オフィスパロ

――オフィスフロアの上座、とあるデスクの前。山積みになった書類の隙間から、大きな手がちらりと覗いている。
「っ!」
暴れ出した心臓をなんとか抑え、絡まりそうなくらいの早足で、その前を通り過ぎた。うん、大丈夫、気づかれていない。そのまま給湯室に入って、大きく深呼吸。
「……大丈夫、平常心で。昨夜は何もなかった」
小さく呟くと同時に、頭上から大きな影が落ちた。
「――何もなかった? へえ、ナマエはあんな情熱的な夜を忘れられるんだ」
――それは、昨夜嫌というほど聞かされた声。耳元で、何度も甘く囁かれた声。
「っ! お、おはよう……ございます……」
振り返らずに、震える声でそう呟く。
「……君は、上司に背中向きで挨拶するの? それとも、昨日の痕が残ってるうなじを私に見せつけて、何か期待しているのかい?」
咄嗟にそこを手で隠して、振り返る。そんな私を見て夏油さんは満足そうに微笑んだ。
「おはよう。何も言わずに勝手に帰るなんて、傷ついたなぁ」
「す、すみません……でも、えぇっと……」
何も言葉が出て来ない。俯いたまま視線を泳がせていると、すっと彼の手が伸びてくる。思わず目を閉じると、彼はうなじを覆っていた私の手を絡みとった。
「言っておくけど、私は一夜だけで終わらせる気はないよ」
小さく震える手に、夏油さんはゆっくりと顔を寄せる。
「だから……覚悟してね」
そして手の甲に、柔らかい感触。昨夜幾度となく押し当てられた、甘い感触。
びくりと体を震わせると、彼はにっこりと微笑んで手を離した。
「あ、あの、私、そろそろ席に戻るので!」
勢いでそこを押し通ろうとするも、壁に寄りかかりそれを塞がれる。
「ちなみに、うなじには何もつけてないから安心してよ。でも、よく見えるところにはついてるんだよね。もしかして、気づいてない?」
「っ、ど、どこですか?」
慌ててたずねるも、にやりとするばかりで教えてくれない。
「そうだね、キスしてくれたら教えてあげようかな」
「なっ……!」
思わず睨みつけるけれど、夏油さんはそんな私に構わず、ぐいと顔を近づけてくる。
「ほら、早くしないと誰か来ちゃうよ。今更恥ずかしがることないだろ。……昨晩何度もしたんだから」
顔がかあっと熱くなる。
「っ……」
葛藤はあるものの、背に腹は変えられない。やむを得ず背伸びをして、ちゅっとその唇に口づけた。
「し、したんだから、早く教えてください」
「ふふ。赤くなって可愛い」
そう言うと、彼の手がまたすっと伸びてきて――今度は私の内腿をそっと撫でた。スカートからギリギリ見えるそこを指先でなぞられ、ぞわりと体が疼くのがわかる。
「……ここ、だよ」
耳元に吐息がかかり、声が漏れそうになる。そんな私を見て、夏油さんはまた面白がるように笑った。
「今日も夜、同じところで待ってるからね」
そう囁くと、何事もなかったかのように出て行く。ひとりになった給湯室で、私はへなへなとその場に座り込んだのだった。




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