気づいたら祓本の夏に囲われていた話

「この間のラジオ面白かったです!これからも応援してます!」

会場で、早口で叫ぶようにそう言って、大きな手を握る。駆け出しの芸人である『祓ったれ本舗』の握手会はこれで五度目だった。

「うん、ありがとう」

いつものようにそう言うと、夏油さんはにこりと微笑む。その笑顔に見惚れていたのは一瞬のこと。すぐにスタッフが私の肩を掴み、夏油さんはまた遠くの世界に行ってしまった。
握手会の余韻に浸りながら、大学生の私は足早に授業に向かう。その道中いつものようにチャットを開くと、返事をしようと指を動かした。

『ゆかくん、今日握手会いた?今日こそ会えると思ったのにー!残念!』

一年ほど前にツイッターで知り合ったゆかくん。同じく祓本のファンで毎日のようにチャットしているし、プライベートの相談なんかもしていて、会ったことはないけれど親友のような存在だった。

『ごめんね。前の用事が伸びて、どうしても間に合わなかったんだ。僕も会いたかった』
『それは残念……次の握手会、二人とも当たればいいね!』

そんなやりとりをして、スマホから顔をあげる。

「ゆかくん、いつか会えたらいいな」

ひとりそう呟くと、次の授業の予習などそっちのけで、来月の握手会の予定を調べ始めたのだった。


それから、二週間が経った頃。夕方マンションに戻ってくると、外に引っ越しのトラックが止まっていた。

「お隣に誰か入るのかな」

段ボールを抱えた業者の人が慌ただしく出入りしているのとすれ違う。私が住んでいるマンションは、家賃は安いけれど、駅からは離れているし周辺にはお店も少ない。隣人が出て行ったのはつい一週間前なので、そんなに早く新しい入居者が決まるのは意外だった。

「変な人じゃないといいけど……」

そんな小さな不安を抱えながら、自分の部屋に向かう。鍵を開けようとバッグを漁っていると、どこかで聞いた声に話しかけられて、ばっと顔を上げた。

「こんにちは。お騒がせしててごめんね」

はっとして隣の部屋に目をやる。

「なっ……!」

ドアから顔を覗かせていたのは──『祓ったれ本舗』の夏油傑だった。叫びそうになったのをなんとか耐えて、平静を装う。

「こ……こんにちは。いえ、お構いなく!」

会釈をして、ばたばたと部屋に入る。そしてドアを閉じるのと同時に、その場にへなへなと座り込んだ。

「嘘でしょ、推しが隣に……」

でも、ここは彼の正体に気づいてない振りをすべきだろう。推しのプライベートを邪魔してはいけない。

「ファンだって絶対バレないようにしないと」

ばくばくと心臓の音がうるさい。こんなことあるんだ、と半ば放心状態になってしまった。
そのとき、床に転がっていたスマホが鳴る。ちょうどゆかくんから返事が来たところだった。

「こんなこと、ゆかくんにも言えないなぁ……」

隣の引っ越しの作業音を聞きながら、とんでもない秘密を抱えてしまったことにため息をついたのだった。


翌々日。大学から帰ってくると、隣の部屋の前でドアに寄りかかっている人影が目に入った。すぐにそれが夏油さんだと気づいて、びくりと肩が揺れる。思わず後戻りしようとしたものの、目があってしまって、仕方なくそのまま自室へと向かった。

「こ、こんにちは……!」
「こんにちは。ちょっと聞いてもいいかな」

そう話しかけられ、動揺しながら頷く。

「実は鍵とスマホを友達に預けていてね。夜に会う予定があるからそれ自体は構わないんだけど、それまでどこかで時間をつぶしたくて。このあたりってファミレスあるかな?」
「ありますよ!でもちょっと場所がわかりにくいかも……よければ案内し──」

いや、積極的に関わるのはよくないだろうか。駆け出しの芸人とは言っても、週刊誌が張ってる可能性もゼロではない。しかし、私の返事にパッと目を輝かせて、彼が微笑む。

「案内してくれるのかい?ありがたいな。この辺まだわからないから、すごく助かるよ」

時すでに遅し。にこにことこちらに近づいてきた推しに、ぎこちない笑顔で頷くほかなかった。

「案内のお礼に奢るよ。ファミレスだけどね」

道中お互いに自己紹介をしたことで、推しに認知されてしまった。(勿論ファンとはばれていないけれど)そんな中、彼の誘いを断れず、ファンとして一抹の罪悪感を抱えながら、一緒に店内に入る。

「喫煙席と禁煙席どちらになさいますか?」

店員さんに尋ねられ、夏油さんがこちらを振り返った。

「喫煙で大丈夫ですよ」

そう言うと、夏油さんは喫煙席を指定して、店員さんが一番奥の席に私たちを案内する。席につくと、夏油さんが何故か意味深な顔をして私の方を見ていた。

「どうしました?」
「ううん、喫煙席にしてくれてありがたいけど、どうしてかなって」
「あ……」

夏油さんが喫煙者って、ファンしか知らない情報だ……。まずいと思って咄嗟に誤魔化す。

「わ、私ちょっと前まで吸ってたので、癖で喫煙席に!夏油さんも吸われるんですねーへえー」
「そうなんだ。若いのに意外だな」

そう笑う彼に、話題を変えるように和食のメニューを手渡す。

「ありがとう。私はそばにしようかな」
「私はこのパスタにします」

注文を終え、ふと改めて正面に座る推しの姿をみて、夢見心地になってしまう。
祓本は、芸人としてのセンスはもちろん、多彩な才能とモデル顔負けのビジュアルで、今後絶対人気が出ると思っていた。実際握手会の倍率もどんどん跳ね上がっている。そんな推しとこうして同じ時間を過ごせるなんて、と一人心の中で感謝した。
夏油さんは胸元から煙草を取り出すと、火をつけながら尋ねる。

