カフェモカを二人で・4









もう、何日目だろうか。

室長の気力も体力も、とうに限界を超えている。




ゆっくりとドアのノブを捻って開けた扉の中から聞こえるのは、小さな、規則正しい呼吸。
少しの金属音も立てないように。最後まで手を離さずに閉めた扉の前で、ボクは壁の時計に一目。そのまま黙って立っていた。


ついに、と言うかとうとう、と言うか。ボクは室長に宣戦布告した。『食べません』と。



「ほら、もう夕飯の時間だよ?」
「室長が食べるなら、ボクの分と一緒に買って来ますよ」
「ココは遠慮してないで休めって言ってんの」
「室長が休憩を取る時に休みます」
「えーっと」
「それまでは作業を続けます」
「お腹減らないの?」
「減ってますよ。昼も食べてませんから」
「何で?!」
「室長は食べましたか?」
「ワタシに遠慮しなくても」
「遠慮してません。遠慮せず作業を続けてました」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・分かった!分かったよ!!」

休憩!と言った室長は、立ち上がって打ち合わせ用のテーブルまで進んだ。全く頑固だな、今度からガンココって呼ぼう。・・・変な事を言われつつも、漸く自席から離れた室長にボクはホッとした。

「何か買って来ます。リクエストはありますか?」
「流し込めるもの」
「・・・」
「怖いよココ」
「・・・」
「胃がもつか分からないんだって」

携帯フードとか刺激系のタブレットとか、そんなケースばかりが捨てられているゴミ箱にボクは思わず眉をひそめた。

「・・・向かいにスープ専門店がありましたよね?」
「うん」
「それなら食べられませんか?」
「食べられるかも」
「買って来ます」
「すまんね」
「20分くらいかかると思います。それまで、」
「ん?」
「仕事じゃなくて仮眠を取っていて下さい」
「えっ」
「それともそこに縛った方が良いですか?」
「ちょ、ココ?」
「あぁ、ボディーブローって手もありましたね」
「・・・」
「・・・」
「・・・ココってたまに怖いよな」

ぶつぶつ言いつつも、室長はテーブルに頬杖を着いた。
ボクはその姿を目に留めてから、部屋を後にした。

なかなか変わらない信号に苛立ちつつ、駆け足で我先にと横断した3車線道路の先に、カフェと隣り合ってスープの専門店が在った。
夕刻と言うこともあって、店内は賑わっている。社内で見かける顔もちらほらと目に入る。その喧騒に紛れて、ボクはテイクアウトの列に並んだ。
ボクの顔ばかり見て手元がおろそかになった店員に向けた『急いでいるんだけど』が、思った以上にきつい口調で飛び出して。涙目で渡された紙バッグに罪悪感がほんの少し沸いた。受け取る『ありがとう』に無理に笑顔を乗せて、店員の安堵もそこそこにボクは店を後にした。
渡れると思っていた横断歩道は赤に切り替わっていた。あぁ、運が悪い。ここの信号は長いんだ。
ただ黙って立っているのも馬鹿馬鹿しいから、そのままカフェに入って二人分のカフェモカを買う。黄色に変わりそうな信号と手提げ袋を気にしつつ、ギリギリ渡り終えたボクは、人の少なくなった本社ビルの前で溜め息をついた。
この時間は、上階に上がるより降りてくる方が多い。上階へのエレベーターに乗り込んだのはボクだけだった。
扉が閉まってからふと、人の気配を感じた。驚いて顔を上げたら、エレベータ内の鏡にボクが映っていただけだった。その自分の顔に酷い自己嫌悪に陥った。なんて顔だ。内側からジリジリと、負の感情が滲み出ている。
ボクは鏡に手を当てて、これでもかと大きく深呼吸した。



ボクはもう一度時計を見た。ボクが買い出しに出かけてから、漸く20分が過ぎようとしていた。その時間を確認してから、ボクは室内に歩を進めた。
テーブルに突っ伏した状態で眠っている室長を横目に、買って来た物をテーブルの上に並べる。ガサリ。紙とビニール袋の擦れる音に、ぴくり、と室長の肩が動いた。

