発展途上の国 1

 中川鈴は、本能で動く女だった。
 故、気紛れで気分屋な彼女に友人は少なく、いえハッキリと言おう。いなかった。
 けれど、鈴はそんなことを気にする女でもなく、今現在、二十一歳の鈴はアルバイトをしても続かず、辞めてはフラフラとその稼いだ金で日々を暮らしているだらしない女に成長した。
 それも、鈴には関係ないことなのだが。
 初夏のある日。
 鈴は、昼近くに目を覚ました。アルバイトを辞めてこれで三ヶ月になる。母親も、初めは鈴に説教をしたり叱ったりをしたが、鈴にはそれも関係なく母の小言は右耳から左耳へ。
 次第に、母親は諦めてとうとう鈴は自由の身に。
 ぼけーっとした頭を振って、二階建ての家の階下へ。
「おはよう鈴ちゃん」
「んー、おはようお母さん。ごはん、パン」
「どっちも言っちゃ分からないでしょ」
「パン」
 出てきたトーストと、ハムエッグに牛乳を腹に入れて漸く鈴の一日がスタートする。
 ちなみに、生活スタイルも実に自分中心だ。夜遅く寝て、朝早く起きる時もあれば夜が始まった時間に眠りにつき、昼頃起きるだとか。
 全く、彼女の性格を反映したそんな娘を持った母親は、溜息一つ「諦めました」と。

 さーて、今日はどこへ行こうか。
 鈴は、初夏に相応しい軽やかな服装に着替え家を出た。公園へ行って、鳩と戯れるのも楽しいし、水のある公園へ行って子どもと同じことをして親に引かれるのも楽しい。
 つらつらと考えて、鈴は駅のアーケードへ向かった。
 お茶の時間だ。
 駅前のコーヒーショップは混んでいたが、そんなことを気にする鈴では無かった。席も取らず注文し、バニラクリームフラペチーノのベンティを頼み、空いている席を探すと一つだけ、カウンター席が空いていた。狭い店内に無理矢理納めたようなテーブルに肘をつき、ズチューっとそれを吸い上げて外を見ると、世間はまさしく平日の真昼間で背広を着た男性やスーツを着た女性らが慌しく足を動かしている。
 そんな様を眺め、ふと隣に目が行く。
 あ、綺麗な人。
 今どき珍しい長い黒髪を後ろで一つに束ね、なんと輪ゴムでそれが留めてあったのだ。
 輪ゴム。何故、輪ゴムなのか。
 鈴の好奇心がうずうずと疼く。
 女性は小説を熱心に読んでいて、それには本屋のカバーがかかっていたためタイトルが見えず、鈴は何とか文字を追おうとしますがなかなか巧くいかなかった。
 どうしても読みたい。
 欲求が勝った。さすが本能で生きている女。
「もしもし」
「……」
「もしもーし」
「……え?」
「そうそう、あなたです」
「え? あの……私?」
「そうです。熱心に、なに読んでるのかなって思いましてはい。好奇心です」
 こういう風に声をかけるのは、実は初めてでは無かった。何度も気味悪がられて逃げられてはいるが。
 だが、女性は一度目を瞬いたがにっこりとその顔が笑む。
「あなたも読む? 官能小説」
 今度は、鈴が目を点にする番だった。
「は? ……かんのう?」
「はい。これ、官能小説なのよ。読む?」
 手渡されたそれを、つい受け取ってしまった鈴は恐る恐るそれを開く。
『あああー……ヨシヒコ、お前の太いマラが欲しいのじゃ、はようせい』
『母上、今すぐに――』
「それ、時代物なの。そんで近親相姦モノね」
「はぁ……」
「楽しい?」
 鈴は少し考えましたが、うんと頷いた。こういうものは、嫌いではない。俗物めいた感じが実にいい。
「こういうの、読むのってすごい久しぶりだけど楽しい。時代物好きなの?」
「時代物が特にってわけじゃなく、好きなの。官能小説全般が。まぁ、趣味よね」
「初めて会った。官能小説読むのが趣味な人って」
「よかったら、今から家に来る?もっとたくさんあるわよ」

 その一時間後――
 鈴は、名前も知らない人の家に上がりこんでいた。
 マンションの外観は綺麗なものだったが部屋は相当とっちゃらかっており、なにがどうしてどうのやらといった具合に物が散乱している。
「あー、ごめんごめん。そこ避けてこっち来て」
 導かれるまま、奥の部屋へ足を進めると、なんとか座るスペースは確保できた。かなり狭いが。
「すぐにお茶淹れるから、そこら辺の本でも読んでて」
 そこら辺の本といっても……。この奥の部屋は全て文庫本で埋め尽くされており、なにが何やら分からない。とりあえず、手元の本を捲ってみると、やはり官能小説だった。
「あのー……これって全部、官能小説なの?」
「そうよー。はい、アイスティー」
「あ、いただきます」
「はいはいどうぞ。まぁ、大声で言える趣味じゃないけどね」
 全くです、とは鈴は言わない。
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