「いいなぁ大学生。楽しいこといっぱいでしょ」
「ふふ、そうですね。でも、大学より趣味に没頭しちゃって……」
「趣味か。何が好きなんだい?」

お笑いとは言えない。グラスの水を飲みながら、咄嗟に無難な回答を用意する。

「えーと……好きな音楽グループがいるんです。ファン同士でも仲良くなれるし、やっぱり男女問わず好きなものを共有できるのは楽しいですね」

そう答えながら、グラスに水を注ぐ。

「いいね。そういうのって、恋愛にも発展しやすいんじゃないかい?」
「ああ、そうですね。同じ趣味って話も合うので」
「……へえ、そう」

その声色に、なんとなく違和感を感じて、夏油さんの方を見る。すると、トントンと煙草の灰を落としながら、じっとこちらを見ているのと目があった。

「っ……」

なぜか少しだけ体温が下がったのを感じる。飲もうとした水を、なんとなくテーブルに置き直してしまった。

「お待たせしました!」

そのとき、注文したお料理が運ばれてくる。

「わあ、美味しそうですね」
「ふふ、そうだね。ファミレス久しぶりだな」

いただきます、と手を合わせて、スプーンを手に取る。推しとご飯を食べられるこの時間に感謝しながら、オムライスを口に運んだのだった。


その日の夜。

『ねえ、今度会えないかな』

ベッドで寝転がりながら、いつものようにゆかくんとチャットで話していると、そう誘われて思わず体を起こした。

『会いたい!いつがいい?』

食い気味でそう返事をすると、すぐに返信がくる。

『今週土曜日の夜とかどうかな』
『いいよー!ずっと会いたかったから楽しみだな』
『私も楽しみだよ』

テーブルの上のカレンダーを見る。明日は午後は授業がないので、美容院に行けるな。ネイルも新しいのにしよう。

「ふふ」

なんだか気持ちが弾んで、鼻歌まで口ずさんでしまう。ゆかくん、どんな人かな。うきうきしながらベッドから降り、クローゼットの前に立った。

「何着ようー」

るんるんで手を伸ばして、お気に入りのワンピースやブラウスを手に取る。ようやく彼に会えると思うと、土曜日が待ち遠しかった。


ゆかくんとの待ち合わせの日。お気に入りのワンピースを着て、一人そわそわと彼を待っていた。落ち着くためにチャットを見返す。
そういえば、ゆかくんから会おうって言ってくれるの意外だったな。いつもは握手会や収録があるたびに私の方から誘っていて、それでも今まで当落などのタイミングがあわず、一度も会えなかったのだ。

「……あれ」

ゆかくんからの返信を見ていて、ふと違和感を覚える。

「『私も楽しみ』……」

ゆかくんって、今まで僕って言ってなかったっけ。……まあ、男の人って一人称使い分けるし、たまたまだよね。

「でも……」

なんで急に会おうなんて言い出したんだろう。会えるのが嬉しくて、そこまで考えてなかったけれど、よくよく考えたら不思議だ。

「──ねえ」

そのとき、上の方から声をかけられる。顔を上げ、その姿を捉えたと同時に体が固まってしまった。

「へえ。握手会で私に会いにくる時よりオシャレしてるね。ゆかくんに期待してたの?」
「な……え……?夏油さん……?」

大きな影が私に覆い被さる。混乱している私に構わず、彼がもう一歩私に近づいた。

「隣人の私には色目使わないのに、ただのファンの男には色目使うんだ」

思わず後ずさると、彼の手が私の腕に触れる。

「悲しいな、一途に私のことだけ好きだと信じてたのに」

理解が追いつかない。どうしてここに夏油さんが?

「どういうこと、ですか?ゆかくんは……?」
「私だよ」

そう言うと、何度もやり取りしたチャット画面を見せられる。

「うそ……」
「ふふ、びっくりした?」

そう微笑むと、腕に触れていた手を滑らせて、夏油さんはそのまま私の手を握った。

「どう?『ゆかくん』に会えた感想は」

俯いて混乱している私を、彼は面白そうに見つめる。そして私の手を引きながら、もう一方の手を伸ばすと、私の顔を掬い上げた。

「ごめんね、いじめすぎたかな。大丈夫だよ、もう怒ってないから」 

優しい声でそう言うと、すっと目を細める。

「ほら、おいで。もうよそ見できないように、私でいっぱいにしてあげる」

どきり、心臓が音を立てる。ぐちゃぐちゃの頭の中でも、目の前の推しの行動は度が過ぎている、それは理解できた。でも、それを振り解けるほどの勇気は私にはない。

「と、とりあえず、ついていきます……でも、もう少しちゃんと……説明してください」

ようやくほんの少しだけ反抗した私に、夏油さんは機嫌よさそうにくすりと笑う。

「ふふ、いいよ。じゃあ行こうか」

そう満足そうに目を細めると、夏油さんは私の手を引いて、ゆっくりと歩き出したのだった。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -