小説 | ナノ





老人/2



2019年11月

 十一月下旬、大分下がってきた来た気温に、マフラーに顔を埋めながら私は震えていた。新調した防寒具があるからと慢心して薄い上着を着てきたのが失敗だった。東北の熊が出るようなド田舎から上京して、これが東京で迎える初めての冬である。東京はもう少し暖かいと思っていたがどうやら見当違いだったらしい。明日はもう少し厚着をしたほうがいいな、とクローゼットの上着から有力候補を選ぶ。しかしそこで、自分がこれ以外に上着を持っていないことを思い出した。実家からは本当に必要最低限のものしか持ってきていない。量にすると中くらいのキャリーケース一つ分。これまでの経験上、あまり物を持たない習慣が身に付いていたが、流石にもう一着ぐらい持っていても損は無いだろう。部屋も簡素を通り越して殺風景な程には物がない。ただ毎日バイトから帰ってきて寝る為だけに使う場所、そんな扱いだからか物も増えないのだ。
 こんな生活をいつまで続けるつもりなのだろうか。やりたいことも特にないので就きたい仕事が見つからない。ただ生きる為にこうして毎日日銭を稼ぎ食いつないでいるだけだ。貯金はしているが使い道が分からない。年金は宛にはしていないけれど、自分が「高齢者」と呼ばれるまで生きている気がしなくて貯金を本気で始める気も起きない。悪くはないが、ただ地味に増えていくだけの数字に若干の虚しさが押し寄せる時がある。
 生きているんだか死んでいるんだかよく分からなかった。このまま夜の街をさ迷えば、夜と一緒にじんわり空気に溶けていなくなれる気がする。私に朝は訪れず、何もかもが曖昧であやふやだ。死んでるように生きる私は今日も不明瞭。ぬるま湯のような地獄に浸かって生きている。

「おっと・・・」

 トン、と肩に誰かがぶつかった。思考に没頭するとそれ以外がおろそかになりがちなのは自分の悪いクセだ。振り返れば、ホームレスだろうか。小汚い身なりの老人が、ぶつかった衝撃でぐらりとよろめく。咄嗟にその体へと手を伸ばした。

「すいません、大丈夫ですか?」

 肩を支えてやると、ビクリと老人の肩が震えた。伺うようにこちらを見上げる目は落ち窪み、黄色く濁った白目が街灯に照らされてテラテラと光っている。向こう側の左目は、光を失い白く濁っていた。何とも言えない異臭が鼻を突く。

「あ、あぁ・・・大丈夫。お前さんこそ、大丈夫だったかい?」

「私なら何も。この図体ですからね」

 そう言った私を、老人はつま先から頭まで見てから、カカッと黄ばんだ歯を見せて笑った。

「お嬢さん、随分と背が高いんだね。羨ましいよ、モデルみたいだ」

 そう言った老人の身長は私の胸下少しくらいしかない。腰が丸く曲っているから、背筋を伸ばせばもっと高いのだろうが、それでも小柄な方だ。尖った鷲鼻に乱れた白髪混じりの長髪、黄色く変色した歯と伸びっぱなしの爪、そして隻眼。失礼だが、ゴブリンみたいな容姿のご老人だった。
 一方私と言えば、女でありながら身長は170センチを超える。細身だと良く言われるが、それは身長からそう見えるだけで実際はそうでもない。さらに、力仕事をしていた事もあって比較的がっしりとした体型になってしまっている。それを知る筈もない老人は身長のことを言っているのかと笑っているが、いちいち説明する必要性も感じないしまぁいいだろう。

「じゃあ、すまなかったね。有難うお嬢さん」

 老人はこちらに手を振って立ち去ろうとする。小さな背中がヨタヨタと左右に揺れている。異臭を放ち、醜悪な見た目の彼の周りは人が近づきたがらないからか、小さな空間ができていた。
 何故か、私はそれを見て駆け出した。帰宅ラッシュで混み合う道をかき分け再び老人の肩へと手を伸ばす。

「あの!」

 振り返った老人は驚いたような顔をする。周囲はこちらを奇異な目で見ている。

「どうしたんだい、お嬢さん」
「あの、えっと・・・・」

 自分でも、どうして追いかけてまで呼び止めてしまったんだか分からずに、あたふたと次の言葉を考える。どうしよう、どうしよう、と焦る脳内にふと、コンビニの聞き慣れた入店音が飛び込んできた。

「あっ、もし良ければ、・・・一緒に肉まん食べませんか」




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