十年前に恋人だった呪術師の夢主を教祖夏が迎えに来る話

「なぜだろう。ナマエの笑顔を見ると、全てを許されたような、そんな気持ちになるね」
デートの帰り道、そう言って傑が私を見つめる。
「ええ、そう?自分ではよくわからないけど」
ふふと微笑みながら、彼の大きな手をぎゅっと握り返す。もう一方の手には、小さな青い花束。デートの帰りに、よく花を買って帰っていた。これが私の初恋の思い出。そしてこれが、私の青春だった。
次第に、彼の手の感触が朧げになる。胸が張り裂けそうなほど痛むのに気づいて、どうしてこんな気持ちになるんだっけと胸元に手を当てた。ああ、そっか、これはもうこの手に無いものだからだ。私が失った、宝石のような日々だったからだ。

──暗闇の中で、ゆっくりと目を開ける。いつもと違う天井に違和感を覚えたものの、夜の集まりのためにソファで仮眠をとっていたことを思い出した。
「……」
頬に触れる。思っていた通り、顔が涙で濡れていて一人ため息をついた。
「……嫌な夢見た」
十年ほど前に、恋人が失踪した。村を一つ潰して、生みの親を手にかけてという最悪な形で。頭がズキズキと痛む。寝返りをうつと、テーブルの上に飾られた、竜胆の花が目に入った。そうだ、花瓶の水を変えなきゃ。そう思ってゆっくりと体を起こす。
そのとき、スマホの通知音が鳴った。
「……あ、そっか、悟も今日来るんだっけ」
大量のスーツの前で呑気にふざけている悟の写真を見て、くすっとする。彼のおかげで、陰鬱な気持ちが少しだけ晴れた気がした。
「『遅れないようにね』……っと」
そう返事を返し、自分も早速支度をする。
今日は、高専関係者が集まるパーティーがあった。少し面倒だけれど、仕事柄おしゃれをする機会があまりないので、こういうときはほんの少し浮かれてしまう。
「リップ、どの色にしようかな」
メイクボックスを漁っていて、ふと手が止まる。傑が似合うと言ってくれた色のリップを見つけて、なんとなくそれを手に取ってしまった。
「……今日のドレスに似合うから」
彼の夢を見たからでしょ、と冷めた私が呟く。けれどそれを無視して、唇の上でリップブラシを滑らせた。うん、やっぱり今日のドレスにはこれがいい。
ヒールを選んで、今度こそ花瓶の水を変えようと立ち上がったときだった。ピンポンと部屋のチャイムの音が響く。
「あれ、もうお迎えきたのかな」
時間より早いけど、まあいいか。ドアへと向かい、ノブに手をかける。
「──やあ、久しぶり」
「……え?」
目の前で、片手をあげてそう挨拶をする人物を見て、すべての思考が停止する。そこには、つい先ほど夢で見た彼の笑顔があった。姿は、謎の袈裟を着ていたり、髪を半分下ろしていたりとあのときとは異なる。でも、その顔は紛れもなく、私の初恋の人、夏油傑だった。
「すぐ……る……?」
ゆっくりと頭が動き出す。そしてようやく、目の前にいる男は特級呪詛師だと認識して、臨戦態勢をとった。
「っ!」
一人では敵わない。そう判断し、距離を取ろうとする。しかし、彼はこちらよりも一歩早く動くと、私の腰をするりと抱き寄せた。
「逃がすわけないだろ。せっかく遠出して来たのに」
トンっ、と眉間を指で突かれる。
「っ……」
彼の顔が遠のく。そのまま自分でも何が起きたのかわからないうちに、私は意識を手放してしまったのだった。

