、自然と早足になってしまうのだった。
「銀之丞さん、こんにちは!」
早く会いたい気持ちを抑え、店の前から声をかける。けれど、返事の代わりに聞こえてきたのは、バタバタと本が床に落ちる音だった。
「……銀之丞さん?」
音がした本棚の後ろを覗くと――銀之丞さんが床に散らばった本を慌てて拾っているのを見つける。
「あ、ごめんなさい、驚かせちゃいました?」
「い、いや……! す、すまない、俺が呆けていただけだ」
一緒に本を拾おうと膝を折ると、落ちてきて邪魔な髪を耳にかける。すると――
「っ!」
すぐ隣で、なぜか銀之丞さんが小さく息を呑むのが聞こえた。
「……へ?」
思わず彼の方を見るけれど、銀之丞さんはばっとわたしから顔を背けて俯いてしまう。
「っ、わ、悪い……。すぐ片付けるから、お前はリアンにいてくれないか?」
何かを押し殺したような声でそう言う銀之丞さん。
「は、はい……じゃあ、リアンで待ってますね」
来たばかりなのに、なぜか追い出されてしまい少し寂しくなる。なんだかすっきりしない気持ちのまま、わたしは草薙堂を出たのだった。

「こんにちは……」
「双葉ちゃん! あれ、ギンは?」
リアンに入ると、カウンターに座っていた紅狼くんが不思議そうに首をかしげる。
「……銀之丞さん、後から来るみたいです」
「えー? うーん、そっか」
隣に座ったわたしの顔を、紅狼くんは遠慮がちに覗き込む。
「……双葉ちゃん、その顔、ギンと喧嘩した?」
「ううん……」
「そう?」
「お、お嬢ちゃん、いらっしゃい。ミルクでいいかい?」
「はい、お願いします」
桜時さんが淹れてくれるミルクを待ちながら、ぼんやりと草薙堂の方を眺める。少し考え過ぎかなぁと思いながらも、やっぱり気になってしまうのだった。

そのあと、リアンに銀之丞さんが来たけれど、特に変わった様子はなく――紅狼くんや桜時さんを交えての会話は盛り上がり、気づくと外は日が傾き始めていた。
「あ、わたしそろそろ帰らないと……」
夕飯の支度をしなければと思い、立ち上がる。それを見て、銀之丞さんも席を立った。
「そうか、なら俺が家まで――」
そこまで言いかけ、なぜか銀之丞さんは固まってしまう。
「えぇっと……ギン?」
紅狼くんが、戸惑った様子で声をかけると――
「っ、いや……す、すまん……! そ、外で待っている……支度ができたら、出てこい」
銀之丞さんは早口にそう言うと、先にリアンを出ていってしまう。
「……ギン、なんかおかしくない?」
「う、うーん……」
今のは、明らかにいつもと違うよなぁと、なんだかもやっとする。少し距離をとられた気がして、何か悪いことをしたかなと思いを巡らしたけれど、特に思い当たることはなかった。帰りに、少し話してみよう。わたしは支度を整えると、桜時さんと紅狼くんに頭を下げ、リアンを出たのだった。

「銀之丞さん、お待たせしました」
リアンを出ると、銀之丞さんは壁に寄りかかり、ぼんやりと道行く人を見ていた。その表情は、銀之丞さんがマフラーを上げて口元を隠しているため、よく見えない。
「ああ。行くか」
わたしの方をちらっと見ると、銀之丞さんはそれだけ言って先に歩き出してしまう。
「あ、待ってください……!」
しかし、わたしの声に振り返ることなく、銀之丞さんはすたすたと歩いていく。……なんだか、いつもより早足な気がする。けれど、それでも銀之丞さんの近くに行きたくて、わたしもなんとか足を早めた。そのとき。
「きゃっ……!」
段差に躓き、転びそうになる。咄嗟に手を前に出したとき――その手を、銀之丞さんの大きな手が包むように支えてくれた。
「っ、大丈夫か?」
「は、はい! すみません……!」
「いや、今のは……俺が悪い。すまなかった」
銀之丞さんは少し俯いてそう呟くと、そのままわたしの手をぎゅっと握る。
「っ!」
温かい手に、とくんと心臓が跳ねる。銀之丞さんはわたしの手を引くと、ゆっくりと歩き出した。
「……ありがとうございます」
優しい銀之丞さんの手に、少しだけほっとする。どうやら、銀之丞さんはわたしに怒っているわけではないらしい。けれど、それならどうして、というのが、今度は気になってしまうのだった。
「あの、銀之丞さん、良ければ少し寄り道していきませんか。今日いろいろ銀之丞さんとお話したいなと思ったんですが……あまりできなかったので」
遠慮がちにそう言ってみると、銀之丞さんは少し驚いた顔でこちらを見る。けれど、すぐに優しく目を細めて――
「……ああ、そうだな」
いつもと変わらぬ様子で、そう返してくれたのだった。

公園の芝生に並んで座り、銀之丞さんとのんびりと話をする。
「……で、その本の続きが読みたいと思ったんですが、草薙堂に置いてませんか?」
「ああ、その本なら俺も読んだことがあるが……うちの店にはなかった気がする。どこかで手に入れられないか、探してみよう」
「ありがとうございます!」
――こうして銀之丞さんの隣で、ゆったりと話していると、なんだか心がぽかぽかしてくる。けれど、もっと彼の近くに行きたくなって。わたしは銀之丞さんの肩に寄り掛かろうと、そっと身を寄せた。けれど――
「……っ!」
銀之丞さんがそんなわたしを見て、慌てた様子で後ずさる。
「え? 銀之丞さん……?」
やっぱり避けられて――そう思うと、すっと体温が下がるのを感じた。けれど、こちらを見た銀之丞さんの顔は、なぜか真っ赤に染まっていて――
「だ、駄目だ、それ以上近づかれたらっ……!」
そう掠れた声で漏らすと、銀之丞さんは自分でもどうすればいいのかわからないといった様子で、額を抑えた。その様子に、わたしも戸惑ってしまう。
「銀之丞さん、えっと……?」
「う……すまない……俺は……」
銀之丞さんは拳で口を覆うと、気まずそうにわたしの方を見る。
「わ、悪い……少し、俺の話を聞いてくれるだろうか……」
「は、はい……」
銀之丞さんは、その場にきっちりと正座をする。その様子に、わたしも思わず姿勢を整えた。ぽつりぽつり、銀之丞さんがゆっくりと話し始める。
「じ、実は……け、今朝、お前の夢を見てしまって……」
「夢、ですか?」
「ああ……そ、そのせいで、お前といると、お、落ち着かないのだ……」
銀之丞さんは、膝の上に置いた拳にぎゅっと力を入れる。
「すまない……お前の夢を見るなど、俺は……っ、どうすれば許してもらえるだろうか……」
「な、なるほど……」
――予想外の真実に、ぽかんとしてしまう。けれど、銀之丞さんの態度の謎が解けて安心したせいか、ふっと肩の力が抜けた。
「そんなの、気にしなくていいのに……」
けれど、あまりにも申し訳なさそうな銀之丞さんに、わたしも一つ告白することにする。
「あの……わ、わたしも、銀之丞さんに会いたいなぁと思いながら寝ると、たまに銀之丞さんが夢に出てくるんですよ?」
少し、恥ずかしいけれど……。そう言うと、銀之丞さんはようやく顔を上げる。
「そう……なのか?」
「はい。それに夢に出てくるってことは、銀之丞さんがわたしのことを考えてくれてるからかも、って思うと……なんだか嬉しいです」
銀之丞さんのまだ硬く握られたままの拳に、そっと手を重ねる。すると、銀之丞さんは拳を解いて、わたしの手を優しく握り返してくれた。
「……当然だ。お前のことが頭から離れたことなどない」
まっすぐに見つめ、そう伝えてくれる銀之丞さんに、今度はわたしの顔が熱くなる。
「そ、そしたら、もうその夢のことは、気にしないでくださいね?」
……また距離を置かれたら悲しいから。そう思ってそう尋ねる。しかし――
「……」
すぐに返事が返ってくると思ったけれど、銀之丞さんは覚悟が決まらない様子で視線を彷徨わせていた。
「? あの……?」
「あ、いや……! ……ああ。善処しよう」
銀之丞さんは、赤面しながらも、なんとかそう答えてくれたのだった。

銀之丞さんに送ってもらい、家に着く。いつのまにか、外はもうすっかり暗くなっていた。
「送ってくださって、ありがとうございました」
「ああ。冷えてきたし、早く家に入れ」
そう微笑む銀之丞さんに、わたしも笑顔で頷く。そしてもう一度頭を下げ、銀之丞さんに背を向けたとき――
「……待て、双葉」
真剣な声に、振り返る。
「どうしました?」
「さ、さっきのことだが……不安にさせてすまなかった。今度からは何か事情があるときは、お前に伝えるようにしよう」
心配させまいとしてくれる銀之丞さんの心遣いに、嬉しくなる。
「だ、だから言っておくが……もうしばらくは、その……今日のような態度をとってしまうかもしれん……」
「え?」
わたしが夢にでてきた、ということを明かしてくれたのに、まだ落ち着かないのだろうか。照れ屋な銀之丞さんでもさすがに大げさな気がして、ふと聞いてみる。
「……そういえば、どんな夢だったんですか? ほら、もしかしたら夢と同じことをしたら、変に意識しなくてよくて、気にならなくなるかも……」
けれど、銀之丞さんはひどく焦った様子でわたしの言葉を遮って――
「そ、それはだめだ! お、お、お前に……あんな……っ……!」
……今日一の赤面を見せられ、それ以上何も聞けなくなる。
「そ、そうですか……」
いったいどんな夢を見たんだろう。すごく気になるけれど……。
「わかりました。早くいつもの銀之丞さんに戻ってくださいね。……寂しいですから」
そう言うと、銀之丞さんははっと目を見開く。そして、口元に手を当てて、何かを考え込んだあと、一歩わたしに近づいた。
「……ああ、そうする」
はっきりとそう答えると、銀之丞さんはわたしの頬に口付ける。
「じゃ、じゃあ、俺は行く。……は、早く家に入れ」
懸命に平静を装い、ぶっきらぼうにそう言う銀之丞さんが愛おしくて――
「……はい、銀之丞さんもお気をつけて」
赤く染まった銀之丞さんの横顔を見ながら――わたしは幸せで胸がいっぱいになったのだった。




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