「あー・・・おかえりココ」
「すみません。遅くなりました」
「混んでた?」
「ちょっと」
「良い匂いがする」
「一番人気だそうですよ」

『季節の野菜スープ』と名付けられたそれに、ボクはスプーンを添えた。

「冷めないうちにどうぞ」
「さんきゅ」

美味しそうだ、と一口含んで、美味しいと言ってもう一匙口に運んだ室長に、ボクも合わせて食べ始めた。

「あー・・・生きてる感じがする」
「大袈裟に聞こえないのが怖いですよ」
「ココの言うとおりだよ」
「え?」
「食べないともたないって言ってたじゃん」

以前室長に不満を吐き出した時の言葉だった。今のやり方では体がもちません。くたくたじゃないですか、と。
でもその時のボクの言葉は、室長には届かなかった。それ以前に、室長の正論に二の句がつげなかった。ギリ、と歯を軋ませて、作業に戻ったんだ。

「気付くの遅すぎですよ」
「適当につまんでたんだがな」
「ジャンクでなくて、ちゃんとした食事が必要です」
「食堂に行くくらいならシャワーに行きたいんだよな」
「それ間違ってますよ」
「間違ってない」
「登山なんかしたら、普通にニ・三日は入りませんから」
「ワタシはいつも朝晩入ってるって言ったじゃん」
「だからって」
「前は食べなくても平気だったんだけどな。年かなぁ」
「・・・・・・」
「今の否定するとこだぞ?」

スープの香りに混ざった、他愛も無い会話。ほんの少しの仮眠が大きな活力を与えたのか、頬の紅みが戻った気がする。

「さて。エネルギーもチャージできたし、」

食べ終えるや否や立ち上がろうとした室長に、ボクは慌てて待ったをかけた。

「ココはまだ食べてて良いよ」
「そうじゃなくて、もう少しゆっくりして下さい」
「何で?」
「コーヒーも買って来たんです」

ボクは手元の紙袋からカフェモカを出した。

「お?」
「カフェモカです。生クリームたっぷりの」
「珍しいな。どうしたの?」
「たまには甘い飲み物も良いかなって」
「これゲキ甘だぞ?」
「その分エネルギーになりますよね」
「まぁ確かに」
「それからこれは、」

ボクは三つ折りの紙を差し出した。

「スープ屋のメニューです」
「おお」
「今日はこの一番上のでした」
「うん」
「明日は、これにしませんか?」
「ん?」
「明後日はその隣、その次も順に・・・」

ボクはメニューを右から順に指さしていった。そして室長の顔を覗き込む。

「全品制覇のつもりで」
「・・・ごちそうしてほしいって事?」
「負担は交互で考えてます」
「そうか」
「今日と同様に、買い出しはボクで良いです。室長も同様で。」
「・・・仮眠ってか?」
「はい」
「えーっと」
「アイマスクいりますか?それとも細くて長い物ですか?」
「縛る気満々だよね?!」
「必要ならやります」

難しい顔を向けられたけど、気にせずカフェモカに口をつけた。甘い。これは完全に女性の飲み物だな、なんて思いつつももう一口音を立てて飲んだ。

・・・口だけの、目先の心配なんか、室長には必要ない。されても迷惑なんだと分かったのは、あれから暫く経ってからだった。
今何をすべきか、今必要な物は何なのか。それはその場しのぎで考えては駄目だ。その『先』まで見据えて、『今』を弾き出す。室長が口にしなくとも察しなければ。室長が手にしている負担が大きくて、どうしても零れてしまう物を、ボクまで零しては意味が無いんだ。
だから今日。ボクは一つ、必要な物を弾き出した。そしてもう一つ、よりベストな状態で弾き出す。

「ちなみに今日は走って20分ギリギリでした」
「・・・ホント?」
「本当です」

20分経つのを待っていた事は一生の秘密だ。20分と約束したギリギリまで、室長に眠っていて欲しかった。
・・・その間、寝息を聞いていた事も、一生涯胸にしまっておく。

「あんまり慌てると転ぶよ?」
「ボクもそう思いました。なので、」
「なので?」
「明日から30分かかると思って下さい」
「それはつまり」
「言い換えれば『ゆっくり休んでいて下さい』です」
「・・・」
「・・・」
「・・・ココって策略家だよね」
「褒められたと受け止めます」
「・・・」
「・・・」
「・・・カフェモカ美味しいよ」

呆れたような、何処か嬉しいような溜息を、ボクは無言で受け止めた。










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