「ん……」
ふわり、いい香りがして意識が戻る。目を開けると、そこはホテルの一室のようだった。目だけを動かし辺りを確認する。視界の端々に映る物から、そこが高級なホテルで、この部屋が最上階であることはわかった。
「起きたかい?」
私の足元で、傑がそう話しかける。ベッドの上で体を起こすと、先ほどと同じ袈裟姿で、西洋風の椅子に逆向きに座っている姿を捉えた。そんなアンバランスな様相で、背もたれに頬杖をつきながら、にこにことこちらを見る彼に身構える。けれど、サイドテーブルに青紫の花が生けてあるのに気付いて、思わずそちらに目を向けた。私の部屋から持ってきたのだろう。そのまま見ていると、傑がそれを一輪手に取る。
「……ねえ、傑。いったいなにしてるの?」
「なにって、久しぶりに君を見てるんだよ」
不思議そうに首を傾げる傑に、構わず続ける。
「なんで今更、こんなことするの?」
「そんなに不思議なことかな。恋人に会うのに理由が必要かい?」
恋人──この人は、いったいいつの話をしているのだろう。あなたが苦しんでいることにも気づけず、ただあなたに置いていかれた惨めな恋人。しかし、それはもう十年も前のことだ。
彼に呆れるような目を向け、諭すように訴える。
「こんなこと辞めなよ。悟だって、すぐに来て──」
「悟?」
ミシッという嫌な音が響いて、そちらに目を向ける。彼の手にあった竜胆の花が、くしゃりと潰れているのを見て、すぅっと体温が下がったのがわかった。
「……悟、ね。私がいない間に、名前で呼ぶ仲になったんだ。抱かれたの?」
ギギと音を立てて椅子から立ち上がる。ベッドにのしかかり、低い声で問われ怯むも、それを悟られぬように彼を見据えた。
「そんなこと、今はどうでも……」
彼の手が伸びて、私の足首をきゅっと掴む。冷たい手に、びくりと体が強張った。
「君が、他の男の名前を出すからだろ」
彼のもう一方の手から、折られた竜胆が崩れ落ちる。
「傑……」
……どうしてあなたは変わってしまったのだろう。あなたは何に変わってしまったのだろう。その答えが知りたくて彼を見つめる。しかし、彼自身もはっきりした答えを持ち合わせていないように見えた。
傑は私の肌をなぞりながら、ぽつりぽつりと話し始める。
「高専を出た夜からね、毎晩、ナマエの夢を見るんだ。どんな残酷なことをした夜も、君は私の夢の中で笑ってる。変わらないんだ。何年経ってもね」
そう言うと、私に覆い被さるように、傑が手を伸ばした。
「……言っただろ。ナマエの笑顔は、私の全てを許してしまうんだ」
大きな手はそのまま私の頬に触れると、安心したようにそこを撫でた。
「本当、綺麗になったね」
そう囁くと、リップを拭うように私の唇に触れる。そして顔を寄せると、ちゅっと優しく口付けた。心臓が甘い音をたてる。キスをした後の愛おしそうなその顔が、私が恋をしていた、あのときの傑と重なってしまった。
「っ!」
呪詛師となった彼には、決して抱いてはいけない、『ずっと会いたかった』という思いが、弾けそうなほど大きくなっていく。
「やめ……てよ」
何とかそう呟くも、傑は全てを見透かしたように小さく笑った。
「そうだ、なんで今更こんなことをするのかって聞いたよね」
傑の手が、ベッドの上に崩れた竜胆を、また残酷に押し潰してしまう。彼の虚ろな目が、私をじっと覗き込んだ。
「……もう、夢の中の君に許されたく無いんだ」
彼の手が、今度は私の肩に触れる。その手にぐっと力がかかって、彼の体の重みで骨が軋むのがわかった。
「すぐる、いたい、よ……」
たまらず顔を歪めるも、私を見下ろす表情は変わらない。
「ねえ、君って、どんな顔で泣くんだっけ?」
彼の心の悲鳴が聞こえた気がして、胸が張り裂けそうになった。彼はもう限界なのだ。……夢の中ですら、許されたくないほどに。
「……私がそんな顔させてるの?」
これは彼を一人にしてしまった、私の罪なのかもしれない。肩を掴まれた手に、そっと自分の手を重ねる。
「わかった。……今日だけ、傑のために泣いてあげる」
傷ついて、苦しんで、私を愛しに来たあなたを、私もまた、傷ついて、苦しんで、愛してしまうのだった。


竜胆の花言葉……「悲しんでいるあなたを愛する」




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