カフェモカを二人で・5







もう、何日目だろうか。

室長の頬が紅い。




朝、出社すると、既にPCに向かっている室長の姿があった。
部下の誰よりも早く出社していたのは以前からだったが、ボクは知っていた。室長はここ一週間、仮眠室を押さえたままだ。
一体いつから仕事しているんですか。と言うよりも、寝るのもそこそこにシャワー浴びたりしてないでしょうね?その言葉をボクは呑み込んで、おはようございます、といつも通りの挨拶をした。

ボクに続いて他の3人も順々に出社してきた。挨拶をし、朝の簡単なミーティングを済ませ、それぞれ業務に向かう。
極力室長の手を煩わせないよう、各々が気を遣っていた。事実、これまで事務的作業はボクと室長に丸投げの3人だったのに、今回の件からは誰ともなしに自らでするようになっていた。慣れない書類作成に行き詰まったトリコが小松くんに泣きついたり、サニーはかつての上司に質問に行き、逆に現状を聞かれていたりしている事も、ボクは知っていた。
でもその甲斐あって、この一月ほどでデスクワークは格段に上達したんじゃないかと思う。机に向かってチマチマとPCを操作するなんて無理、真っ先に爆発するだろうと予想していたゼブラなんか、逆にその方面に適職めいたものを垣間見たりなんかして。
そんな皆の様子に、室長は『棚ぼたってこう言うのかな』なんて満足げに笑ったりしていた。その直後に『これ終わったらワタシは閑職になるんじゃない?』なんて焦ったりしている。そんな訳無いのに。終わったら終わったで、またボクらはあれこれやらかしますから。そう返したら、他の3人も頷いた。『まぁそうだよなーこの面子じゃなー』なんて室長が苦笑いする様子を、全員で受け止めた。

室長はいつも、どんなに自分の事をおざなりにしても、部下のボクたちの事はしっかり見てくれていた。
こんな状況だから、3人にも負担は増していた。それでも、耐えられる範囲での負担だ。ボクですら、確かにハードワークではあったがオーバーワークには程遠い。食事も睡眠も十分取れている。
そして室長はと言うと、あの日の宣戦布告からボクの提案を受け入れてくれていた。食事をボクと一緒に摂るようになったし、その間に睡眠も補っている。その成果が出て、最近は顔色も良くなっていると思った。思っていた。

その日も、ボクは日課になった買い出しで部屋を30分弱空けた。戻って来て、机に伏して眠っている室長の姿を確認して、いつも通り30分近くになってからテーブルに近付いた。
ふと室長の寝顔を覗くと、袖口に色が付いているのに気が付いた。ほんのり淡い、紅。
頬に乗せたチークが、白いシャツに移っていたのだと知った。愕然とした。
化粧なんてしている暇がないと言っておきながら、頬にチークだけは乗せていたんだ。ボクらに心配をかけまいと、顔色を良く見せるための細工。呆れた、と言うよりもやられた、と言った感情で暫く立ったまま時間だけが過ぎた。
不意にピピピピピ、と電子音が鳴った。携帯電話のアラーム機能だろうか、きっちり30分をカウントしていたみたいだ。その周到さにもやり場の無い感情が込み上げて、長い、長い溜め息になって零れた。

「あー・・・ココ。おかえり」
「体がもちません」
「え?」
「支店に連絡して協力を仰ぎましょう」
「何を今更」
「とっくに限界じゃないですか」
「いきなりどうしたよ?!」
「だって室長!!」

落ち着け、と良く通る声で一喝されて、それ以上反論は許さないといった毅然とした眼に、ボクは逆らえなかった。いつもより乱暴に椅子に腰を下ろす。サイアクだ。サイアクすぎて、顔も見られない。

「まずは食べようよ?」
「どうぞ」
「ココも。食べるよ?」
「・・・」
「じゃあワタシもガマンするよ」
「・・・」
「ココがそう言ってたんじゃないか」

渋々スプーンを手にし、半ば自棄になって大口を開けた。味なんてさっぱり分からなかった。
ボクも室長も無言のまま、ただひたすら匙を運ぶ時間が過ぎた。

「・・・支店のヤツには会いたくないんだよな」

突然の呟きに顔を上げたら、室長が困った顔でボクを見ていた。今まで見た事が無い表情だった。

「何故ですか」
「何故って・・・何つーか、ほら、」
「知ってる方ですか」
「うん、まぁ・・・」

なら頼みやすいじゃないですか。何故かボクはその言葉が出せなかった。

「そうなんだけどさ」
「嫌なヤツなんですか?」
「逆だよ、逆」

室長のスプーンがくるくるとスープをかき回している。

「ソイツに会ったら、甘えてしまいそうなんだよ」
「室長が?」
「うん」
「何で」
「何でって・・・何つーか、ほら・・・」

色々あるんだよ、と室長は自己満足するかのようにうんうん、と頷いた。

「とにかく、それが嫌なんだよワタシは」

室長が困った顔でボクを見る。ドクリ。ボクは目を伏せた。
不意打ちだ。と思った。この室内で、そんな、今まで決して出さなかったプライベートな表情を見せられても困る。
それに、室長のプライベートの領域に支店の『誰か』がいる事を、何故この場で聞かなければならないんだろう。
ボクは目を逸らしたまま、言葉を絞り出した。

「なら、もう一人に早く復帰してもらわないと」
「アイツの事?」
「そうです」
「ワタシはココと二人で何とかしたいんだがな」

ボクは顔を上げた。

「無理か」
「無理と言うか、」

さっきと変わらない表情のまま見つめられて、ボクの思考回路がくるくると回り出した。さっき室長がかきまわしていたスープのように。
抱きしめられるほど親しくて、復帰を信じてると断言するほど大切に思ってる・・・そうでしたよね?二人で収束の報告を叩きつけると言っていましたよね?・・・そう言おうとしたが、うまく言葉にならなかった。

「実は、結婚式を控えてる」
「えっ!?」
「・・・アイツの話だよ?」
「・・・」
「奥さん、1こ下の超可愛い子だよ」

心の一部が、すぅと軽くなった気がした。かちゃり。頭の隅に、動きを止めたスプーンの音がした。何だろう。この、ボクの中の安堵感は。
どうしよう。瞬きが止まらない。

「どうせなら祝儀に添えてやろうと思い直したんだ」
「上司に叩き付けてから?」
「そう」

そう言うと、室長の目が何かを探し始めた。ボクははっとしてカフェの袋を開けた。

「今日も甘いね」
「当然です」
「ブラックが恋しくない?」
「ちょっとは」
「・・・もう少ししたら、好きに飲めるようになるよ」
「・・・」
「だからさ、ココ?」
「はい」
「もう少しだけワタシについてきてよ」
「・・・はい」

室長の困った顔が、ふわりとほころんだ。両手で覆ったカップから漂ってくる、甘い香り。
ボクは目を伏せた。









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